兵太夫の化粧は濃かった。とにかくその一言に尽きる。伝七は人に化粧することへの緊張からなのか手元が震えてしまい紅を引いた線はがたがただった。藤内はさすがに三年生なだけあって綺麗に仕上がっていた。ただ目が合うと恥ずかしさからかばっと視線は逸らされてしまったが。
問題は綾部だ。学年で言えば仙蔵を除いて一番上になる彼が出来ばえも一番良い筈なのだが、そうはいかないのが綾部である。真面目に取り組めば綺麗に出来上がるだろうに気まぐれを起こして形式とは異なったおかしな化粧を施し始めたものだから仙蔵から注意を受け、そして呆れられた。
化粧を施されては顔を洗ってすっきりし、また化粧を施される。それを繰り返す事四度。出来ばえをその都度鏡で見たの感想は何とも言い難いものだった。まともな仕上がりだったのは藤内くらいだろう。一年生二人はしょうがないとして、綾部はわざとな気がしてならない。

「・・・・・・・・・」
綾部に仕上げられた化粧を落とし、が戻ってくるとそこはもぬけの殻。
いや、一人を除いては。
「・・・立花君」
「何を突っ立っているのだ。さん、どうぞそこに」
視線で示されたのは仙蔵が座るその目の前。
僅かの逡巡の後、そこに落ち着く。
「作法委員の子達は?」
「先に帰したよ」
化粧道具の中から白粉を手にした仙蔵には怪訝な顔をする。
「今日の礼だ。私が直々に施してやろう」
「え、」
「安心しろ。普通の化粧だ。私はこれでも女装の成績は良いのだよ」
そうだろう。その容姿を見れば一目瞭然。
女装すればさぞかし美人さんに変身するに違いない。
「でも折角施してもらってもすぐに取っちゃうんだけど」
「構わん。さん、薄化粧もしてないだろう。たまにはこれくらいしても罰は当たらんさ」
「・・・はぁ」
白粉が塗られていく。
その手付きは丁寧でムラがなく、先ほどまでの作法の子達とは比べものにならぬほど手際が良い。
「普段は化粧をしないのか?」
「軽くなら向こうでもしていたけど・・・ここに来る時は夜で、お風呂上りだったから」
だってお洒落や身だしなみを気にする年頃ではある。周りの話に乗るようにしてメイクの仕方などを学び、アルバイトのある日などは見苦しくはない程度に化粧をしていた。
「ああ、そういえばそう言っていたな」
白粉を塗り終えた仙蔵は筆を手にする。目を閉じるよう促されは言われたままに目を瞑った。
瞼にスッと線が引かれていく。
さん、伊作から聞いて知っているのだろう。あの日、私達が天井裏で聞いていたのを」
「っ!」
「動くな、手元が狂う」
思わず動揺したは顎を掴まれ動かぬよう固定される。
仙蔵が笑っているのが目を瞑っていても分かる。
「そしてその話をする為に六年の長屋付近をうろついていた。違うか?」
「・・・・・・」
学園長の言葉をずっと考えていた。

『おぬしの行動次第じゃぞ』

それは文字通りの意味を示している。全てはの行動次第。あの後、食堂のおばちゃんに進言して食堂のカウンターに立ったから、だから生徒達との交流が増えた。それは紛れもない、が前を見据えて、立ち向かったからだ。
あの風邪で寝込んだ日以来、ずっと接し方に困っていた彼らに対しても同じなはずだった。いつか本人達から聞ける時がくればいい、なんて考えていた自分は逃げていた。いつか、なんてきっかけを待っていたらいつまで経っても進めないと。分かっていたはずだった。なのに、ちっとも分かっていなかった。
「率直な意見を、聞きたいと思って」
伊作を除いた、保健室で対峙したあのた五人。誰でも良かった。とにかく自分から動かなければと思って六年の長屋に向かって、そして綾部の掘った落とし穴に落ちたのだ。結局は綾部を探しに来た仙蔵に出くわしたのだから結果オーライだろうか。まさか本当にこちらの意図を見透かされているとは思ってもいなかったけれど。
「率直な意見か」
目を瞑ったままのには仙蔵の表情が見えない。
一体今どんな顔をしているのか、気になった。
「異世界といわれてもやはりそう簡単には信じられないのが現状だな」
先ほどとは反対側の瞼に線が引かれる。目を開けてしまいたい衝動をぐっと堪える。
「そうだと言える確証は何処にもない。さんの言葉一つだけだ」
の言葉を証明するものは何一つとして存在しない。それは紛れもない事実。がこの世界に持ち込んでしまった携帯電話も財布も、確かにの世界の物ではあるが、それすら証拠にもならない。それがの世界の物だと知っているのは彼女一人であるから。何も知らぬ者が見たら南蛮から輸入されただろう変てこな物としか映らない。つまりはそういうことなのだ。誰にも確かめる術はない。だからその言葉から、その表情から真か否かを見極めるしかない。それはあまりにも不明確過ぎる。故に、教師達一同はを受け入れることを了承しても、気を許しきれない。
「じゃあどうして、貴方達六年生は私を放置しているの」
「伊作から聞いていないのか?」
「聞いた、聞いたけど・・・でも」
「私は先生方が下した判断に文句を言うつもりはない」
「信用はしていないけれど、疑いもしないと?」
「まぁそんなところだ」
仙蔵も、気持ちとしては教師達と同じだ。こうして目前で何の疑いもなく目を閉じているはあまりにも無防備すぎる。ここで仙蔵がクナイの一つでも取り出したとて気付きはしないだろう。そんな彼女を危険分子だとは最早思ってはいない。
しかし彼女が語った内容の全てを信じることも出来ない。理由など分かりきっている。の語る話が仙蔵の許容範囲を越えているからだ。仙蔵は自分の目で見て確かめたものしか信じない性質である。だから戦のない豊かで平和な、そんな理想郷とも呼べる世界があるものかと思ってしまう。
戦のない平和な世界。それは強欲な野心家を除く全ての者が望む未来だ。けれど、そんな未来は当分は訪れないだろうこともよく分かっている。今は乱世、戦は減るばかりか増える一方でそれに伴って苦しむ民が多く存在し、孤児が生まれる。そしてこの忍術学園のように若い忍が育っていく。戦を終わらせたいと願っても所詮忍は戦の道具、戦禍を生む火種ともなる。全てが堂々巡り。そうしてこの先も戦乱の世は続いていくのだろう。戦は終わることはない。戦のない世を願いつつも、それは自分が生きている間では到底無理だとも気付いている。
だからこそ、が言う平和な世界などあるのかと疑念が生まれる。
これもまた堂々巡りだ。
数度話しただけで分かる。は嘘をつくのが下手だ。隠そうとしてもその表情に表れてしまう。人の感情を読みとるのも忍の仕事だから、尚更目につく。だから、彼女が嘘を言っていないのだろうと仙蔵には分かる。分かるけれども、やはり目に見えぬモノは信用出来ぬのだ。

