知らなかった真実の先には。



10   小さな助言



「風邪で寝込んでたんだって?」

前回と言い今回と言いいきなり現れる人だ。あからさまな程に顔を顰めて見せたのにそれは彼にとって何ともないのか読めない笑顔をさらに深めるだけだった。島崎先輩。と呟く。よりによってまだ全快とは言えない今、顔を見せなくてもいいのに。五日振りに登校して最初に言葉を交わすのがまさかこの人だとは思いもしなかった。

文化祭を明日に控えた今日は授業は午前のみで午後からはその準備に宛がわれていた。それを友人のメールで知って昼も過ぎた頃に登校してみれば、ばったり出会ったのが私にとっては不可解な行動しか示さない二つ上の先輩。待ち伏せていたというよりは本当に偶々通りかかっただけなのだろう。それでも私に目敏くも気付き足を止めたのは何かしら思うところがあったからに違いない。熱は下がったけれど本調子とは言えない状況で島崎先輩相手にどこまで上手くかわせれるだろうか。あやしいところだ。そもそも第一声から何か含んでいるような気がした。
どことなく慌しさを感じさせる校舎を背景に島崎先輩は私の前に立ちはだかる。ここから先は通さないよ。そう言っているみたいに。文化祭の準備はいいんですか?と聞いてみたけれど別に問題ないとあっさりかわされた。忙しない世界は私達を置いていく。通り過ぎる人たちは時間に追われているようで私と先輩の存在など気にしていないみたい。前回のように都合よく利央が現れるなんてことはありはしない。それに今この場に利央がこられても私は口を閉ざすしかないんだろう。つまりは、どの道逃げ場は用意されていないのだと言うこと。

「島崎先輩はなにがしたいんですか?」
「なんだと思う」

質問を質問で返す人ほど卑怯な人はいないとこのときはじめて思った。分からないから聞いてるのに。問われて最初は思考を巡らせてみたけれど当然、答えなど見つからない。そのうち頭は考えることを諦めて別のことに置き換える。そう言えば忙しい時期によくも休んだな、と友人から怒りのメールが届いていたなぁ。その分今日と当日きびきび働いてもらうから、とも。あまり遅くなるとぐちぐちとうるさそうだ。きっとピリピリしてるだろう彼女の機嫌をこれ以上損ねるのだけは御免だ。どうしようと思って、現実にひき戻る。目の前のこの先輩をどうにかしないとこの問題は解決しない。
どれだけ時間が経ったのか分からない。けれど待つことに厭きたのかふっと息を落とした島崎先輩は小さく苦笑した。ああ多分これは先輩の素の部分ではないのかな、と思った。

「俺はこれでもお前等を心配してんのよ。分かる?」
「いえ、全然」

何気に酷いねお前。そう小さく呟く姿に引き締めていた気が少しだけ緩んだ。だって全くそんな風には見えないから。どこをどうしたら心配しているように見えるのか教えてほしいくらい。私と目を合わせた先輩は視線を逸らし考えるように首を傾げてから「お前等ってか利央の方かな」と付け足した。

「お前アイツに何言った?」
「べつになに、も……」

言葉が続かない。あの時の声を、その顔を思い浮かべると途端に呼吸が乱れたみたいに苦しくなる。あんな顔させるつもりなんてなかったのに、なんて言い訳でしかなくて。だから何もいえない。結局利央を傷つけたのは私に変わりなくて、きっとおそるおそる差し出してくれた手を拒んだのも私。そうすることで私達の世界は大きく変わってしまうことをあの時の私は気付かないままに行動してしまっていた。きっと、もう遅い。

「お前が思ってる以上にお前の言葉は利央には重たいの分かってるか?」

もしかしたら島崎先輩は予想以上に後輩思いなのかもしれない。ひやりとさせられるほど冷たい声は、利央のためだという証に違いない。決してそれを悟らせないこの人の愛情表現は屈曲しきっている。冷静な部分が島崎先輩を解析しているのとほぼ同時に、先輩の言葉を心は受け止めている。疑問を持つ箇所があったけれど、大まかには理解してしまったその意味は心を大きく揺らす。

「ここんとこ利央の様子がおかしいって紗羽が言うから直接問い質した」
「箱崎先輩が?」
「確かにちょっと頼りないけど利央が好きなんだろ。何であいつを拒むんだよ」

拒む。拒絶。言葉にされてはじめてそれがどれだけ怖ろしいことか現実味を帯びた。だって知ってるから。私こそが何よりそれを一番おそれていて、だから昔に縋ろうとしている。もう要らないのだと言われてしまえば私の世界は色を無くしてしまう。そんな思いを利央にさせてしまったのだろうか私は。

「…で、でも!」
「でも?」
「だって、利央は箱崎先輩のこと……」


私の世界の半分以上が利央で占められているのだとして。でも利央は違う。きっとアイツの中での私の存在は一割程度でしかない。だって私と違って利央にはずっと大切で大事なものがたくさんある。一番を占めているのはきっと野球で、そこには今目の前にいる島崎先輩や部長だった河合先輩、現在バッテリーを組んでる高瀬先輩や真柴くんがいて。それに箱崎先輩もいる。そんな大勢の中で私の存在などちっぽけで滓でしかない。
そんなことをとろとろと吐けば、島崎先輩の目が大きく丸く見開かれた。間の抜けたようなそんな表情は物珍しくて一部残っている冷静な部分が写メでもとっておこうかと考える。

「お前、賢いし鋭いのに何でそこだけ鈍いんだ?」
「は?…あの、どういう意味ですか?」
「厄介な奴。…ったく、よく聞けよ」
「…はい」
「利央は紗羽のこと好きじゃねぇよ。あれはどっちかってーと憧れだ」

何の冗談だと返すには島崎先輩の双眸は真摯すぎる。あこがれ。復唱するように呟けば大げさなほどの溜息が島崎先輩の方から聞こえた。

「取り越し苦労だな」
「うっ、でも本当に――」
「信じれないんなら準太にも確かめてみろよ。同じ答えが返ってくるぜ」
「………」
「分かったんなら何とかしろ。これ以上部活に影響が出る前にな」
「はい」
「ま、文化祭の前だったのが幸いだったな」

少し乱暴に撫でられて髪はきっとぐしゃぐしゃ。先輩面して私を見つめる島崎先輩に完敗だった。その手を振り払うこともせずさせれるがまま。分かってたつもりなのにちっとも理解出来ていなかった。それがすごく悔しい。




<<  >>