一週間も経てばの包丁捌きは目を瞠るものとなっていた。食堂のおばちゃんのそれには敵わないまでも自分でも分かるほどに上達している。おばちゃんからも太鼓判を貰い自信もついてきた。
それに伴って事務の仕事も任されるようになった。こちらは小松田の犯したミスの事後処理に手が足りない時のみである。猫の手も借りたいとはこの事なのだと自ら体験しながら、言われた指示にのみ従って作業を手伝った。

学園で過ごすようになって一週間。現代の生活との違いにもようやく慣れてきた。相変わらず教職員から冷たい視線を感じる事はあったが伊助や庄左ヱ門、それに新たに親しくなった5年生の面々の存在に励まされながら何とか日々を過ごしている。姿を見かければ声をかけてくれる雷蔵や竹谷に嬉しくなる。受け入れてもらう事の大切さを異世界に飛ばされて実感したこともあり、にとって彼らの存在は大きくなりつつあった。
その中で鉢屋三郎の存在だけ、の中でどう位置付けたらいいのか迷っていた。初めて彼らと顔を合わせた時、かち合った視線。そのときは雷蔵と三郎どちらか分からなかったが、今になって確信を持てる。あれは三郎だったと。


「やぁ、さん」
束の間の休憩、気を抜いていた最中に声をかけられ驚きの声が漏れた。木の根に凭れかかっていたはそのまま上を見上げた。かけられた声は確かに上から聞こえたからだ。
「・・・・・・・・・三郎、君?」
太くしっかりとした枝の上に立ち、自分を見下ろしているのは雷蔵か三郎かのどちらか。眉間にシワを寄せて悩むこと数秒、半信半疑で名前を呼べば返事の代わりにすとん、と飛び降りての目の前に着地する。
「正解。よく分かったね」
「雷蔵君は驚かせるようなことしないから」
なるほど、と納得する三郎に言った言葉は本当のことだが、彼を三郎だと思ったのは直感の方が大きかった。いわゆる、何となくと言うやつである。
「三郎君一人?」
立ったままの三郎に座ったまま話すのはの気が引けてそれとなく立ち上がった。周囲を見渡すまでもなく他に生徒の姿はない。雷蔵と二人で居るところをよく見かけるので、の中で彼らはセットとなって認識されてしまっていた。
「そうずっと一緒にいるわけじゃないさ。雷蔵は今日図書委員会の当番の日でね」
面白そうに笑った三郎を見て、は彼が三郎なのだと改めて確認した。兵助に教えてもらい、二人の笑い方に微妙に違いがあることが少し分かってきたのだ。考えていることを見透かされて驚くを見て意地悪そうに笑うそれは三郎しか見せない笑い方だ。
窺うように三郎を見上げる。他の三人の誰かを交えて話す機会は多々あったがこうして二人で話すのは初めてだった。彼は会う度に瞬時に他の誰かへと顔を変えては驚くの反応を楽しんでいた。それを窘めるのは雷蔵であって、竹谷は笑って見ているだけで止めることはしない。兵助にしてもほどほどにしろと視線で告げるだけだ。
自分をからかって楽しむのは別にいい。そこは大した問題じゃない。ただ、そうやってをからかって楽しむ反面、三郎がに対して一線引いて様子を見ているように感じたのは割とすぐのことだった。
は別段、鋭い人間ではない。しかし右も左も分からず、周りは知らない人ばかりの世界に放り込まれたことによって、他人からの自分への態度や視線に敏感になっていた。
さん、分かりやすいって言われない?」
どきりとしたのはやはり思っていることを中てられたからか。
三郎に対する接し方に困っている分、どうすればいいのか分からない。
だから、思ったことを素直に口にしてみた。
「三郎君は、私を信用していない?」
教師達の怪しい者を見る視線とも違えば、初対面の時の庄左ヱ門のような好奇の視線ともまた違う。言葉にするには難しい三郎のに対する視線は表すならばそれが一番適当なものだった。
「おや、そう感じてたか。うーん、けど残念。微妙に違うな」
「だったら、どう違うの」
「じゃあ率直に聞こうか。貴女は何者なんですか?」
その顔に終始添えられていた笑みが刹那の間、消え去る。
動揺を隠しきれるはずもなくあからさまに反応してしまう。
さん、わたしは興味を持ったことにはとことん追窮したい人間なんです」
先ほど一瞬見せた、真剣な眼差しは今はもうどこにも見られない。
どういうつもりかは分からないが三郎は面白おかしそうに語りだした。
「一部の教師が貴女へ向ける視線がどうも友好的には感じられなくてね。それで違和感を持ったんです。少し調べてみたら先生方は貴女に対して警戒心を持っているみたいだった」
「それは初めて会ったとき、から?」
「あぁ、あの時のはただの好奇心だよ。兵助が連れてきたって聞いてたからどんな人なのかと思ってさ」
足が後ろへと下がり、木の根にぶつかる。先ほどまで木の幹に背を預けて休んでいたのだから後ろに行けるはずがなかった。はぐっと足に力を入れる。この場から逃げ出すつもりなど勿論ない。三郎に対して恐怖心を覚えたわけでもなく、ただこうして構えてしまうのは既に条件反射のようなものだった。品定めするような眼差しや、言葉巧みに探る存在への自己防衛が無意識に働いている。
「警戒させてしまったかな」
身を後ろへと退こうとした事に三郎が気付かないわけがない。
のその態度を怯えととったのか少し困った顔をして見せた。
さん、わたしは別に貴女を疑ってるわけじゃない。兵助が連れてきたんだ。あいつはあれで五年生の中では優秀だし、冷静沈着で的確な判断が出来る奴だ。ただ、それを先生方も知っているはずなのに貴女を監視しているような時がある。だから気になった、それだけだ」
「・・・監視、されてたんだ」
「やはり気付いてなかったんですね」
現代で平凡に過ごしてきたに忍者の、それも教師を勤めているような優秀な人間の気配を察知するなど出来る筈もない。忍者のたまごである忍たま達の気配にすら気付けないのだ。三郎がこうして教えてくれなければ一生知らずに過ごしていただろう。
しかし、考えてもみれば疑っている人間を学園の敷地内で野放しにしておくはずもない。監視されているだろうことを考えもしなかったのは単ににそれだけの余裕がなかったからだ。この環境に慣れ、少しでも迷惑をかけないようにすることで精一杯だった。
「貴女が先生方に疑われる理由はなんですか?」
問い詰めようとしているわけではないから、は話すべきなのか迷った。
恐らく、三郎が自身で語った通りただ気になったのだろう。
「兵助君は、」
「貴女の話を聞いた時には何も言ってなかった。だから聞いてもはぐらかされるだろうな」
「・・・そう」
無闇に言い触らすつもりなど兵助にはないのだろう。それが兵助にとって親しい友人だとしても。だから三郎は直接に聞きにきた。


