「伊助君は買いたいもの決まったの?」
豆腐のコーナーから移動しながらも何故かそのままついてくる伊助へと問いかける。何も手にしていないところを見ると決まってるとは思えない。案の定、伊助は首を横に振る。そして垂れるように俯いた姿を見て、伊助へと向き直った。
「オススメ…さんのオススメがいいです」
「私の?」
「はい。見てても全然分からないんですもん」
くい、と上げられた顔はにっこりと笑っている。
・・・強い。そして逞しいと思う。
伊助も団蔵も、こちらに来てから弱音一つ吐いていない。二人を見つけたその時こそ不安でいっぱいの顔をしていたけれど、その後と言えば驚くべきほどの順応能力を発揮させ、この世界を享受しようとしている。
いや、そう見えただけなのかもしれない。が気付けなかっただけで、そこには様々な思いが渦巻いていたのではないか。伊助の今の笑顔を見ているとそう思う。
「伊助君、我慢しないでね」
事実をそのまま当然のように受け入れないでほしいと思う。
二人はに向けてにこりと笑うから、綺麗に騙されていた。突如知らない世界に来て平気な人間がどこにいる。いくら平和と呼ばれるこの時代とて、彼らの心が平穏そのものなわけがない。
思ったことは言ってほしい。自分のことを棚に上げて、と思わなくはないがそれとこれとは話は別。どんな些細なことだって伝えてほしい。二人にしてあげられることはないけど、だから心まで偽らないでと願う。
下級生でも忍たまは忍たま。嘘を見抜くことは容易ではない。けれど彼らはまだ一年生だから、ボロはどこかで出るものだ。見逃してしまえばそれだけの話だが、は間一髪気付くことの出来た。それは相手が一番長く接してきた伊助だった故か。もしくは表情豊かで嘘が下手な団蔵がいたからか。答えはきっとどちらもだ。
「さ、団蔵君を呼びに行こうか」
伊助の手をとって歩き出す。二人一緒に居るだろうと思って許可した自由行動。今現在、団蔵は一人となるとを放って買い物を続けるのは些か心配だ。お菓子コーナーはどの辺りだったかと店内の構図を思い浮かべれば、握り返された手が主張するように力が込められた。
「お豆腐を見てたら、久々知先輩を思い出したんです。そうしたらタカ丸さんや三郎次先輩を思い出して・・・、それから土井先生を思い出したんです」
芋づる式で広がっていったのか。
土井先生にまで辿り着けばあとは簡単だ。土井先生と同じ1年は組の担任の山田先生、そしては組の生徒達。親しんだあの学園の中でも一番親しんだ人たち。思い出さずにいる方が難しいに決まってる。
さん」
「・・・ん?」
見上げてくる伊助の顔はやはり笑っていた。その笑みは脆いように見え、今にも崩れそうなのに必死に耐えている。我慢しないでね、なんて言ったところで効果は然程ないらしい。もどかしいような気さえする。握りしめてくる手の強さがだけ助けを求めてくれているようで、も同じだけ握り返す。言葉よりも欲しいのは存在そのものなんだろう。結局は帰してあげなければ心は晴れない。そのことはが一番痛感している。
「帰ったら、皆にこっちでのこといっぱい話してあげるんです」
「・・・うん」
「こんな体験普通じゃ出来ないですもんね、きっと皆羨ましがります。庄ちゃんも・・・庄ちゃんの悔しそうな顔見て、笑ってやるんです」
「庄左ヱ門君の悔しそうな顔、想像出来ないなぁ」
「僕もです。だから、うんと自慢出来るような思いで作って、それで・・・帰るんです」
きっぱり帰ると伊助は言う。強い意思。不明瞭な現状でそう断言出来る強さは純粋に羨ましい。臆病にも怯えてばかりいたとは大違い。その強さこそが忍を目指して学園ですごしてきた彼らの核だろうか。
歯痒いなと思う。結局に出来ることは聞くことだけ。そこからどうしてやることも出来ない。気を紛らわせて、少しでも和ませてあげることくらい。
「じゃあ思い出作るためにも美味しい料理作らなきゃね」
カゴの中には幾つかの野菜と豆腐のみ。これじゃあ材料がまだまだ足りない。
「先ずは団蔵君呼んでこようか」
「ですね」
つられるように中を覗き込んだ伊助と苦笑し合った。








