「どうじゃ気分の方は?」 「はい。もうすっかり良いです」 風邪で保健室に運ばれた日から三日目の今日、体調もすっかり良くなったは学園長の庵を訪れていた。と言うのも学園長に直々に呼ばれたからだ。昨日、伊作から教えてもらっていたので呼び出された理由は予測できていた。 「そうかそうか。仕事にも復帰出来そうかの?」 「昼食の準備から手伝うことになってます。朝は念の為にと保健室にて新野先生に診ていただいていたので・・・」 「なるほどの。新野先生が許可を出したのならもう大丈夫じゃろう」 今朝になって初めて会った保険医はとてもおおらかな人だった。顔を合わせるその前までは教師側の人間だと少しばかり警戒していたのだが、それも消え去るほど打ち解けることが出来た。 「さて、では本題に移るとするかのう」 「・・・はい」 学園長の一言にの顔が僅かに強張る。今、この場にいるのは学園長との二人のみ。返答に困っても助けを求められる相手が居ないことは心許ないが現在、生徒達は授業中だ。さすがにその時間を削ってまでお願いしようとは思わなかった。 「聞くところによるとある程度話は聞いておるとのことじゃが」 「えっと、上級生を対象に試験が行われた事とその標的が私だったということですよね?」 「おお、そうじゃそうじゃ」 「それと、私に対する監視が外れた、と言うことも」 「うむ」 とても満足そうに学園長は笑う。 「すまなかったの。何も報せんで勝手に試験を行って」 「いえ、それは・・・そもそも監視されてること自体教えてもらうまで気付きませんでしたから」 「そうじゃったな」 ふぉっふぉっふぉっ、と愉快そうに笑う学園長には反応に困る。試験が行われていたのはここ一週間程のことらしいが、は誰かの視線を感じた覚えなどまるでなかった。程度に気付かれるようであっては困るだろうが、それにしても試験期間もふまえて四六時中監視されていたとは知らず過ごしていた事を思えば、笑われてしまうようなおかしなことをしていないかと不安にもなる。 「君」 「っはい!」 「無理は禁物じゃ。今回のことでよぉく分かったじゃろう」 まるで見透かしたかのような物言いにハッと息を呑んだ。 「おぬしにとってまだ心落ち着けることは出来ぬ場所でも、おぬしを心配しておる人がいることを決して忘れるでないぞ」 「・・・・・・はい。それは、とても身に沁みました」 「そうか。ならばよいのじゃ」 やはりこの人はただの愉快犯ではない。ズバズバと現状を突きつけられたは自身が感じたことを再度確認させられた気分だった。 「警戒も解かれたし、お主への監視も外れた。全てはここからじゃ」 「はい」 「教職員達は相変わらずかもしれんが、生徒達はおぬしの行動次第じゃぞ」 含んだ笑みを浮かべる学園長にはやはり見透かされていると思った。 「大丈夫、だと思います」 だからはそれに答えるように真っ直ぐ学園長を見つめ返した。 そのの答えに満足したのか学園長は愉快そうに微笑んだ。 「話はこれだけじゃ。呼び出してしまってすまなかったの」 まだ色々と突っ込まれるだろうと思っていたが意外にあっさりと終えた話に拍子抜けしてしまい、暫くぽかんと座り呆けていたは学園長のお茶を啜る音に我に返って慌てて頭を下げた。立ち上がり部屋を去る前、もう一度お礼とともに頭を下げてから庵を後にした。 「おばちゃん、ご迷惑おかけしました」 昼食前、厨房に顔を見せたは食堂のおばちゃんを見るなりすぐさま頭を下げて詫びた。 「あらあらいいのよ。それよりもう平気なの?」 「はい。また今日から頑張るのでよろしくお願いします」 朗らかに笑って許してくれるおばちゃんに感謝しつつも、早速とばかりに昼食の準備が始まる。おばちゃんから指示をもらい作業を開始したは、休んだ分少しでも挽回しなければと自然と張り切っていた。 全ての準備が終わり、さぁあとは授業を終えた生徒達が来るのを待つのみとなった時。カウンター前に立つおばちゃんに少し迷ってからは歩み寄った。 「あの、おばちゃん!」 「どうかしたのかい?」 遠くから鐘の音が鳴った。授業が終わりの合図だ。間もなく生徒達が姿を見せるだろう。その事を考えては意を決したようにおばちゃんを見上げる。 「生徒達から注文を取る役目、私にやらせてください」 力強く発せられた内容。の言葉に食堂のおばちゃんの目が真ん丸に見開かれる。 「ちゃん・・・でも、良いのかい?」 すぐに心配そうに眉を寄せて聞いてくるおばちゃんにはしっかりと頷き返す。 