こことは全く別の世界からやってきて、道端に倒れていたところを兵助が見つけて連れてきたという女の子。雷蔵が語り出す不可思議なその出来事を頭の中で整理していく中で辿り着いた結論は「怪しい」の一言だった。素直な感想を述べてみれば雷蔵は苦笑するだけ。その顔は聞かずとも、彼とて一度はそう思ったのだと言外に告げていた。疑ってかかることは忍にとって常套手段。そうであるようにと言い聞かせられ、学年があがるにつれ警戒心は強まっていく。おそらく勘右衛門と同じことは上級生の誰もが思ったことなんだろう。話を聞いただけならば誰だって疑ってしまうような状況下。まだまだ無垢で幼い下級生達はともかく、忍としての才覚が鋭く研ぎ澄まれはじめているのならば、そう易々と受け入れることはしない。 そしてそれは、兵助も、憂いの眼で満ちた月を見上げる雷蔵達だって同じ筈だった。仮にも最上級生に次ぐ学年。学園や後輩を思うのならばもっと執拗に疑ってかかるべきだ。六年生や教師達がいるから安心だと放置するような性格じゃないことを勘右衛門はよく知っている。 しかし、現状を紐解けばこの学園の中の誰よりも彼らは彼女と親しかったようだ。信用に値する何かを彼らは知ったのか、それとも4人が4人とも絆されたのか。その判断を勘右衛門はまだ出来ない。そうするための材料が足りない。 「さんのこと、疑ってる?」 心情を読みとったかのような一言に勘右衛門はくすりと笑った。 「そうだね。今のところの結論としては」 だってやっぱり怪しいんだもん。おどけたように言ってみれば雷蔵も少し頬を緩ませた。 「僕から見たさんの意見ならいくらでも話してあげるよ。でも、勘右衛門はそれだけじゃあ納得しないんだろう?」 「んー多分そうなんだろうなぁ」 人差し指を顎にあてて考える素振りをする。他人の言葉を鵜呑みには出来ない。これは性格上の問題でもあれば、やはり忍を志すものとしてそうであるべきだと分かっているからか。しかし、雷蔵は勘右衛門にとっては信頼に値する大事な大事な友人だ。その彼が紡ぐ言葉を突っぱねることもきっとしない。雷蔵とて忍を目指す者であり、そんな彼が出した答えだ。そこには彼女を信じるだけの何かが含まれていることは間違いない。 勘右衛門に出来ることは少しでもという人間の情報を得ることだけ。ならば同じことを八左ヱ門や三郎にも聞くべきだろう。彼らが何を見て、知って、彼女を受け入れたのか。知ることは大事だ。 「でも、それなら兵助に聞くのが一番だと思うよ」 雷蔵の言葉に、勘右衛門は同室の友人の姿を思い浮かべた。 「彼女を連れて来たのは兵助だから。その兵助が信用したからこそ、僕たちは他の人よりさんに対する警戒心は薄れてたとは思うしね」 そう、元を辿ればそこなんだろう。三郎も八左ヱ門も同じなんだろう。あの兵助が、連れてきたという、その時点で受け入れようという心が生まれてしまったに違いない。そして、何も知らない勘右衛門が、見たこともない女を疑いきれないのは兵助が彼女を連れてきたという事実があるから。 兵助とは長い付き合いだ。だから兵助のことはよく理解している。 道端で倒れていたからってそれだけで学園に連れてこようと思う兵助じゃない。仮に伊助がせがんだとしても、動こうとはしないだろう。兵助を突き動かすだけの何かがあったのだ、きっと。三郎の次くらいに疑り深い兵助の警戒心を緩ませた何か。それを知れば自分も彼女を信じようと思えるだろうか。 否、無理だろうなぁ。 自嘲的に笑ってみせる。 だって勘右衛門はに会ったことがない。見たことも、会ったこともない人間を信用できるような性格はしていない。彼女への印象は、会って話してそれから決めるべきものだ。友人達の意見はもちろん受け入れる。でも流されはしない。それはあくまでも彼らの意見であって自分のものじゃない。その意見を踏まえた上で、彼女を見て判断は下す。