たゆたう思惟は静かに眠りに堕ちて。 07 秋の拾い物 「ねぇ、やっぱ休んだ方が…」 さっきからチラチラと人の横顔を覗き込む。珍しくも朝練がなかったと言う利央と偶然にも出くわしてしまったのは明らかに失態だった。おはよー、と朝からうるさいほど元気な声は私の顔を見た途端音もなく崩れ去った。大袈裟だとこちらが思うほどに目を真ん丸に見開く。 「だーから、大丈夫だって」 「そんなこと言って後で倒れたって知らないぞ!」 「倒れないし」 いっそしつこいくらい何度も繰り返し尋ねてくる利央への返答にいい加減辟易しつつ、心配はしてくれているのか私の鞄を奪い取るようにして自分の肩に提げた。言った直後に咽て咳をしてしまい説得力は半減。利央はほーらとなぜか勝ち誇った顔をしているけれど。 朝から頭痛に悩まされているのは事実で、母親に見抜かれたのもまた事実だった。念の為に休むかと心配そうに表情を曇らせたお母さんに大丈夫だと説き伏せて家を出た。だのにまさか学校に着く前にそれを指摘されるとは思いもよらなかった。しかも利央に。 「けど、この時期毎年風邪引くじゃん」 「…引きたくて引いてるわけじゃない」 虚弱体質ではないけれど季節の変わり目には油断しているのか毎年風邪を引いて寝込むのが恒例となってしまっていた。もちろん引きたくて風邪なんて引いてるわけじゃない。 肌に馴染む空気は涼やかだ。昼間はじっとりと汗ばむほど暑くなるけれど日が落ちれば気温は驚くほど冷え込むようになってきた。この昼間との気温の差が体調を崩す要因だろう。肌寒さに小さく身を震わせれば目敏くも利央がそれを目撃してまたぶちぶちと説教じみたことをきかせてくる。 「とにかく、学校は行くから」 それら全て一蹴する。利央の声は脳に直接響いてきて頭が揺すられているみたいで余計に気分が悪くなりそう。さすがにそんなこと本人を前にしては言えず、段々酷くなっている気がする頭痛に悩まされながら学校に向かった。 利央にああは言ったけれどもとうとう耐え切れず保健室行きを余儀なくされたのは3時間目が始まる前の休み時間の時だった。顔色は元よりよくはなかったらしく、さすがに突っ込ますにはいられなかったらしい友人に保健室へ行けと冷たく突き放されたのだ。 立ち眩みと眩暈、軽い吐き気を覚えながら保健室を目指す。利央に見つかってはここぞとばかりに偉そうにものを言うに決まってるから少し遠回りをする。身体を覆う倦怠感はいつも風邪を引く時に感じるそれと全く同じだ。やっぱり大事をとって休むべきだっただろうか。そもそもあの場で意地を張ってまで学校に行く意味があったかも分からない。押し寄せてくる後悔などそれこそ今更で、けれども気分を紛らわす程度の役目は果たしてくれている。 「?」 「…高瀬先輩……?」 渡り廊下を通って隣の校舎に移り一階に下りたところで高瀬先輩とばったりと出会った。移動教室からの帰りなのか数冊の教科書を抱えている。揺らめきそうな視界の中で捉えた先輩の顔は訝しげに眉を顰めている。 「お前顔真っ青だぞ」 「あはは、ちょっと…気分が悪くって」 「大丈夫か?」 「大丈夫じゃないですけど、大丈夫です。保健室行くところでしたし」 高瀬先輩が立つその背後には保健室と書かれたプレートが見えている。一度振り返りそれを黙視した。 「今日保健医出張で閉まってんぞ」 「え?マジ、ですか」 「ああ。だから相当辛いんなら早退した方がいいんじゃね?」 気遣わしげに一度私を見下ろし、次の授業があるからと横を通り過ぎ階段をのぼっていく。せっかくここまで来たのに。高瀬先輩を信じてないわけじゃないけれど、一応確かめてみたら鍵が掛かっていてガチャガチャと虚しい音が響くだけ。 今の状態で授業など受ける気にはなれず高瀬先輩の助言通りに早退することにした。重たい身体を引き摺るようにして教室に戻り友人にだけ一言告げて鞄を手にして帰路につく。日が昇り始め、暖かな日差しが降り注いでいる。眩しい日の光が突き刺さり、心身を刺激する。くらりと眩暈を何度か覚えながら何とか家に辿り着いた。 部屋に入り着替えも適当にしてベットに潜りこんだ。するとそこで携帯が鳴った。腕だけ伸ばして床に放置したままの鞄から携帯を取り出す。メール着信音は数秒するとプツンと途切れる。表示された名前を見て顔を歪めてしまう。 "準サンから聞いた。だから言ったじゃん。大人しく寝てろよー" 利央には内緒にしといて欲しかったのに。人が風邪を引いて寝込んでいるとなると色々な意味を含めてうるさくなるのだ、利央は。返す気にはなれずフリップを閉じた。薬を飲まなければと思うけど起き上がる気にはなれない。寝てしまおう。そう思ってそっと目を伏せた。 << □ >> |