「お嬢さん、寄ってかないかい?」 声をかけられたは思わぬことに足を止めてしまう。人の良さそうな中年の男性だった。と目が合うと人の良さそうな笑みを浮かべる。偶然にも開かれていた市にあちこちと忙しなく目を動かしていたに目敏くも気付いたのだろう。にこやかに手招きまでされ、は戸惑いがちに庄左ヱ門を見た。 「ちょっとくらいなら大丈夫ですよ。気になるなら見ていきますか?」 おばちゃんから頼まれた品は買った。自身が欲しいと思っていた砂糖と牛乳も購入した。必要な物は全て揃え、後は時刻を気にしながら学園に帰るだけ。陽の位置を確認した庄左ヱ門の言葉に押されてはその店に近づく。男の前に並べられた品々はお碗等の陶器類から小間物、装飾品と様々。雑貨屋のようなものだろうか。お店の前でしゃがみ込んだはその一角の装飾品が集められた部分に目を向ける。 「わぁ、綺麗ですね」 の隣に同じようにしゃがみ込んだ伊助が感嘆の声をあげる。相槌を打ちながらもそれを見た。色とりどりのビー玉。この時代ではビードロと呼ぶのだろうか。ビードロなど幼い頃に集めて以来だ。懐かしい気持ちに駆られながらそういえば今財布の中に入っている祖母から貰ったあのお守りもビードロのようだったなと思い出す。室町の時代にはもうあったのかとは関心する。一つ手にとって陽に透かしてみれば色味が増して輝いているようで綺麗だった。 「お嬢ちゃんにならこっちのがいいんじゃないかな」 営業スマイルを向けられながら差し出されたのはが手にしている物と同じ色のビードロがついた簪だった。瑠璃色のビードロが涼しげに揺れている。 「さんに似合いそうな色ですね!」 伊助とは反対側にしゃがみ込んだ団蔵が笑顔で言うものだからは首を傾げる。 「そうかな?」 「僕もそう思います。さんだったら撫子色とかも合いそうですけど、その瑠璃色もよく似合うと思います」 「ほら!染物屋の息子が言ってるんだから間違いないですって」 両脇の二人からそう言われ満更でもない気になりながら伊助が口にした色の名に意識が止まる。 「撫子色って花の撫子の?」 「はいそうです」 桜の花弁よりも少し色味の強い、だけど桃色と呼ぶほどではない色合い。柔らかな優しいイメージを連想させるそれが自分に合うとは到底思わないが、団蔵の言うように染物屋の息子である伊助が言うのだからそうなのかもしれない。 「・・・せっかくですけど」 似合っているとまで言われて悪い気はしないが今日貰った小銭は欲しかったお砂糖と牛乳を購入した分でほとんど使ってしまった。きっと簪を買うには足りないだろう。残念そうな伊助と団蔵の肩を軽く叩いて慰めながら店の男に小さく頭を下げる。そうして後ろで待っていた庄左ヱ門の元へ向かった。 「ごめんね、行こっか」 「よかったんですか?」 庄左ヱ門も一連のやり取りは見ていたのだろう。 純粋な眼差しがを見上げてくる。それに微笑みながら頷いた。 「うん。また今度、機会があった時に」 「分かりました。じゃあ行きましょうか」 にこりと笑ったに納得したのだろう。庄左ヱ門が先頭を歩き出す。 その後ろを団蔵と伊助、それぞれと手を繋ぎながらは追った。 「陽が暮れるね」 地平線の彼方に消えていこうとする緋色を見つめる。 その美しさに思わず足を止めたに倣って庄左ヱ門達も立ち止まる。 「急がないと夜になっちゃいますね」 間もなく夜が訪れる。暮れ始めた空は深い藍色に包まれ始めていた。 頭上にはぼんやりと浮かぶ月の存在がある。 「今日が満月でよかったですね!」 「どうして?」 「月があると夜でも視界が随分と明るくなりますから」 言われて見れば確かに視界が幾分かはっきりとしている。眩いネオンにその存在が霞んでしまうあの世界とは違う、ここでは月のあの光でさえ必要なものなのだ。忍を目指す彼らにとっては時に邪魔でしかないのだとしても。伊助や団蔵に倣うように頭上に浮かぶ満月を見上げる。 「そういえば満月なんて久しぶりに見たかも・・・」 あの世界が闇に包まれることはない。街は常に光で溢れ、あるはずの月の存在を隠してしまう。空を、月を見上げることなんてこちらに来るまでは久しくなかったような気がした。 「さん――し――ましょう」 「え?」 振り返った庄左門が口を開くが、には何故かその声が急に遠のいた。更に続けて庄左ヱ門が何か告げたのだがそれも聞こえなかった。分からないと首を振るに庄左ヱ門の不思議そうな顔が映った。 嫌な感覚に襲われながらは伊助と団蔵もそうなのだろうかと二人を見ようとした。 その時だった。 風が吹き荒れた。 冷たくひやりとした風。 夏が目前に迫ったこの時期には冷たすぎるその突風には既視感を覚える。達がいるその場所のみを取り囲むように吹き荒むその風の強さに思わず目を瞑る。繋がれていた伊助と団蔵の手の温もりが離れていくのを感じたのが最後だった。 そうしてまた、世界は暗転する。 BACK : TOP : NEXT 2009,11,10 |