壁にかけたカレンダーに罰印を記す。きゅ、と鳴った真新しい黒のマジックペンのキャップをしながら罰印の数を数える。五つ綺麗に並んだそれは戻ってきてからの日数。淡々と過ぎていく日々に不安を覚えないといったら嘘ではない。取り戻した日常に組み込まれてしまった二人の存在は大きく、また完全な日常と言えない現状はむしろ異常だと断言できる。それでも帰す方法を知らぬには成す術もなく、二人にしてあげれることもないに等しい。精々過ごしやすい環境を作ってあげることくらい。とは言っても外出を控えた中で、できることなど少なくやはり結果的に大したことはしていない。食料の買い出し等も二人を置いて一人で出かけることも多いので肩身の狭い思いをさせていたかもしれない。 はカレンダーを見上げた。今日の日付に乱雑な字で書かれているのは自分の筆跡。今日はの通っていた学校の終業式だった。つまりは夏休みの始まり。街には学生が溢れ返り、昼間でも子供の姿が見られるようになるだろう。そうなれば少しは外に出やすくなる。連れ出すことが目的ではないが、家の中に閉じこもってばかりいるのも辛いだろう。夏休みは不幸中の幸いと言えた。 「伊助君、団蔵君」 「なんですか―?」 フローリングの床に寝そべりトランプをする二人から生返事が返ってくる。カルタのようなカードゲームであるトランプを教えてみたら思いのほか興味を持ったらしく昨日からずっと遊んでいる。結った髪が扇風機に揺れるのが馬の尻尾のようだと思いながら二人の傍へと移動し、しゃがみこむ。 「今日の夕飯の買い出し、一緒に行こうか」 「え!?いいんですか?」 目をまんまるにして見上げてくる二人に頷いて笑う。 「もう少ししたら出かけるから今のゲームが終わったら準備してね」 先に準備を始めるつもりではすぐに立ち上がりリビングから出ていく。「はーい」と二つの返事が背中に届いたのにひっそりと微笑みながら階段を上り二階へと上がる。準備といってもそうすることもない二人はトランプを片づけ終えれば玄関で待っているだろう。もバックを手にしてまたすぐ階段を下りる。念のため、財布の中身を確認することは忘れない。食堂のおばちゃんに様々な料理を教えてもらい、また節約の技術も習ったので出費は思っていたよりも抑えられている。これは嬉しい誤算だった。 バックを肩から提げ、両手は団蔵・伊助とそれぞれとしっかりと繋ぐ。逸れるようなことはないと思うが、何かあったら困るし外に不慣れな二人の為にもそれが最善だろう。自宅から少し離れたスーパーへと向かう。距離はあるが、そこは近場よりも広い。店へと入り、先ずはカゴを手にしながら献立を考える。実家で一人暮らしの時は食べたいものを作って食べるといった偏った食事になっていたがさすがに今同じことをするわけにはいかない。伊助にも団蔵にもバランスの摂れた食事をしてほしいと思うし、食堂のおばちゃんんに教わったことを無駄にはしたくない。しかし献立を考えていたのはおばちゃんだ。は指示に従っていただけ。自分で考えなければならなくなって改めておばちゃんの凄さを実感した。 「うーん、どうしたものかなぁ」 彩り鮮やかに並ぶ野菜とその値段とを見比べていく。献立を考える上で値段も配慮すべき重要な点だ。忍術学園での日々の賜物のおかげか野菜の良し悪しは目利き出来るようになった。とりあえずとばかりに切らしていた人参を手に取る。使い道は決まってないが、買っておいても損はない。その他にも必要そうなものや使えそうなものは値段を気にしながらカゴに入れていく。その間、団蔵と伊助は店内を見渡したりの買い物カゴの中を覗いたりと忙しない。買い出しに連れてきたはいいが、特にすることもない二人には暇だろうかとも思ったがそれなりに楽しそうだった。 「二人とも、この店の中だったら好きに見て回ってもいいよ」 うずうずと動き回りたそうな団蔵には苦笑する。 「いいんですか?」 「うん。それと一つだけ好きなものを買うことも許しちゃおう」 きらきらと輝く瞳はとても素直だ。 「ただし、お店からは出ないこと、走り回らないこと、他の人に迷惑をかけないこと。