スッと息を吸う。はおもむろに三郎から視線を外し、上を見上げた。
「私は、何も疑われるようなことはしてません」
この世界に来て初めて見たのは広がる青い空だった。
遮るものがなく遥か遠くまで見渡せる澄んだ鮮やかな青色。
「そうじゃなくって、私と言う存在自体が信じられないんだと思うの」
「存在自体?」
「私が居た場所は、こんな綺麗な空じゃなかった。もっと濁った色をしていた」
「居た場所・・・?」
瞼を閉じるとその裏に浮かぶ、高層ビルの隙間から見えるちっぽけな空。この二つの違いはの中では大きい。どちらが好きかと問われればこの世界の空の方が好きだけど、愛しいと思うのはあのくすんだ空なのだ。
目の前の三郎が怪訝そうな顔でを見ていた。きっと言っている意味が分からないのだろう。それでもにとっては大事なことだった。結果的に彼が知りたいことにも繋がっていく。
「私は、この世界の人間じゃないの」
「・・・は?」
「気付いたらここに居て、伊助君と兵助君に助けられていた。ここは私がいた場所とはあらゆる箇所で違ってる。途方に暮れる私の話を信じてくれたのが二人で、学園長に引き合わせてくれた」
胡乱気な瞳に今は苦笑が漏れた。きっと、本来の反応はこういうものだ。
「学園長先生は面白がって受け入れてくれたけど、先生方には到底信じられる話じゃなかったから、三郎君が言うように真相を確かめようと監視してるんだと思う」
初めてこの世界に来た日よりもゆとりが出来た今だからこそ、こうやって落ち着いて話せる。
拒絶されることは怖い。けれど、今なら得体の知れない存在を敵視してしまうことの道理にも頷ける。立場が逆転した時、も異世界から来たという人間をそう簡単には受け入れられないだろう。
「私のこの話を信じてくれなくてもいい。でも、一つだけ知っておいて」
監視されていようと、されまいとのこの世界での立場も立ち振る舞いも変わらない。変えるつもりもない。
「私は、私を助けてくれた兵助君達の気持ちを裏切りたくないの」
信じると言ってくれた兵助や伊助、庄左ヱ門を裏切らないように精一杯生きるだけだ。真実がどうだろうと、教師達がを危険視してしまえば彼らの気持ちを踏み躙ることになってしまう。それだは何があっても避けたい。


がこの世界で生きていく上で自身に誓ったことだった。





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2009,01,07



続きます。五年生で誰が一番厄介かと言えばやっぱり三郎でしょう。