忍術学園と書かれた看板とその背後に見える学園の建物を目の当たりにして、改めて自分が異世界に来たことを感じた。
「ここが忍術学園です」
軽く右手を引っ張られて隣の伊助を見下ろせばにっこりそう教えてくれる。道中、はずっと伊助と手を繋いで歩いていた。
学園に向かって歩き出して四半刻程経った頃から、二人に遅れをとりはじめた。5年生で鍛えられている兵助に、まだ1年生ながらも忍者のたまごである伊助とでは体力に差がありすぎる。を気遣うように兵助と伊助は歩く速度を落としてくれていた。それでも何処となく心配だったので伊助が手を繋ごうと提案したのだ。目を丸くして伊助を見下ろしただったがその申し出が嬉しくてすぐに頷いた。そして伊助が途中まで両手で大事そうに抱えていた荷物は兵助が抱えてくれている。


「あ、伊助君、久々知君おかえりー」
「小松田さん、ただいま」
「お遣いお疲れさま。はい、入門表にサインしてね」
スラスラとサインする兵助の後ろでは肩で息を付く。倒れていた場所から学園までの距離は思っていたよりも短かったが、途中山道があったことと、見るもの全てが畏怖の対象のような気がしてずっと気を張っていた。途中、繋がれた手に安堵したが見慣れない景色にどうしても自分が住んでいた世界との違和感を感じてそわそわしていた。
「伊助、俺は先行って学園長に説明してくるから、さんと一緒に此処で待っててくれるか」
「はい、分かりました」
伊助の返事を聞くと同時に、の視界から兵助が一瞬にして姿を消した。瞬き一つの間に居なくなってしまったことに驚きを隠せない。
さん、とりあえず学園の中で待ちましょう」
「・・・あ、うん」
「どうかしたんですか?」
腕を引かれて我に帰る。不思議そうにを見上げる伊助と目が合い、困ったように笑った。
「あんなに重い荷物持ってるのに、あっという間に居なくなっちゃったから吃驚したの」
「久々知先輩ですか?」
「うん。皆あんなに早いの?」
「いいえ。あそこまで素早いのは上級生と先生達ぐらいです」
下級生にはまだ無理だと伊助は教えてくれる。それは学年を上げるにつれて、伊助もあんな風に成長すると言うことだ。
がいた世界ではどれだけ足が早くても一瞬にしてその場から消えるような芸当が出来る人間はいないだろう。歴史を振り返り、江戸・戦国時代にまで遡っても果たしてそのような芸当が出来た人が居たのか怪しいところだ。やっぱり、ここは自分がいた場所とは違うのだという思いが強まっていく。
さん?」
「ごめん。何でもないよ、行こう」
首を横に振り、今度はが伊助の手を引く。そして忍術学園と書かれた看板を見上げた。知らない世界の中で、唯一知っている場所。自分の中で存在を容認しているだけで安心感は大きく変わってくる。
「あー!ちょっと待ってくださーい」
語尾を伸ばした声が伊助とを引きとめた。にゅ、との前に現れた小松田は先ほど兵助が何かを書いていた紙を差し出す。
「学園に入るなら入門表にサインしてください」
「サイン?」
そういえばこんなシーンを見たことがある気がする。受け取った入門表を覗き込めば、筆で書かれた文字がずらりと並んでいる。あまりにも達筆過ぎてには何と書いてあるか読めなかった。
「えっと、ここに名前を書けばいいんですか?」
「そおです」
筆も渡され、少し悩んでからは自分の名前を書き込む。筆など選択授業で選んだ書道で使った事がある程度だったので随分歪んだ形になってしまった。それでも小松田に渡せばそれで十分だったらしくどうぞ、と快く門の先へと通された。