「前に進もうって決めたんです」 まだ不安も戸惑いも燻っている。けれど、決めたのだ。立ち止まっていては現状は何も変わらない。下手をしたらまた同じようなことを繰り返してしまう。そうならないようにするためにも歩み寄ろうとしなければいけないことを今回のことで身に染みて感じた。そしてそれが自分に出来ることだと思ったのだ。 「そう。じゃあちゃんにお願いしようかしら」 の決意を感じたのかおばちゃんは笑ってその場から引く。空いたカウンター前の空間にはゆっくりと立った。食堂が様子がよく見えるその場所に緊張からか鼓動が早くなるのを感じた。 間もなくしてドタドタと足音が迫ってきた。 そうしてひょっこりと顔を見せたのはにとっては馴染みのある顔だった。 「おばちゃーん・・・ってさん!?」 「え、さん?」 「虎若君、団蔵君」 カウンター前に立つに気づいた虎若の声に団蔵がつられて見上げればここ二日ほど見かけることがなかった姿があった。 「風邪はもう大丈夫なんですか?」 「仕事復帰したんですか?」 「うん、もう元気だよ。お見舞い来てくれたんだって?二人ともありがとう」 カウンター越しには二つの頭を撫でた。 「焼飯定食と鯖の味噌煮定食、どっちにする?」 「僕は鯖の味噌煮定食」 「僕も鯖の味噌煮定食でお願いします!」 「はい。じゃあちょっとだけ待っててね」 そう言って顔を引っ込めたは厨房で動き回っていたおばちゃんに伝えた。そしてそのまま準備を手伝おうとすればおばちゃんに笑ってとめられた。 「今日はあたしが全部やるからちゃんは待ってる子達の相手をしてやってちょうだい」 「え、でも・・・」 「病み上がりに無理はよくないからね。それに良い切欠にもなるでしょう?」 「おばちゃん・・・・・・ありがとうございます」 おばちゃんの言葉に甘えることにしてはカウンター前へと戻った。 「さん良い切欠になるってなんですかぁ?」 中でのやり取りが聞こえていたのだろう。 不思議そうに団蔵が聞いてくるので困ったように笑いながらは答えた。 「私ずっと中で動いてたでしょう?だから生徒達のこと全然知らないのよ」 「ああ、それで!」 「うん。ここに立っていた方が顔と名前は覚えやすいでしょ?」 納得したように笑いあう虎若と団蔵を見つめていたは後ろからかかったおばちゃんの声に振り返った。出来上がった定食二つを手にしてカウンター前に置く。 「はいどうぞ」 「「ありがとうございまーす!」」 二つ重なった声と一緒に満面の笑みを向けられる。 「さん今日はずっとここに立ってるんですか?」 「そのつもりだよ」 「無理はしないでくださいね」 「大丈夫だよ。これくらいなら」 心配性だね、と伝えると「「だって!」」と何か訴えかけるように口を切った団蔵と虎若にその横から一つの声が割って入った。 「おい一年坊主ども!いつまでそこに居座ってるつもりだ」 「あ、田村先輩!」 「田村先輩だ、こんにちはー!」 入口の方からやって来たのは紫色の制服を身に纏った生徒。その色は四年生、だっただろうか。虎若、団蔵の二人は叱られたにも関わらず呑気にも笑顔で挨拶をしていた。 「もう膳は受け取ったんだろ。一体何やってるんだ?」 「そんなに怒らなくってもいいじゃないですかぁ!」 「そうですよ。ぼく達ちょっとだけさんと喋ってただけです」 「さん・・・?」 そこでその四年生の生徒はの方を初めて見た。 「田村先輩知ってますよね?新しく食堂の手伝いに来た人がいることは」 「え?ああ、まぁ・・・」 「さん、この人は田村三木ヱ門先輩って言ってぼくと同じ会計委員なんです」 「そうなんだ」 「はい!」 「じゃあぼく達行きますね。そろそろ混んでくるだろうし」 「お仕事頑張ってくださーい!」 「あ、おいお前たち!」 三木ヱ門の止める声もむなしくに笑顔で手を振ってから膳を持った二人は席をどこにしようかと話しながら行ってしまった。取り残された二人はお互い気まずいままに視線を合わせた。 「あの、焼飯定食と鯖の味噌煮定食・・・どっちにします?」 「焼飯定食でお願いします」 「はい。ちょっと待っててね」 くるりと振り返ったはおばちゃんに焼飯定食一つ、と告げて三木ヱ門と向き直る。おそらくだが団蔵と虎若は生徒の名前を覚えようと思ったの為にわざわざ三木ヱ門を紹介してくれたのだろう。 「初めまして、だよね?」 少し緊張しながらもは三木ヱ門へと話しかけた。急がなければそろそろ食堂が混み出す。