「・・・そっか」
ふっと笑ったに仙蔵は胡乱気な瞳を向ける。
しかし、目を瞑ったままのはそれに気付くはずもない。
「認めて欲しかったのではないのか」
認めて、受け入れてもらいたいと願うから仙蔵を、六年生を探していたのだと思っていた。
仙蔵は化粧を施すその手を止めて、を見つめる。
「立花君は勘違いしてる。私は、この学園全ての人間に信じてもらおうだなんてそんな驕ったことは考えてないよ」
には、そんなつもりはない。
「疑われる理由は私が一番よく分かってる。だから、それも仕方のないことだと思う」
ただ、それにしてもの中に残る蟠り。
「私はただ、あの話を聞いて立花君達がどう感じたか、それを確かめたかっただけ」
直接話すことがなかったから、見ることが出来なかった彼らの表情。の事情を聞いてどう感じて、何を思って、そして最終的にをどう判断したのか。それだけは知っておきたかった。
「立花君が信じられないのならそれはそれでいい。疑われてないのなら、それで十分」
それきりはぷつりと黙った。先ほどまでとはまた別の筆が唇に触れたのを感じたからだ。唇の上を筆が滑っていく。きゅ、と口を引き結んだその代わりに、ずっと閉じたままだった瞼を押し上げる。
「なるほど。やはり、思っていたより肝が据わっているようだ」
目前には、不敵に微笑む顔があった。
同時に唇をなぞっていた筆は離れていく。
「完了だ」
手鏡を渡され、は自分の姿を映した。
「・・・・・・・・・これ、私?」
「当たり前だ。元の顔はそう悪くはないからな、これくらいの出来は当然だろう」
面影は全然ある。もちろんこれが自分自身だとも分かる。けれど、が居た世界とはまた違った化粧の出来ばえに鏡を見つめるの目は瞬きを繰り返す。
控えめに施された化粧。数刻と経たずに落とされてしまうのだから凝る必要もないだろうという仙蔵の判断だ。それでもすっぴんの時を思えば違った印象を与えるには十分だ。
さん、一つ教えてやろう」
物珍しそうに鏡の中の自分を見つめていたは顔を上げる。
「私と、文次郎はまだ半信半疑のようだが、他の奴等は既に貴女を信用し始めている」
「・・・でも」
「直接聞かずとも私と伊作の発言だけでも十分信憑性はあるだろう。まぁ知りたいのだと言うのならそれぞれの所に聞きに行くといい。別に止めはしない」
よほど自分の発言に自信があるということか。はゆるぎもしないその表情をひたと見つめた後、少し疑問に思って訊ねる。
「立花君の中での私の位置付けは変わってない?」
「当然だ。私はそう易々と信じるようなことはしない」
「じゃあこの助言は?」
「ふむ、敢えて言うならば貴方の度胸だけは認めてと、あの日の侘びと言ったところか」
一瞬侘びの意味をはかりかねただったが先日の伊作の謝罪を思い出す。
「・・・有難く受け取っておきます」
「そうしておけ。ああ、それとそろそろ行った方がいいのではないか?もう陽が落ちる」
「え?・・・本当だ!」
陽が暮れた空を見つめては慌てて腰を上げる。
夕食の準備はとっくに始まっているだろう。
「色々と聞けてよかった。立花君、今日はありがとう」
そうして慌しく部屋を出て行った。

「・・・礼を言われる筋合いはないのだがな」
作法室に一人残った仙蔵は呟く。
委員会での実験台として使い、更には真っ向きって信用はしてないと告げた。どう捉えたってが得したことはない。仙蔵は真っ直ぐ自分を見つめ返してきたその瞳を思い出す。迷いも恐れも潜ませていなかった双眸。こうと決めたらそれだけは貫こうとする意志が強いのだろう。
その部分だけは認めてやってもいいかもしれない。





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2009,08,21