が目を覚ましたのは翌日の昼過ぎだった。霞む視界はまだ意識がしっかりとしてないからか。ぼんやりと天井を見つめたまま暫く過ごす。そうしてその目が冴えた頃になって横になったまま首を巡らせた。先ほどから奥の方でガサガサと何かを探る音がしていたのだ。音の出所を追ったは一人の忍たまの背中を見つけた。その制服の色は緑色。六年生のそれよりも若干明るめのそれは、萌黄色と称した方が合っているだろうか。あまり見慣れないけれど、どこかで見たことがある気がする。自身の記憶を辿ったは思い出す。確かジュンコと言う毒ヘビを飼っていた男の子――伊賀崎孫兵も同じ色の制服だった。と言う事は三年生か。
じーっと見つめていた為にその視線に気づいたのか、不意に振り返った男の子とぱちりと目が合った。が目を覚ましていたことに驚いたのか少し目を丸くし、それから少し気まずそうに視線を漂わせ、再びゆっくりとを見つめる。
「・・・あの、気分はどうですか?」
「えっと、だいぶ楽になったとは思うけど」
の答えに男の子の表情が緩んだ。ホッとしたようなその表情のままの布団にまで近づいてきた彼は失礼します、と一言告げてからの額へと手を伸ばす。
「熱は下がったと思います」
「そっか・・・えーっと」
「あ、僕は三反田数馬と言います」
「数馬君。ありがとう」
「いえ当番でしたので。もうすぐ善法寺先輩が来くると思うのでその時にしっかりと診てくださると思います」
柔らかい笑顔を浮かべた数馬は何かあったら呼んでください、と告げくるりと背を向けてやりかけの作業に戻っていった。


布団に横になったまま手持無沙汰でただ天井をじっと見つめていた。また聞こえるようになった物音は数馬が奥の薬品が入っている棚を触っているからであり、一体何をやっているのかと気になるのだがじっと見つめれば視線で気づかれてしまうだろう。仕事をしているらしい彼の邪魔をしたいわけではないので仕方なく諦めた。
することもないの思考は自ずと眠る直前までの出来事を振り返っていた。漏らしてしまった本音、伝えてしまった真実。それでも温かな笑顔と力強い言葉と共に受け止め、そして受け入れてくれた彼らに何とお礼を伝えたらいいのだろうか。ありがとうなんて、そんな言葉だけじゃこの気持ちは伝えられない。
我慢する必要はないと言ってくれた優しさ。一人じゃないと教えてくれた温もり。弱くなる自分の心をそれは当たり前なのだと赦してくれた。その上で手を貸して、味方でいてくれると曇りのない眼差しで告げてくれた。それがどれだけの心を救ってくれたのか彼らは知らないだろう。
は少しかさつく目元に触れる。あんなにも感情的に泣くのはいつ以来か。滅多に感情的にならない自分が人前で泣くなんてこと先ず有り得なかった。どんな場面でもどれだけ辛くとも他人に弱さを曝け出すことはしなかった。それは自身の性格故である。周囲の空気を読み、それに同調するようにしてはこれまで過ごしてきた。諍い事が嫌いで平穏に過ごしたいと思うは親しい友人達のグループの中では一歩後ろで物事を見つめるタイプの少女だった。常に前に出て行動を起こすのではなく、そんな子に後ろから笑ってついていく感じ。元来おおらかな性格だった為にしっかり者として見られ、同時に周りから頼られる事が多かった。そんな自分の性格をはどことなく理解していた。だから自分はしっかりしていなければ、と無意識に思いこみ本音を吐き出すことが苦手となってしまっていた。それ故だろう、同時に人前で泣くなんて以ての外だと思い込んでいた。
そんな自分が感情を抑えることなく泣きじゃくるなんて。重ねに重なったその状況に精神が耐え切れなくなったこともある。けれど、それが原因だとはは思わなかった。どんな状況だろうと我慢しようと思えばきっと耐えることは出来た。それでも涙が止まらなかったのはのその精神状況に気づき、溜め込んできたもの全てを吐き出す切欠を彼らが与えてくれたからだ。そうすることを彼らが赦してくれたから。高校で知り合った友人も、中学からの付き合いがある友でさえ出来なかったそれを彼らはやってのけた。
