大きく肩で息をした。たっぷりと息を吸ってから吐き出す。
ちゃん、お疲れさま」
振り返れば食堂のおばちゃんが苦笑して立っていた。今しがたの自分の行動を見られていたらしい。
「ごめんなさい、作業するの遅くて」
「いいのよ、最初はそんなもんよ。それに思っていたよりもずっと手際がよくて助かったわ」
じゃがいもと人参の皮むきからそれらの角切り。本日食堂のおばちゃんから頼まれた仕事の中で一番大変だったのがこの二つだ。これなら普段からやっているから大丈夫だろうと高を括っていた。しかし、手本だと言われて食堂のおばちゃんの包丁捌きを見た時は言葉も出なかった。レベルが違いすぎる。実際にがやってみればおばちゃんの時よりも倍の時間がかかってしまった。これが経験の差なんだろう。全てを切り終えるのに時間がかかってしまったことでおばちゃんの作業にも遅れが出てしまった事は否めなかった。
それでも、おばちゃんは気にした様子もない。
「そのうち慣れてくるわよ」
「はい」
「それじゃあお腹空いたでしょう?ちゃんも食べてきていいわよ」
手渡されたお膳とおばちゃんを見比べる。
「でも、まだ片付けが・・・」
「もうあとちょっとだからあとはあたしがやっておくわ」
にっこりと満面の笑みで言われて、戸惑いながらもおばちゃんの言葉に甘えることにした。
お膳を手にして厨房から食堂の方に向かった。生徒達や教職員達も一通り食事を済ませた後なので食堂の中はがらんとしていた。人が賑わっている時では注目を浴びてしまうだろうし、まだを認めていない職員達と一緒に食べるなど以ての外だったので、一人だろうと気にすることはなかった。
厨房に一番近い位置にある卓上に膳を置き、長椅子の端っこに腰をかけた。まだ湯気の昇る ご飯とお味噌汁を見つめながら手を合わせる。
「・・・いただきます」
そういえば、夕食を一緒に食べれたらいいですねと伊助と庄左ヱ門が言ってくれていた。あまりの忙しさに時間すら忘れて動き回っていたから、それは叶わなかったけれど。二人には悪いことしたかもしれない。あとで謝りに行こう。ご飯を頬張りながら1年生の長屋は何処だろうかと思案していれば片付けを終えたおばちゃんがカウンターから顔を覗かせた。
ちゃん、ちょっと学園長先生のお膳下げに行ってくるわね」
「あ、はい」
「多分もう誰も来ないと思うけど、もし生徒が来たらメニュー聞いて出してあげてくれるかしら」
「分かりました」
「じゃあお願いね」
恐らく誰も来ないだろう。先ほどの忙しさを振り返ってそんなことを思いながらお味噌汁を啜った。


いくつかの足音と話し声が聞こえてきたのはそれから間もなくだった。湯呑にお茶を注いでいたの肩はびくりと飛び跳ねた。人見知りの性格ではないが、ここが異世界ともなれば話は別だ。何より、を見たこの世界の人たちの反応を知っているから尚更だ。それはの格好にも問題があったのだろうが、一度そのような体験をしてしまえば自然と身構えてしまう。せめてにとってこの世界で気を許している人がこの場に居てくれたらよかったのに。今この場には居ないおばちゃんや伊助達に思いを馳せた。
「あー腹減ったな」
「八、お前なぁ・・・!」
「食いっぱぐれたら八の所為だからな」
「まぁまぁ。見つかってよかったね八」
忍たま達だ。それもその声からして下級生ではないだろう。耳を澄ますまでもなく聞こえてくる声は次第に近づいてくる。その中に聞き覚えのある声が混じっているのに気付くのには少し時間がかかった。
「食堂のおばちゃんまだいるといいんだけど」
「いてくれなきゃ困る」
「明りはついてるみたいだからいるんじゃないか?」
「・・・あれ、さん?」
かけられた声に顔を上げる。食堂の入口に忍たまの生徒が四人。その中に兵助の姿を見つけての気が緩まる。
「こんな時間に食事ですか?」
「うん。さっきまで食堂のおばちゃんのお手伝いしてたから」
「手伝い?」
「学園長の提案で今日から食堂のおばちゃんの手伝いをすることになったの」
簡単な経緯を兵助に話しつつも、その横に立つ三人の方に気は向いていた。ちらりと窺えば同じ顔をした二人のうちの片方と目が合った。
「兵助、この人が昨日言ってた・・・?」
「あぁ、昨日から学園で預かることになったさん」
彼らは三人は兵助と同じ色の服装に身を包んでいる。忍術学園は学年ごとに色が分かれているはずだったので、彼らは兵助と同じ五年生と言うことだ。
さん、こっちは俺と同級生の不破雷蔵、鉢屋三郎に竹谷八左ヱ門です」
兵助の紹介に合わせて彼らの顔を順番に見る。アニメを見て知識としては頭に入っているが、生徒の顔と名前は未だに一致していない。よく登場する1年は組やその担任はともかく、他の組や学年の生徒に関してのの知識は低い。あの顔に見覚えはあるとか、この名前は聞いたことがあるなぁ程度で両方が一致しているのはほんの一部だった。だから兵助に関しても彼が久々知兵助なのだと気付くのに時間がかかった。
