の顔が学園中に知れ渡るのにそう時間はかからなかった。これまで、新しく雇われた人がいると言うことは知っていたが顔と名前までは知らない生徒の方が多かった。しかし食堂のカウンターにが立った事で彼らは彼女が噂のその人なのだと知った。今まで顔も見せなかった件の人が何故今になって、と考える者もいたが、丁寧な口調と物腰の柔らかいその様子にすぐに打ち解けていった。 しかし万事うまくいくわけもなく上級生――試験を受けた者たちの中にはどこか一線を引いてに接している生徒も少なからず存在した。 それに保健室で出会った六年生とは顔を合わせても上手く会話が出来ない場合が多かった。食堂が込み合ってるその時間帯なのでまともに会話を交わすわけではないが先日の出来事の手前、は彼らとの接し方がよく分からないままだ。伊作は、疑ったりはしないと言った。それは彼自身の言葉では直接彼らから聞いたわけではない。が異世界から来た事を知って、彼らがどう思ったのか。伊作の言葉を疑うわけではないが、いつか本人達から話を聞ける時が来ればいい。 「・・・・・・はぁ」 そんな現実逃避をしていたは我に返って途方に暮れた。 現在、は事務の仕事を手伝っていた。吉野から頼まれたのは半助のもとにまで渡された資料を届けること。その仕事を引き受けて早四半刻。 ――ここ、どこなんだろう。 所謂迷子というやつだ。学園内にいることは確実な筈だが、その学園の中のどの辺りに自分がいるのかが分からなかった。まだ学園に来て日が浅いに広大な学園の敷地全てを把握するには無理があった。おまけにこれまでは下手に動き回ることは避けていたし、覚えるだけの余裕もなかった。そんなわけで学園の中をまるで把握出来ていなかったはあっさりと迷子になってしまった。 出掛ける前、吉野から半助は焔硝蔵に居るだろうと教えてもらったのだが如何せん、その場所が分かっていなかった。この学園に来た頃に庄左ヱ門と伊助から道案内ついでに焔硝蔵の説明もしてもらい、その記憶を頼りにすれば何とかなるだろうと思っていたのだが、の考えは甘かった。庄左ヱ門の説明全てを詰め込んだ頭は脳が上手く回りきらずポロポロと情報を零していたらしい。どれだけ頭を捻らせても思い出せない。 焔硝蔵といえば火薬委員会の活動場所だ。伊助が嬉しそうに話していたことは覚えている。ならば闇雲に探し回るよりも伊助か兵助を探した方が早いかもしれない。いや、その方がきっと早い。行き先を決めたは気合を一つ入れて校舎が見える方へと歩き出す。 「あれ、さん?」 不意に背後からかけられた声に驚いて振り返れば忍たまが一人立っていた。 「えっと・・・三之助君?」 「そうです。どうしたんすか?こんなとこに突っ立って」 不思議そうな顔の三之助には少し迷ってから思い切って白状した。 「焔硝蔵に行きたいんだけど迷っちゃって・・・」 「焔硝蔵っすか」 「うん。まだ敷地内を覚えきれてないの」 「・・・良かったら案内しましょうか?」 「ほんと?」 ぱっと輝いた瞳。それを見ながら、三之助は一つ上の先輩が以前言っていた言葉を思い出す。聞きたくもないのに自慢話ばかり披露してくる滝夜叉丸が小平太相手に怪訝そうに告げた言葉。彼女は怪しいのでは、と言った滝夜叉丸にきっぱりと否定した金吾。「一年は組の勘です!」と告げた根拠も何もない言葉に「そうか!」と納得したのは小平太一人だった。 しかし、接してみれば分かる。食堂で遠慮がちにこちらに自己紹介する様子も、今こうして単純ともとれるほどの素直な態度にも、怪しさの欠片も感じられない。あの先輩も言うことが適当だなぁと思いながら三之助は道案内をすべく先を切って歩き出した。 「・・・三之助君、ここ絶対焔硝蔵じゃないよね?」 「あっれ、おかしいな。確かこっちにあった筈なのに、何でだ?」 自分が間違っている事など微塵も疑わず、辿り着けない事を不思議がる三之助には今になって思い出す。三年生には方向音痴な生徒が居たということを。それも方向音痴だと自覚がないことも。一体どの生徒だったか覚えていないがそんな内容の回のアニメを見た覚えがある。彼がそうだったのかと思うと落胆で肩を落とすしかなかった。目的地まで更に遠のいたことは間違いないだろう。 「あっちか?」 「ちょ!ま、待って三之助君!」 別の方角に向けて歩き出そうとする三之助を慌てて引き止める。 「何すか?」 「えと、その・・・もう此処まででいいよ」 「いやでもまだ焔硝蔵についてないでしょ」 「そうなんだけど、三之助君も忙しいでしょ?」 「別に遠慮する必要はないっすよ」 「遠慮してるわけじゃなくて、ただ・・・」 「三之助っ!」 無自覚な彼にどう断りを入れるべきか悩むにその声はよく響いた。必死そうな声と一緒に足音が近づいてくる。の目に飛び込んできたのは三之助と同じ色の制服を着た忍たま。名前は確か、 「あれ?作兵衛」 そう、作兵衛だ。富松作兵衛。 「どうしたんだ?そんな急いで」 「どうしたんだ、じゃねぇ!!勝手に出歩くなって言ってあっただろ!」 全力疾走後のような顔をしている割に三之助に向けて次々と説教が飛ぶ。