胸の内がスッキリとしたこの感覚は久方ぶりに味わった気がする。あんなにもずっしりと重たくて辛かったのにそれが嘘みたい。向こうの世界に居た頃でもこんなに心が晴れ晴れとしていたのは随分と昔のことのような気がする。が心に抱えていたものに気付いてくれなかった友人達を責めるつもりは一切ない。悟られないよう隠してきたのは自分であり、それが当然のことのように思っていたのだから。
だから思う。決して誰にも打ち明かせなかった自分の心内をこうして曝け出すことが出来た彼らの存在の大きさを。異世界に飛ばされたというこの特殊な設定がの心情に影響していたとしても、ここまで何もかも曝したことはきっと初めて。そして、そのおかげで自分は救われたのだ。
そんな彼らの思いに報いるにはどうしたらいいだろう。何をすればいいのか。礼を伝えることは勿論、しかしそれだけじゃきっと足りない。彼らはそれだけでも十分だと言うかもしれないがの気持ち的にそれじゃ済まない。
そして、の気持ちは既に決まっていた。



ずっと続いていた物音が静まった。そのことに気付いたは数馬の方へと視線を移す。数馬は手を止めたまま入口をじっと見つめていた。不思議に思ったが入口へと視線を向けたとほぼ同時、襖が開かれた。
「善法寺先輩」
「数馬留守番ありがとう」
「いえ。一応今日は僕も当番でしたから。それと・・・あの、目覚ましたみたいです」
ちらりとこちらを窺いながら告げる数馬にそう言えば名前を名乗っていなかったことに気付く。その視線を追った伊作は数馬の言おうとした事に気付き笑みを見せた。
「ああ、目が覚めたんですね。・・・数馬、今日はもう帰っていいよ。後は私がやっておくから」
「え、でもまだ仕事が・・・」
「これくらいなら平気だよ。今日はどこの委員会も行われてないから怪我人も来ないだろうし」
「そうですか。じゃあお言葉に甘えて」
立ち上がった数馬は伊作に頭を下げ、それからにも同じように小さく会釈し部屋を出て行った。伊作と二人残されたは彼が布団のすぐ傍にまで来て座るのと同時に身体を起こした。
「気分の方はどうですか?」
「大丈夫だと思うけど・・・」
ただずっと横になっていた所為か節々が地味に痛い気がする。その事を告げればおかしそうに口元を抑えながらすぐに治りますよと笑った。そのまま少し診察すると告げた伊作には大人しく従った。
「顔色も良くなりましたし熱も下がったようなのでもう大丈夫ですよ」
「そっか」
「でも今日一日は安静にしてください。それと食後に薬は飲んでもらいますので」
早速夕食の準備から仕事を始める気だったは出端を挫かれうっと言葉を詰まらせる。
「仕事はせめて明日からにしてください」
「・・・はい」
の意図に気付いて更に念を押すように言われ渋々頷いた。それを見つめる伊作は満足そうだった。
そうして診察を終えた伊作の顔がスッと引き締められたことに気付く。も自然と顔が強張った。そしておそるおそる伊作の名を呼ぶ。
「あの善法寺君」
さん、私は貴方に謝らなければいけません」
「・・・・・・謝る?どうして、」
彼のその表情からきっと昨日の事についてだと予測していたは言葉の意味を瞬時に理解出来なかった。
「顔色が優れないことに気付いていたのに貴方に無理をさせてしまいました」
「・・・っ待って。それは私が勝手に無理をしただけで」
「それに私達の行動が貴方を追い詰めてしまった」
否定は出来ない。確かに彼らに言われた言葉の数々はあまりに衝撃的で、の思考はそれから悪い方へとばかり進んでいった。でも、そのことに対して伊作を始めとする彼らを責めるつもりも恨むつもりもなかった。は首を横に振る。
「謝らなくて、いいです。私が疑わしいことは明白でした。ああやって問い詰められる日が来ることも分かってました。それが偶々昨日だっただけ」
折しもめぐり合わせが悪かった、ただそれだけのこと。誰が悪いとか責任だとかそんなことはきっと関係ない。
