の過ごした世界が今目の前に広がっている。
ここは伊助にとっては未知の世界。己の常識などきっと通用しない。何が正しくて何が間違っていて、どれが常識で非常識なのかも知れない、そんな場所。ここがどこなのかも知らなければ、この眩くも光るものが何なのかも分からない。
異世界なのだと認識した途端、伊助の体は静かに震えた。知らないことへの恐怖が伊助を包み込む。
「・・・伊助?」
呼ばれた声に伊助はそろそろと其方を見た。困惑を顔いっぱいに広げた団蔵の、その存在に伊助はほっとする。放り出された世界で、自分は一人ではない。その安心感に僅かながらも落ち着く。同時に、しっかりしなければと己を叱咤する心の余裕も生まれた。
「伊助、どうしたんだよ?」
「団蔵・・・落ち着いて、落ち着いて聞いてよ」
「う、うん」
団蔵に向き合って、伊助は自分も落ち着かせるように一度大きく深呼吸した。
それからその肩を強く掴む。
「ここは僕たちがいた世界とは違うんだ」
「え・・・?」
「ここは、さんの世界だ」
「どういうこと?」
ますます混乱している団蔵に、伊助は語り出す。始まりを。委員会の帰り道に倒れているを見つけたところから、彼女が語ったこと、それを伊助が信じたこと。学園長での庵のことも。ここがの元々暮らしていた世界なのだとすれば教えなければ話も進まない。

「じゃあ僕たちはさんの世界に来ちゃったの?」
戸惑いながらも状況の所為なのかすんなりと話に納得してくれた団蔵に一安心しつつも伊助は顔を強張らせて慎重に頷く。証拠など何処にもないが、その可能性がもっとも高いに違いない。
さんと庄左ヱ門もこっちにきてるのか?」
「それはわかんないよ。だって今ここにいるのは僕と団蔵だけだし」
団蔵は改めて辺りをゆっくりと見渡した。頭上に位置する光が周囲を照らし、夜だと言うのに視界は十分に明るい。それでもと庄左ヱ門の姿を捉えることは出来なかった。
「伊助、どうしよう」
行く宛てなど勿論ない。伊助たちの世界に来たが全ての事にびくつき怯えていたことが思い出させば、この世界を知らない者が下手に動き回ることは危険だろう。先ほども感じた畏怖が伊助の中にそろそろと忍び寄る。
どうしよう、と言われても伊助だってどうすればいいのか分からない。困ったときはいつだって隣には庄左ヱ門が居た。伊助はただ同じように隣に問いかければ答えは全て彼が考えて教えてくれた。だからか、こういう場面に慣れてはいない。でも、今頼れるのは自分だけだ。どうしようどうしようと繰り返しながらも必死に考える。
2人とも、余りにも自分達のことに精一杯で気づかなかった。
すぐ傍まで人が近づいてきているのを。
「そこの君たち」
忍の卵なのにまだまだ気配に疎い2人の肩はびくりと跳ね上がった。






伊助と団蔵と、それからの姿が一瞬にして消えた。目の前で起こった出来事に庄左ヱ門は暫く呆然と立ち尽くしていたがその頭はゆっくりと回転し始める。ほんの一瞬だった。目を瞑った刹那の間で、次に庄左ヱ門が目を開けた時には三人の姿は忽然と消えていた。
庄左ヱ門は三人が居たはずの空間をじっと見つめる。まるではじめからそこには誰もいなかったように形跡など残っていないが、自分の記憶を疑うほどに庄左ヱ門は取り乱してはいない。確かについ先ほどまで三人はいたのだ。それは間違いない。だったら一瞬の間に何処にいってしまったのか。気になったのは三人の姿が消えてしまう直前の事だ。
これ以上遅くなるのはまだ学園の外に慣れていないには負担がかかるから「急ぎましょう」と庄左ヱ門は声をかけた。しかしは眉を寄せながら庄左ヱ門を見た。何て言ったの、とそんな顔をしているに庄左ヱ門はもう一度同じ事を口にしたがそれすらも伝わっていない様子だった。聞こえない筈がないのに、分からないと首を振るに今度は庄左ヱ門が不思議な顔をする番だった。どうして聞こえないんだろう。そんな事を思った矢先にあの風が吹いたのだ。ぶわっと迫った身を切るような冷たい風に視界を閉ざしてしまったその瞬間、三つの気配が跡形も無く消えた。
それが意味しているのは何なのか。ぼんやりとだが答えが見えた気がした時だった。

「おや、庄左ヱ門?」

どこかのんびりとした口調で呼ばれた庄左ヱ門は振り返った先の姿に眼を丸くした。
「尾浜勘右衛門先輩」
「やぁ、久しぶりだね。にしてもこんなところに一人でどうしたんだい?」
軽く片手を上げて挨拶をしたのは五年い組の尾浜勘右衛門。
委員会の先輩でもある三郎とも親しい彼とは庄左ヱ門も幾度か話したことはあった。
「先輩こそ、確か家のご事情で暫く郷里に戻ってらしたんですよね?」
「そうそう。ようやく戻ってこれたんだよ」
朗らかに笑う勘右衛門が学園を離れたのはが来るほんの少し前だった。予め学園に長期の休暇を申請し許可を貰い、暫く学園を空けていたのだ。通常、休暇など認められるはずもないがそこは各々の家庭・村等の事情というものがある。無断となれば許されるものではないが、事情を伝え申請さえすればそれも許可がおりる。ただ一月近くも学園を空けていたので当然ながらその間に受けることのできなかった授業は補習という形でまわってくるのだが。勘右衛門の場合は、間もなく訪れる夏休みが丸々潰れることだろう。
「それでどうしてこんなところに?」
話は戻される。
上手い具合に入れ違いになってしまったために彼はを知らない。
話すとなると始まりから説明しなければならなくなる。その時間が今は惜しい。
「それは後で話します。今は一刻も早く学園に戻りたいんです」
瞬きもせず庄左ヱ門はじっと勘右衛門を見上げる。
「・・・そうか。じゃあ先ずは学園に帰ろうか」
「はい」
「庄左ヱ門、少し急ぐけどついてこれそうかな?」
「はい」
「よし、辛くなったらすぐに言うんだよ」
ポンと頭を撫でられ、それから勘右衛門が走り出す。庄左ヱ門はその背を追った。五年生の足についていくだけで精一杯で息はすぐに切れる。時折後ろを振り返っては気遣ってくれる勘右衛門に「大丈夫です」と答えるのが精一杯だった。





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2009,12,04


迷いに迷って登場させました。無理矢理です、ごめんなさい。
ギリギリセーフだろと自分に言い聞かせてます。