夢だと言ってほしかった。気付いたら知らない場所に居たことも。それが幼い頃大好きだったアニメの世界だったことも。此処に飛ばされる直前の出来事も。痛みを感じた覚えはない。この体にも車と衝突したと言う証拠は残っていない。ざっと見た己の体には痣の一つもなければかすり傷すら見られない。
接触する直前、こちらの世界に飛ばされたのか。それともこちらに来たことであちらで感じていた痛みが消えたのか。どちらにしても確かめる術すらにはなかった。ただ途方もなく、この手に戻ってきた携帯電話を握り締める。
あちらの世界ではどうなってしまっているのか。衝突する直前で人が消えてしまったとことで大きな問題となっていなければいい。ニュースなんかで取り上げられるなんてことは、さすがにないとは思うけれど。直前まで電話をしていた母も、いきなり通じなくなって心配しているかもしれない。不安要素ばかりが次々と見つかるのに解決策がどこにも見当たらない。
こちらの世界にしてもそうだ。いくら幼い頃から見てきた世界だとしても、此処はにとっては未知の世界には変わりない。


「お姉さん、どこか痛むんですか?」
頭を垂らすを眉をハの字にさせた伊助が覗き込む。はぼんやりと伊助を見つめ返す。
「どう、して?」
「だって、泣きそうな顔してます」
そう言う伊助の顔こそ今にも泣き出しそうだった。きくつ携帯を握り締めたその手とは反対の腕を動かし伊助の頭を優しく撫でた。
「大丈夫。ごめんね、大丈夫だから・・・」
会ったばかりの、おまけにどう考えても怪しいと思われているだろう自分を心配してくれる伊助の優しい気持ちに何とか答えようと無理矢理に笑ってみせる。けれど、やはり上手くは笑えていなかったのだろう。伊助の表情は変わらない。それどころかオロオロとし始めて隣の少年を見上げた。
自然との視線も隣の少年に移った。未だに混乱する頭の中で伊助が先ほど口にした名前を思い出す。

久々知先輩。
聞き覚えがあると思っていたその名と、彼の顔を見つめる。そうして漸く思い出した。そうだ。あまりにも登場人物が多いから顔と名前が一致していなかっただけで、は彼を知っていた。

久々知兵助。
伊助とは同じ火薬委員会に所属している5年生の生徒だ。


「あの、すみません」
「っ、はい」
伊助の視線に促される形で口を開いた兵助にの声は上擦る。あかさらまな怯えた態度に兵助が苦笑する。
「そんなに警戒しないでください。何もしませんから」
「あ・・・すみません」
「何があったか話してもらえませんか?そんな状態の貴方を置いて学園に帰るわけにもいきませんから」
何より伊助がそれを良しとしないだろう。口を挟むべきではないと思っているのか黙ってを見上げている後輩が1年は組だと言うことを兵助は改めて思い出す。別に目の前の彼女を厄介者だと思うつもりはないが、何となくこのまま事がすんなり進む予感はしなかった。

数秒の無言。若干俯いた彼女が口を開くのを静かに待った。怪しい、怪しくないは話を聞いてからでも十分判断できる。けれど兵助の中での彼女に対する警戒心は始めと比べれば薄れていた。
先ほど彼女の瞳に宿ったのは絶望の色一色だった。血の気の引いた顔に、伊助の言うように今にも泣き出しそうな表情は演技でやれと言われてもそうそう簡単に出来るものではない。心配する伊助に向かって必死に笑おうとする姿に嘘偽りはないように思えた。
少しは持ち直したその双眸は先ほどよりはマシだが、まだ絶望の影がちらついている。目は口ほどにものを言うとはよく言ったもので、彼女の心情をよく表していた。

暫くして、何かを決意したように顔があげられる。
「信じてもらえないことを承知で言います」
神妙な面持ちだったが、その声は思っていたよりも落ち着いていた。


「私、この時代の人間じゃないんです」




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2008,12,11