「むしろ私は感謝しなくちゃいけない。疑わしい人間相手に一日猶予を与えてくれたことに」
眉をハの字にして申し訳なさそうにこちらを見る伊作に、今出来る限りの笑みを作ってみせる。まだきっとぎこちないだろうけど、それでも伝わればいいと思いながら。
「おかげで気持ちに整理がついた。ちゃんと話すことができそう」
昨日と比べると強く意志の込められた言葉。けれど伊作はそんなにゆっくりと首を横に振った。
「その必要はないんです」
「え?」
「実は昨日、さんが雷蔵達に話しているのを天井裏から聞いていました」
驚愕で大きく目を見開く。伊作は苦みを帯びた笑みを浮かべた。
さんは知らなかったと思うんですが、彼らは我々に気付いていました」
は彼らが意味深な事を言っていたその場面を思い出す。が語りだそうとしたその時、それを止めた三郎。以外の三人に何か確かめるように送っていた視線。何のことかと聞いたが上手く誤魔化されたことを覚えている。もしかして、それは天井裏に潜んでいた六年生に対しての対処についてだったのだろうか。
「雷蔵が二度手間になるよしずっとマシだって言ったこと覚えてますか?」
「あ・・・うん」
「きっとこれから話すことが貴方にとって辛い内容だと分かっていたから、同じことを再度我々に話させるよりは一度で聞いてもらった方がいいと判断したんでしょうね」
「でも私そんなこと一言も・・・」
「実は私が話したんです。雷蔵が貴方を看病している時につい・・・。それで雷蔵は貴方を気遣ってそう進言したんだと思います」
知らされた真実には顔を俯かせる。ああ、どうして。本当に彼らは、こんなにも優しい。あの時、そんなことまで考えていてくれていたなんてつゆも知らなかった。
「それともう一つ。貴方にとっては良い報せがあります」
優しい声音にゆるりと顔を上げる。
「後日学園長先生からもお話があると思いますが、先生方の貴方への監視は解かれたそうです」
「・・・解か、れた・・・・・・?」
「はい。数週間の監視の結果、貴方は学園には無害だと判断が下りました」
「それは、」
確かめるように見上げた先の伊作は目元を和らげて微笑む。
さん。貴方は認められたんです。もう誰も貴方を怪しんだり疑ったりしません」
信じられないとばかりに呆然とするに本当だと告げるように伊作はその笑みを崩さない。
「そして私達も、もう貴方を疑うつもりはありません」
を追い詰めてしまったことへの後悔からではなく、これは伊作自身が彼女の身の上話を聞いてその上で思ったことだ。
「異世界から来たというその話自体はまだ信じれない人もいますが、少なくとも貴方が忍術学園に害をなす人間だとはもう誰も思っていません。これだけは信じてください」
言葉は耳にしっかりと届くのに、その意味が中々理解出来なかった。有り得ないと思っていた事態が起こっている。そんな気分だ。けれど真摯な眼差しで自分を見つめる伊作が嘘を言っているだなんて思うこともなかった。
だから、じっと見つめる伊作にはただ一度首を縦に振る。たった一度のその首肯で辺りの空気が和らいだ。それは紛れもない、目の前にいる伊作の醸し出す雰囲気が変わったことを示していた。
「困った事があったら言ってください。私に出来ることなら力になります」
優しさに心が温かくなる。
「・・・・・・ありがとう」
にこにこ穏やかに笑う伊作を見てもつられて笑みが零れた。

「そうだ。お腹は空いてませんか?」
「・・・そういえば」
空いてるかな。お腹辺りを手でおさえながらポツリと呟く。
「食堂に行って何か貰って来ますので少し待っていてください」
ありがとう、と笑って礼を言うを見ながら伊作は立ち上がる。
伊作がの笑顔を見たのはこれが初めてだった。それはまだまだ笑顔と呼ぶには程遠いけれど。きっと彼女の心からの笑顔が見える日はそう遠くはないだろう。そんな確信が確かにあった。




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2009,05,26