せっかく団蔵達が作ってくれたきっかけを無駄にはしたくはなかった。 「そうですね」 三木ヱ門はそう答えたが、彼女を見るのはこれが初めてではなかった。上級生はつい先日まで学園長思いつきの試験を知らずと受けていたのだ。話す機会こそなかったが三木ヱ門もその際にの姿は見ていた。 「食堂の手伝い兼事務員の手伝いもすることになったです。・・・よろしくお願いします」 「はぁ・・・あ、いえこちらこそよろしくお願いします」 明らかに不審さを露にした自身の態度に気付き、三木ヱ門は慌てて言い直す。しかし誤魔化せるはずもなくは少し困ったように笑った。 三木ヱ門は四年生では試験に合格した数少ない内の一人だ。教師の彼女に対する警戒が試験の為だったと知ってそうなのかと納得していたのだがこうして対面するとその時のことを思い出して警戒してしまった。 「・・・すみません」 「ううん。こちらこそ、いきなりごめんね」 流れる気まずげな空気にお互いどうしたらよいのか分からず、は内心酷く戸惑っていた。やはり、まだ難しいのだろうか。何ともいえない三木ヱ門の表情を見ていると彼の中にもまだ疑いの思いがあるのだろうと思えてくる。でもそれは仕方のないことだと、強く自身に言い聞かせる。それを承知の上ではこの場に立つと決めたのだから何を今更そんな事に不安を持つのだと叱咤させる。頭の中で葛藤を続けていたは不意に後ろから肩を叩かれて大げさな程に反応した。 「はい。焼飯定食」 「お、おばちゃん!」 肩越しに振り返ったの、そのすぐ後ろにおばちゃんが定食を手にして立っていた。おばちゃんはそのままの横に立ち、膳を三木ヱ門へと差し出す。 「田村君、お待たせ」 「おばちゃん。ありがとうございます」 素直にお礼を言って受け取る三木ヱ門におばちゃんはにっこりと笑う。 「そうそう田村君。ちゃんね、今生徒達と親しくなろうと思って頑張ってるのよ。だから仲良くしてやってちょうだいね」 「え?」 「おばちゃん!?」 不思議そうな三木ヱ門の声と、驚いたの声が重なる。 おばちゃんは依然にっこりと笑ったまま三木ヱ門に話しかける。 「ほら、こないだまで学園長が試験行ってたでしょう?だから下手に生徒達には近づけなかったのよ。その空いた溝を埋めようと思ってるみたいでねぇ」 空いた口が塞がらなかった。呆然と立つに三木ヱ門の視線が向けられる。 「そうだったんですか」 「・・・えと、うん、・・・そうです」 「それで団蔵達もあんなこと言ってたのか」 「た、多分」 おどおどしながら答えるを三木ヱ門はじっと見つめた。その視線に耐え切れずはおばちゃんを見上げれば目が合った途端「大丈夫よ」と言うように優しく微笑まれる。 「あのう・・・さん?」 名前を呼ばれては慌てて振り返り三木ヱ門を見る。 「あ、でいいです・・・」 「さん。四年ろ組の田村三木ヱ門です。よろしくお願いします」 小さくも下げられた頭にはこぼれんばかりに目を大きく見開いた。顔を上げた三木ヱ門と目が合うと彼は少し気まずそうにしながらもその顔に笑みを添える。 「うん、よろしく・・・田村くん」 「三木ヱ門でいいですよ」 「じゃあ、三木ヱ門くん」 「はい。それでは失礼します」 お膳を抱えて席へと向かう三木ヱ門を突っ立って見つめる。それから後ろを振り返った。 「おばちゃん」 「ね、大丈夫だったでしょう」 「ありがとうございます」 「あたしは何もしてないわよ」 にこやかに笑うおばちゃんには首を振る。 「そんなことないです」 おばちゃんのフォローがあったからこそ三木ヱ門もああして自分から名を名乗ってくれたのだろう。たいした会話をしたわけでもなく、互いに自己紹介しただけだったがそれだけも大進歩だ。 「ここの子達はみんな根は良い子だからすぐに仲良くなれるわよ」 「はい」 食堂の入口の方が騒がしくなる。おばちゃんとの会話はそこで一端途切れ、次々に食堂に駆け込んでくる生徒達をは出迎えた。気持ちは先ほどよりもずっと落ち着いていた。なのでカウンターにいるに驚く生徒達を見ても自分から声をかけることが出来た。混んできたので三木ヱ門の時のように丁寧な自己紹介は叶わなかったが、それでもは初めて顔を合わせる生徒一人一人に名を名乗った。戸惑いや迷いを見せながらも同じように名前を教えてくれる生徒達におばちゃんの言うとおり、皆良い子なのだと実感した。 BACK : TOP : NEXT 2009,06,08 アンケート反映によりとりあえずは四年から三木ヱ門を。 |