これが条件。守れる?」 伊助と団蔵が顔を見合わせて頷きあう。 「それと困ったことがあったらすぐに私を呼んでね」 店内は広いといってもたかが知れてるし、向かう先となればお菓子売り場などが妥当だろう。探そうと思えばおそらくすぐに見つけることは出来るはずだ。野菜売り場から離れていく二人の背を少しばかり見送ってから買い物を再開した。 ずらりと並べられた様々な豆腐を見つけると脳裏に自然と浮かぶのは兵助のことだった。豆腐料理が好きなのだと知った時、一緒にいた三郎にからかわれていた姿が思いだされる。豆腐小僧と呼ばれることを否定するのに、豆腐料理の日の彼の顔はいつにもまして嬉しそうだった。 ああ、なんて懐かしい。 なんとなしに感じた感情に眼をぱちり、と瞬く。ほんの少し前の出来事のはずなのに、ずっと昔のことのようだ。 色々と助けてもらい気を配ってくれていた。お礼がしたいと思って、それを伝えたばかりだったのに。何も出来ぬまま戻ってきてしまった。ありがとうと、言葉さえちゃんと言えないまま。兵助だけじゃなく、三郎や雷蔵達にだって何も返せていない。 一人ひとりに丁寧にお礼をしてそれじゃあさようなら、なんてそんな上手いタイミングで帰れるはずがないことくらいわかっていた。団蔵や伊助の件は別にして、むしろ帰り方すら分からなかった中で戻れたことを素直に喜ぶべきなのも分かっているけど、心が納得していない。矛盾していると分かっていた。でも気付かない振りをずっとしている。今大切なのは巻き込んでしまった二人のことだと他のことは頭から追いやった。 けれどふとした時に思い出す向こうのことは辛くて不安で怖かったけれど、温かくもあった。もう一度だけ会いたい。戻りたいと。一瞬でも、いや何度も思った。居座りたいわけじゃない、自分の生きる場所はこの世界の此処だって知っている。でも叶うなら一度だけと。都合のいい望みだ。あまりにも浅はかすぎて反吐が出る。皆の前で帰りたいとまで泣きじゃくって迷惑をかけた癖に。 「さん?」 くい、と服の袖を引かれハッとなる。いつの間にかすぐ側に伊助がいた。 「どうかしたんですか?」 眉尻が下げ、見上げてくるその顔が心配だと告げている。ああ、しまったと慌てて笑みを取り繕う。 「何でもないよ。今日の夕飯何にしようかなって考え込んでただけ」 「・・・ほんとうですか?」 「うん」 真意を探るような眼差しに苦笑いする。アホのは組と呼ばれようとも彼らは言われるほどアホではないと過ごすうちに感じるようになった。実戦経験の賜物か、時にどきりとさせられるほど鋭さを見せることがある。もとより、素人のにしてみれば一年生と言えど侮れないと思う。 「あ、さん!僕今日の夕食は豆腐料理がいいなぁ」 じっと見つめられること数秒、伊助の意識は目の前のコーナー、つまりは豆腐へと移る。誤魔化されてくれたのか、気を遣われたのかは分からない。しかしそんなことを考えるよりも伊助の発言に気が引かれた。 「豆腐料理?」 「はい。お豆腐見てたら何だか久々知先輩を思い出しちゃって」 えへへ、と笑う。やはり兵助の豆腐好きは他の学年にすらも浸透しているらしい。照れたように笑う瞳の中には思い出した出来事が広がっているのだろう。上手い言葉が見つからずはその頭をゆっくりと撫でた。 「じゃあ兵助君も吃驚するような美味しい豆腐料理にしよう」 「それいいですね!」 「ね!もちろん兵助君には内緒ね」 少し多めに豆腐をカゴに入れる。豆腐料理に詳しいわけではないが、豆腐ダイエット等と言う言葉も聞くこの時代、インターネット等で検索すれば色々とヒットするだろう。とは言ってもの中で既に豆腐料理ならば、と思い当ったものがある。 「やっぱり麻婆豆腐かな」 こそっと呟く。こちらの世界にしかない料理。それを知った時の悔しがる兵助の表情を思い浮かべてくすりと笑えば伊助と眼が合った。同じことを考えたのか伊助も同じように笑う。 その笑顔を見ていると醜い心も洗われるような気がした。 BACK : TOP : NEXT 2010,06,05 |