その結果が信用に値するものでなければ―――。 「信じたい、とは思うけどね」 浮かんでしまった最悪の結果を取り払って勘右衛門は独り言のように呟く。だって、彼女の姿が消えたと知った時のあの兵助の様子。あれはどう見たってそうであるとしか思えない。本人はこれっぽっちも気付いていないようだけど、それもしょうがない。兵助はおそろしくその方面に関しては鈍いから。 「とにかく、さんだっけ?会ってみたいなぁ」 と、彼女と一緒に消えた伊助と団蔵を探し回る三人を余所に呑気そうに笑う。事態はきっと深刻で、だから雷蔵も先ほどからずっとこの場から動こうとはしない。三人の帰りを待っている。何の収穫も得られないだろうことを予想しながらも。 「会えるよ、きっと」 そう応える雷蔵の声こそが、それを強く願っているように聞こえた。 いつもよりも随分と遅れた就寝。蝋燭の灯がゆらめくのを見つめながら隣の兵助の様子を窺えば明らかにいつもとは違っていた。三人が持ち帰った収穫はゼロ。分かりきってはいたが、これで彼女が元の世界に戻った可能性は高くなったわけだ。とは言っても勘右衛門にしてみれば別世界から来たというそれもまだ信じられないので何とも言い難いのだけど。 「兵助」 きょとりとした眼が勘右衛門を捉える。一見、いつもと変わらないように見えるが誤魔化されてしまうほど付き合いは短くない。や伊助のことを気にしていることが見て取れる様子に本当に兵助は彼女に気を許しきっているのだなぁと感じる。 「さんってどんな人?」 大きく開かれた瞳がパチパチと瞬きをする。 「雷蔵から聞いたんじゃないのか」 「兵助から見たらってことだよ。どうして、受け入れようと思ったの」 全ての始まりは兵助が彼女と出会ったから。その出会いがあって今がある。兵助が、学園に連れて帰ろうと思うほどの理由が知りたかった。 「・・・勘ちゃんは、相変わらず用心深い」 「忍になるならその方がいいじゃん」 それに疑うことは道理であって、間違ってなどいない。いつもの調子でからから笑う勘右衛門に兵助が溜息をついた。兵助とて勘右衛門の性格は熟知している。その笑顔は話すまで引かないと告げている。 「嘘をついてるように見えなかったから」 「・・・それだけ?」 「ああ。あの表情は、眼は、嘘なんかじゃなかった。全部真実だって物語ってた。忍としての培ってきた経験と勘でそう判断したんだ」 強い口調が勘右衛門の印象に残る。一体、という人はどんな眼を、表情をしていたのか。この頑固者を突き動かすだけの絶望の色とはどれほどのものか。五年にもなれば野外実習も少なくはない。そこで死したも同然の眼をした人間と出会ったことだってある。出来れば思い出したくもないその光景は、だからなのか余計に焼き付いて離れない。あれと同等か、それ以上なのか。 「そっか」 その絶望一色に染まった彼女を雷蔵は知らないという。兵助だけが知る事実。彼女に会ったところで勘右衛門は知ることが出来ないこと。他人の意見は鵜呑みにはしない。でも、これだけきっぱり言い切る兵助の言葉くらいは信用してもいいかな。だってその長い睫に縁取られた双眸は同情したわけでも、絆されたわけでもなさそうだったから。文武両道で成績優秀な五年い組の久々知兵助として学園には害を及ぼさない人だと判断したみたいだから。 けれど、それを信用したからって会ってもいない彼女を受け入れるかと言えばやはり違うのだけど。 自分も相当頑なだなぁと思いながらもそうあるべきだと思っているからそれでいい。 「勘ちゃん」 「ん?」 「さんが戻ってきたら・・・ちゃんと会って話して。決めるのはそれからでいいよ」 戻ってきたらと告げる声がどこか弱々しく聞こえるのに、強い思いが込められている。だというのに、こちらの意図を見通してそんなことを言う友人に勘右衛門は苦笑するしかなかった。 BACK : TOP : NEXT 2010,05,10 |