しかし作兵衛のそんな怒りの声などなんのその、三之助は他人事のような態度で聞いている。 「何でそんなこと言われなきゃならないんだ?」 「お前は・・・ちょっとは自覚しろー!」 叫ぶ作兵衛を本気で分からないと不思議そうに三之助は見つめている。 「それにさ、さんが道に迷ってたから案内してたんだ」 「だから・・・さん?」 必死に探し回ってようやく三之助を見つけたことで作兵衛の頭はいっぱいだったのだろう。三之助の隣に立つの存在に教えてもらうまで気付かなかった。たった今までのやり取りを丸々見られていたと思うと恥ずかしかったがそれよりも三之助の言った言葉が引っ掛かった。 「さ、三之助が、道案内・・・?!」 「焔硝蔵までの行き方が分からないって言うからさ。でも何でか辿り着けないんだよなぁ」 心底不思議だと首を傾げる三之助に作兵衛の顔は引き攣り、蒼褪める。そんな顔色のままと視線を合わせれば彼女から苦笑が返ってきた。ああ、彼女は途中で気付いたのだろう。三之助が方向音痴であり、道など聞いてはいけなかったことに。 「す、すすすすすんません!」 「作兵衛君!?」 「何謝ってんだ?」 「お前の代わりに謝ってんだよ!チクショー!」 いきなり頭を下げられたかと思えば顔を上げて三之助を怒鳴りつける。やけくそなその行動に呆然とするはどことなく、彼は苦労しているのだと悟った。元いた時代ではどちらかと言えば彼のように人の世話を焼く側にいたには彼の気持ちが分からなくもなかった。 「く、ははははっ!」 ふと笑い声が聞こえ、三之助に対して怒っていた作兵衛はその声をぴたりと止めた。 塀の上の屋根に胡坐を掻いて座り笑っているのは鉢屋三郎だ。一瞬、雷蔵と判断を迷っただがあの笑い方は三郎で間違いないと思う。 「三郎君」 ひとしきり笑ったあと、塀から降りこちらに近づく三郎に唖然と固まっていた作兵衛はようやく目覚める。 「鉢屋三郎先輩!」 「随分と苦労してるんだなぁ」 自分に対して向けられた言葉に作兵衛は返す言葉もなくただ項垂れるばかりだった。紛れも無い事実であり、既に周囲も認めるほどにまで来てしまっているのを否応なしに認めさせられた気分だ。 「三郎君、何でここにいるの?」 「廊下を歩いてたら吉野先生とすれ違ってね、さんが戻ってこないと心配してたから探しに来たんだ」 「うそぉ・・・」 「まさかこんな見当違いのところにいるとは思わなかったけどな」 くくく、とまた笑いを噛み締める三郎は勿論その原因も見抜いていた。顔を蒼くさせるのその頭を掴む。 「ぎゃ!三郎君痛い!」 「富松、私はこの人を連れて行くから次屋はお前に任せたぞ」 「あ、はい」 「さぁさん、行くぞー」 「い、いいい痛いって!・・・あ、三之助君!ありがとうね!」 頭を掴まれたままぐいぐい進む三郎に訴えかけるが軽く無視される。なので上手いこと首を回して後ろを振り返り三之助に礼を告げた。 暫く歩いたところで三郎の足は一端止まる。 しかし、依然頭は掴まれたままだ。 「さてさん、何故焔硝蔵に行くだけにこんな時間がかかるんだ」 「とりあえず頭から手離して」 「なんだ折角掴み心地が良かったのに」 「・・・あのね、三郎君はもう少し私を年上として敬うべきだと思う」 「そういうのはそれらしい態度をとってから言うんだな」 呆れた顔で見下ろされると自分が悪いのだと思えてくる。只でさえ身長で負けているので年上の威厳を見せようと睨みつけるように三郎を見上げるのだが、それが逆効果だとは気付かない。落ちた溜息に三郎の方が大人だと言われた気がした。 「いいか、次屋三之助は方向音痴で有名だから間違ってもアイツに道を聞かないように」 「以後気をつけます」 「ついでに同じ三年の神崎左門も次屋並の方向音痴だ。覚えておくんだな」 「神崎左門君・・・」 「三年ろ組の、会計委員の奴だ」 名前を聞きながら顔を思い出そうとするの目の前で三郎が瞬時に変装する。にゅ、といきなり現れたそれに驚いて僅かに飛び退きながらその生徒に思い当たった。 「左門君も方向音痴なんだ」 「ま、学園内では有名だな」 がへぇ、と頷く間に三郎は元の雷蔵の顔に戻った。 「それから焔硝蔵はあっちだ」 三郎は指で焔硝蔵の方角を示す。 あっち。は復唱するように呟きその方角を確認する。 がそうこうしているうちに三郎が歩き出す。気付いたは慌てて追いかけるのだが向かっている先が焔硝蔵の方面ではないことに気付く。 「あれ焔硝蔵に行くんじゃないの?」 「土井先生はとっくに自室に戻られてるぞ」 「え、うそ」 「さんがもたもたしてる間に火薬委員会の仕事も終わったらしいな」 確かに吉野に頼まれてから既に半刻は経っている。いつまでも同じ場所に留まってるとも限らないのだ。焔硝蔵に行けばこの仕事も終わりだとばかり思っていたはがくりと項垂れた。 「全く、これでどう年上を敬えと言うんだか」 「・・・・・・」 そんな三郎のからかい半分の台詞が駄目押しとなる。は返す言葉もなく、半ば引き摺られるようにして半助の元へと向かったのだった。 BACK : TOP : NEXT 2009,06,27 三郎が世話焼きになっていく(笑) |