「おーい、伊助!」
門をくぐり抜けたすぐのところで伊助と共に兵助を待っていたは遠くから聞こえた声にふとそちらを見た。水色に井桁模様の衣類を纏った伊助と同じ歳くらいの子供がこちらに駆け寄ってくる。
「庄左ヱ門!」
隣で伊助が手をあげながら名前を呼ぶ。もちろんにはその名に聞き覚えがあった。
「委員会の買い出し終わったのか?」
「うん。たった今戻ってきたところ」
「あれ、久々知先輩は?それにそちらの方は?」
目が合うとぺこりと頭を下げられた。つられても頭を下げる。
「久々知先輩は学園長の所にいってるよ。こちらはさんっていうんだ」
「・・・こんにちは」
「こんにちは」
さん、こっちは庄左ヱ門っていってぼくと同室なんです」
嬉しそうに紹介する伊助の横で庄左ヱ門の好奇の眼差しを受ける。
は己の格好を見やる。ここに来る途中もそうだった。この時代では見られないだろう服装は、他の人から見たら怪しく映る。通りすがりの人から奇怪な者を見るような眼差しを受ける度、その身を縮ませて歩いた。
庄左ヱ門のその眼差しがそれらとは別のものだということはすぐに分かった。子供特有の珍しい物に興味を示す時の、その視線と同じだ。あの時のような心地悪さはないが、どう反応していいか分からず伊助に助けを求めた。
さん、庄左ヱ門にも話してもいいですか?」
「・・・え?」
「庄左ヱ門はぼく達は組の中じゃ一番頭が良いんです。きっと力になってくれます」
「伊助、どういうこと?」
「まぁ、ちょっと待ってよ。さん、良いですか?」
暫く悩んだ後、は頷いた。


「・・・それは大変でしたね」
しみじみと庄左ヱ門が呟く。伊助が話しだした突拍子もない説明に驚きを隠せない庄左ヱ門だったが、が伊助の説明に補足をしつつ話を進めていけば意外にも彼はそんなことを言った。と伊助は二人して顔を見合わせ、そして庄左ヱ門を見る。伊助は嬉しそうに、は目を丸くして。
「庄ちゃんは相変わらず冷静だね」
伊助の言葉に照れたように笑う庄左ヱ門の姿は歳相応だ。そこには伊助が語ってくれたことを信じて疑わない、子供ならではの純粋さがある。あるいは彼ら二人の友情の証だろうか。
「・・・・・・庄左ヱ門君」
「はい」
「庄左ヱ門君は・・・おかしいとか、怪しいとか思わないの?」
1年生でも忍者のたまご。警戒心だってあるだろうし、中でも庄左ヱ門は1年は組では一番冷静とまで言われている子だ。それに伊助や兵助に説明した時とは状況が違う。伊助の説明は色々と省略されていたし、は異世界から来たと信じてもらう為に伊助と兵助に携帯電話を見せて詳しく話したが、庄左ヱ門にはそれも話していない。伊助には悪いが大雑把過ぎる説明では道端で話したとき以上に信じられるはずがないと思えた。
「思いません」
庄左ヱ門は考える素振りもなくきっぱりと言い切った。
「・・・どうして・・・?」
「だってさん、伊助が説明してる間ずっと不安そうにぼくたちのこと見てましたから」
の目が大きく開かれる。
「信じてもらえるか怖かったんですよね。ぼくにはそれが嘘に見えませんでした」
伊助もだが、庄左ヱ門もそうだ。どうしてこんなにも嬉しいことを言ってくれるんだろう。庄左ヱ門の言うとおりずっと不安だったのだ。伊助と兵助が信じてくれて、安堵した。けれどここに来るまでの中で、その気持ちすら吹き飛ばしてしまうほどの視線を受けた。怖かったのだ。を受け入れてくれたのは偶々だったのかもしれないと、疑ってしまいそうになるほどに。
「それに本当に怪しいなら久々知先輩が学園に連れてくるはずがありません」
自信たっぷりに発言する庄左ヱ門の隣で伊助がにこにこと嬉しそうに笑っている。信じてくれると伊助は言ってくれた。視線が背中に刺さって辛かった道中、握ってくれた手の温さを思い出す。それを一瞬でも疑ってしまいそうになった自分が恥ずかしくなる。
「伊助君、庄左ヱ門君」
「はい」
「何でしょう?」
「ごめんね。それから、ありがとう」
二人に合わせるようしゃがみ込んで、二つの頭を撫でた。




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2008,12,18