団蔵と伊助、が姿を消した学園は一見、いつもと変わらぬように時が過ぎていた。突如として姿を消した三人の噂は瞬く間に学園内へと広まり収集がつかなくなったことによって学園長より説明がされた。予想だもしなかったの素性にどよめきが起きる。それが酷い騒ぎにまで至らなかったのは動揺を見せなかった五・六年生の姿があったからだろう。四年生は何故をあれほどまでに警戒視していた理由をここにきて漸く察し、また取り乱しはしない先輩方を見て、彼等がどんな判断を下したのかを知った。下級生達は驚きを隠せずざわついたが学園長の一括によって黙らされ、信じる信じまいは各自の判断に任せると告げた。
そして彼らの捜索は今後も教師達のみで引き続き行う旨を告げ、それにて解散となった。つまり、忍たま達は一切関わるなと言う事。万が一、彼女が敵の手の者だった時のことを考えての対策の意味に気付いたのは上級生のみだろう。



三人が姿を消してから既に数日。毎晩教師達が捜索に出ているようだが今のところ収穫はない様子。そうなると、学園長が告げた言葉が真実味を増してくる。別世界から来たという、あの事実に三木ヱ門は少なからず動揺した一人だった。教師達が彼女を監視していたのはその為だったのだ。おそらく試験と称して上級生が試されたのはついでなのだろう。何てことはない、学園長のいつもの思いつきに決まっている。
しかし、その試験が終了すると共に彼女への監視はそのまま綺麗になくなった。丁度その直後に三木ヱ門は彼女と初めて会話をし、それ以降も接触する機会が増えた為に監視の目がないことには気付いた。危険ではないと判断された為、なのだろう。それ以外に理由などない。つまり、学園全体の答えとしてはがこの時代の人間ではないことを認めたのだ。
自分達の知らぬところでそんな重要な決定されていた事になんとなく納得はいかなかった。それに学園の下した判断に反論するつもりはないが、そのまま信じ切ってしまうのは如何なものかとも思う。が怪しいとは思わないが、別世界から来たなどとそんなこと到底信じれるはずがない。
だが現実にの姿は消え、同時に彼女と一緒にいた団蔵と伊助もいなくなった。彼女が犯人だとしても女の足で二人を連れてそう遠くまで逃げる事など不可能であるし、痕跡すら残さぬなど無理な話だ。ましてや団蔵と伊助もたまごであれど忍者を目指すもの。そう大人しく連れられるはずもない。仲間が居たとしても姿が消えたというその場所には庄左ヱ門が取り残されていたのだ、その姿が目撃されていないと言うのは聊かおかしい。
だとすれば、やはり彼女が別世界からやって来た人間で、また元の世界に戻ってしまったという仮説の方が可能性としてあり得るのではないかとも思えてきてしまう。
あるいは、どこかの手の者に三人揃ってかどわかされたか。しかし、それはそれで庄左ヱ門一人だけをその場に残した疑問が残る。