それでもには紹介された内の二人は何となく覚えていた。全く同じ顔をした二人の方である。確か、どちらかがどちらかの変装をしていた、はず。あまり自信はなかったし、それをが知っているのも可笑しいことなので決して口外はしない。ちなみにもう一人残っていた竹谷に関しては記憶には残っていなかった。何となく見た顔だとは思うが名前を聞いても一致した感じがしない。多分、彼が登場した回のアニメを見忘れたのだろう。一人そう結論付けては三人に対して頭をぺこりと軽く下げた。
「よろしくお願いします」
「あ、よろしくお願いします」
同じ顔をした二人の片方が同じようにぺこりと頭を下げた。確か彼は不破雷蔵の方だ。頭を上げれば同じタイミングで雷蔵も顔を上げたらしくぱちりと目が合ってお互いに苦笑する。
「えと、不破君?」
「雷蔵でいいですよ」
「じゃあ雷蔵君。あの、隣の方とは・・・うわ!」
無難に双子?と聞こうとして隣の鉢屋三郎を見て思わず悲鳴を上げる。さっきまで雷蔵の顔をしていた三郎の姿はそこにはなく代わりに兵助が立っている。先ほどまで兵助が立っていた位置には当然同じように兵助の姿があり、二つの顔を交互に見比べてしまった。変装の達人、鉢屋三郎。その名が胸に刻まれた瞬間だった。本物の兵助は心底嫌そうに自身に変装している三郎を睨み、変装している三郎は兵助の顔で満足そうに笑っていた。
「良い反応だ。やっぱこういう反応は新鮮だなぁ」
「三郎。俺の顔でその笑い方はやめろよ」
「雷蔵の顔よりは合ってるんじゃないか」
「八、煽るな」
「ははは、悪い悪い」
さん。今俺の顔してるのが鉢屋三郎です。変装が得意で普段は雷蔵の顔を借りて過ごしてるんです」
兵助の説明の途中でその顔は隣の雷蔵の顔へと戻っていた。束の間の出来事に目を丸くさせているを見る三郎の顔は楽しそうだ。
「ところでさぁさん、食堂のおばちゃん知らない?」
でいいですよ」
「じゃあさん」
ニッと笑う竹谷にも笑い返す。初対面の人間相手にここまで気楽に話すことが出来るのは他でもない彼らが兵助の友人だからだろう。この世界で気を許している数少ない人の友人だと思うと他の人よりは心が開けてくる。
「食堂のおばちゃんは今学園長のお膳を下げに行ってますけど」
「げ、嘘だろ」
竹谷の顔が引き攣る。
「はーちー!」
「どうしてくれるんだよ」
「ま、まぁお膳下げに行っただけならすぐに戻ってくるだろ、な!」
「な!じゃない。誰の所為でこんな目に遭ってると思ってるんだ」
「もしかして食事まだ済ませてないの?」
竹谷を責める兵助と三郎の姿を眺めながら苦笑して事を見守る雷蔵に問いかける。雷蔵はそれに困ったように眉をハの字にさせて頷く。
「生物委員会で飼育している虫達が脱走しちゃって…それの捕獲作業を手伝ってたんです」
「生物委員会?」
「そうです。八・・・竹谷は生物委員なんです」
「それは、お疲れさまでした」
「まぁいい加減慣れましたけどね。・・・それにしてもおばちゃんが早く戻ってきてくれるといいんだけど」
そこでは先ほどの食堂のおばちゃんの言葉を思い出した。
顎に手を当てて何か考えている雷蔵の横で言い合いを続けている三人に声をかける。
「あの、食事なら私が出しますよ」
「へ?」
ぴたりと言い合いが止まった中で竹谷の抜けた声には小さく笑う。
思案していた様子の雷蔵もの言葉に顔を上げた。
「食堂のおばちゃんから誰か来たら代わりに食事を出してあげてくれって頼まれてるの」
「本当か!?」
「う、うん」
肩を掴まれ揺すぶられる状況下で何とか頷く。
「八、目回しそうになってるから」
「あ、悪い」
「ううん。大丈夫だから」
ふらつきが落ち着いたところで食べかけのお膳をそのままに立ち上がる。
「じゃあ持ってくるから、座って待っててください」
そのまま厨房の中へと引っ込む。四人分の器を取り出して配膳を手早く済ませる。四つまとめて運ぶことは出来ないのでカウンターにそれぞれのお膳を一度置いてから食堂の方へと回る。するとカウンターに置いた筈のお膳は各々が手にして運んでいた。顔を出したに兵助が逸早く気付く。
「これくらいは自分達でやりますよ」
きょとんと立ち尽くすにそれぞれがお礼を言って席につく。
さん食べないんですか?」
「え?あぁ、食べる食べる!」
兵助に言われ自分がまだ食べかけだったことを思い出す。気付けば彼らはが座っていた卓に座っている。一緒に食べてもいいのだろうかと僅かに思案したが、あんなにお腹を空かせていた彼らが未だ食事に手をつけていない。自分を待っていてくれているのだと気付いて、彼らの輪に加わった。
「いただきます」
口にしたご飯は先ほどよりもずっと美味しく感じた。





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2009,01,03