その一言が全ての序曲。 03 全てを見透かす眸の前で 「好きな奴いるだろ?」 何の脈絡もなく、そう言い出したのは島崎先輩だった。新学期が始まって数日、近づく文化祭に向けて昼休みも返上して準備に取り掛かるクラスも出始めた中、私達のクラスはマイペースに作業を続けていた。取り仕切る友人が当日までの日程を事細かに取り決めておいてくれたおかげでいたって順調に進んでいるからだろう。その分、彼女自身があちらこちらへと奔走する羽目となっているみたいで申し訳なさはそれなりにあったが、当の本人は大変ながらも活き活きとしているので問題なさそうだった。そう言うわけで他のクラスが食事を早めに取り準備へと追われている中、私達のクラスはのんびりと昼休みを過ごしていた。お昼を食べ終え、ちょっと物足りないなと思い購買へと足を向けたところでばったりと出くわしたのが島崎先輩だった。 こんにちは、と軽い会釈と同時にに挨拶を交わして、ささやかな雑談をしていただけのはずだった。それが何を思ったのか、いきなりそんなことを言うものだから私は面食らった。 野球部とは何の関係もない私が高瀬先輩や島崎先輩と面識があるのは、それはやはり利央の所為・・・・・・おかげでもある。何気ない会話の中でやたらと私の名前を出したらしく(本人は無意識だったらしい)後輩をからかうことを楽しみの一つとしている先輩達がそれを見逃すはずもなく私は利央にせがまれて野球部の先輩面々との対面を果たした。そしてそれがきっかけに彼らとのつながりが深くなったのだ。 島崎先輩はあざとい人だ。この人は利用できるモノは何でも利用するし、そのくせ自分に利がないと見ればあっさりと引く。とても賢い人だと思う。こういう生き方は純粋に関心するけれど、お近づきになりたいとは思えない。一癖も二癖もある人に勝るほどの戦略を自分が備えているとは思えないし、関心を抱くだけで羨望しているわけではない。だからこうして顔を会わす機会があったとしても一線を引いて対応してきたつもりだった。 「いきなりなんですか?」 眉を寄せて言葉を返す私を余所に島崎先輩は窺うようにじっとこちらを見てくる。ぞわ、と何かが奔る。高瀬先輩はまだしもこんな人相手に利央が勝てるはずがない、と片隅で心から納得する。考えの読めないのは一度だけ言葉を交わしたことがある山ノ井先輩もだけど、どちらが厄介かと問われれば接触する事が多い島崎先輩だろう。山ノ井先輩の場合は遠目に事の起こりを楽しんでいる節がある。その分、私には被害がないから問題ない。けれどこの人はどうも私を巻き込もうしているように見られる。私の様子を窺うその双眸の奥に潜められた企みがちらついているようで気が気でない。 「別に。いるように見えたから聞いてみただけだけど」 「どこをどう見たらそう見えるんですか?」 「ふーん。じゃあいないんだ」 酷く楽しげに笑う様子は、私の否定を覆しているようで気に入らない。他ならない自分のことを特別親しくもない相手に指摘されるというのは不愉快極まりない。それがこの人なら尚更だ。一体その真意は何なのかと無謀だと知りながら考えてみるけれど、到底答えに辿り着けないことなど明らかだった。敵意剥きだしにしたくなるのを堪え、辛抱強く島崎先輩から何か言い出すのを待つ。この人相手にムキになればそれは完璧な敗北だ。 「!」 弾けるようにして顔を上げ、島崎先輩が立つその向こうを見やる。少し遠くから私を呼ぶ声は間違えようもない幼馴染みの声だ。つられて振り返った島崎先輩も利央の姿を捉えたようだった。呆れたように「アホだな、アイツ」とぼやく声が聞こえた。それには私も内心で同意する。一目を気にせず名前を呼ばれたこちらの身を少しは考えて欲しい。けれどそれが利央だと私は理解している。どうしてかおかしくなって笑みが零れた。するとくるり、と島崎先輩がこちらを振り返った。 「んじゃ俺はそろそろ行くかな」 「はぁ(結局なんだったんだろ)」 中途半端に終わってしまうのは納得行かないけれど、このまま会話を続けていたとしてもこちらの分が悪いのは分かりきっていたから問い質すことはしなかった。それにこんな話が利央に聞かれてもややこしくなりそうなだけだ。愉快そうな笑みを一つ残して真っ直ぐ歩き出し、私の横をすり抜けていく。 「―――え?」 通り過ぎる際、小さく囁かれた一言に今度こそ面食らう。一間置いて反応し、振り返ったけれどその背中にかける言葉が思いつかず結局見送る形となった。背後から足音が近づいてくる。?と不思議そうな声と一緒に目の前に広がった明るい髪に意識が戻される。 「利央・・・どうかした?」 島崎先輩が捨て残した言葉が頭の中をくるくると回る。それを悟られないように平然を装い利央を見上げた。見上げる度に随分と身長差がついてしまったと感じる。いつかは身長にも差がついてしまうとは思っていたけれど、まさかこんなに差が広がるなんて思いもしなかった。利央の両親はさほど高いというわけじゃないのに、どうしてか利央はにょきにょきと伸びていた。 「利央のクラスって文化祭の準備じゃなかったっけ?」 「そうだけど、ちょっと抜けてきた」 「まさか教科書貸して、とか」 「うっ・・・」 「え、図星なわけ?」 不貞腐れたような顔が表れ、無言で責められる。そんな顔されても忘れる度に人の所に借りにくるから最早習慣にすらなりつつあって、見抜くのは難しいことじゃない。それもこれも忘れる利央が悪い。 「わざわざ私探すより真柴くんのとこ行った方が早かったんじゃない?」 きっとここに来る前に教室に寄ったのだろう。私が教室を出る前、真柴くんは教室で友達と話していたから彼に借りた方がこんな風に校内を探し回ることもなかっただろうに。 「迅ももいなかったから探してたんだよ」 「さっきまでいたんだけどなぁ。で、何の教科書?」 「現代文!終わったら返しに行くからさ」 「当たり前。ちゃんと今日中に返してよね」 釘を刺しておかないとケロッと忘れて翌日の昼休みに返しに来たりすることもある。その授業がなければまぁ問題ないけど、いつだったか授業目前になっても返しにこないから利央のクラスにわざわざ出向いた時もあった。その時はさすがに頭にきて、暫くは教科書も貸してあげなかった。 「分かってるよ!すぐ返すって」 「だといいけどね」 疑われていると察した利央の顔が綺麗に歪められる。 「とりあえず先戻っててよ。私購買寄るから、後で利央のクラス行くね」 「マジ?じゃあ俺にも何か――」 「却下。後払いなら一緒に買ってあげるけど」 えぇーと文句の声をあげる利央をさらっと無視して踵を返す。これ以上遅くなると目星をつけていたパンが売り切れてしまいそうだ。じゃあね、と振り返ることなく告げて歩き出した。 << □ >> |