「潮江先輩はどうお考えですか」
算盤を弾く文次郎の手が止まる。
いつもの委員会。時刻は深夜。
半刻程前に下級生は長屋に帰した為に今この会計室には文次郎と三木ヱ門の二人しかいない。
「あの女のことか?」
「そうです」
学園長から説明がなされた時、ほとんどの生徒達が驚きざわついたが五・六年生だけは黙ってそれを聞いていた。恐らく彼らは既にの事情について聞かされていたのだろう。何とも言い難い顔で報告を聞く五年生と、表情には出さずとも何やら考え込んでいるのが見て取れる六年生。彼らが内心で何を思ったのか。それを聞けばこの気持ちも少しは定まるのではないか。
「知ってらしたんですよね?」
三木ヱ門の手はすっかり止まっていた。実は始めからそう進んではいない。意識を別のところに持って行かれたままのこの状況ではちっとも終わりなど見えてこない。左吉と左門が帰されたのも似たような理由だ。彼らの場合はもっとシンプル。帰ってこないや団蔵が心配なのだろう。
下級生は戸惑いながらも彼女を信じてもいいのではないかという傾向だ。恐らくはが二人と共に戻ってきた時、それは確立される。間者ならば一度潜り込んだ場所に戻るなど死を意味するも同然だ。そのリスクを背負ってまで戻る意味がない。下級生でもそれくらいは分かる。だから、戻って来た時は彼女を信じてもいいのだと思うだろう。何があったのかは団蔵や伊助が語ってくれる筈だから。
三木ヱ門も信じたいという思いはある。
「俺はあの人を信じきっちゃいない」
厳かな声が耳に届く。三木ヱ門が文次郎を見た。
腕を組み眼を閉じる様子は文次郎の中でも何かまだ思案してる最中ではないのかと思わせる。
文次郎の中でも何か思うことがあるのだろう。
「だが、敵の間者ではないだろう。あれがそうだったら間抜けすぎる。それにあの女の手は綺麗すぎると言った伊作の言葉が嘘だとは思えない」
まじまじと彼女の手など見たこともない三木ヱ門にはそれに同意する術を持たなかったが、保険委員長として幾人もの手を見たことがある伊作が言うのだからそれは信憑性があるだろう。
「他にも…あの女が間者だとすると納得が行かない部分は、ありすぎる」
はぁ、と文次郎は重い溜息を吐きだす。
「それでも、信じていないと」
「疑う事が忍の基本だからな」
お堅いと言われればそれまでだが、それでこその潮江文次郎。三木ヱ門はその頑なさにふっと密かに笑った。その刹那に文次郎尾の視線が三木ヱ門を捉えるものだから、慌てて表情を取り繕う。
「三木ヱ門、お前はお前の意思で決めろよ。学園長もそう言ってただろう」
迷っていたことを見事に指摘され、三木ヱ門の表情は崩れる。流されるなと言外に告げる文次郎は後輩の惑いを見逃してくれるような甘い性格はしていない。
「ま、何にしてもとっとと戻ってきてもらいたいもんだ」
パチリと算盤を一つ弾く。
今、会計委員会の士気は恐ろしく低い。原因など言うまでもない。と共に居なくなってしまった後輩は左吉に比べれば計算は遅いし、解読すら難しい字を書く癖にいつの間にかムードメーカーになっていたらしい。団蔵が居ない事で下級生の気はそぞろで仕事が進まない。今日、二人が帰された理由もそれだった。
「…そうですね」
「無駄話は此処までだ。今日中に終わらせるぞ」
「はい」
再び算盤を弾きながら帳簿を向き合う文次郎に倣うように三木ヱ門も視線を手元へと落とす。計算を再開しようとして、ふとあることに気付く。
を信じ切ってはいない、と言いながらも文次郎は大人しく学園長の指示に従っている。少しでも彼女を疑っているのならば、団蔵達が姿を消した原因の一つに彼女がかどわかしたという考えも浮かび上がるだろう。その可能性があるならば、彼は真相を突き止めようと動こうとするのではないか。特に今回は自身の委員会の後輩が直接関係しているのだ。
この学園の生徒は良くも悪くも大人しく従うだけの輩ではない。なのに、こうして学園に留まっているということは文次郎の中にも少なからず を信じてみようという思いがあるのではないか。
いつも以上に眉間にシワを寄せて計算をする姿を観察しながら思う。
「潮江先輩」
「なんだ?話は終わりだと言っただろう」
文次郎の手は止まらない。視線も帳簿へと向けられたままだ。
「私は…さんを信じたいと思います」
「…そうか」
一瞬、その手が止まった。が、すぐにまた動き出す。
それを機に会話はふつりと切れ、何事もなかったように夜が更けていった。





BACK : TOP : NEXT


2010,06,16