泣きつかれたのかは兵助の腕の中でそのまま眠ってしまった。ゆっくりと起こさないよう気を遣いながら兵助はを布団へと戻す。まだ彼女の体は睡眠を欲しているのだろう。保健室に運ばれてから先ほど目覚めるまで眠っていたといってもそれは時間にしてみればそれほど長い間ではない。それだけでは足りなかったのだろう。それに、まだ熱があるにも関わらず無理をしてしまったことも原因の一つに違いない。布団をかけなおしてやったところで向かい側に座っていた雷蔵が濡れた手拭いをその額に乗せてやった。
「・・・異世界か」
「なんだやっぱり信じられないか?」
ポツリと漏らした竹谷に冗談半分で三郎が聞く。
「いや、そうじゃないけどさ。さんの話を聞いてても全然想像つかねぇなって」
戦も争いもない豊かで平和な世界。食べるものに困ることもなければ、住む場所に困ることもない、まるで夢のような世界。きっと彼女は何の不便も感じることなく生きてきたのだろう。だからこそ唐突に突きつけられたその事態に味わった事のない恐怖を覚え、感じたことのない疎外感に胸拉ぐ思いを募らせていった。
「まぁ確かに。普通だったら信じられないだろうな」
「でも、だから余計に怖いんだろう。自分が生きていた世界との違いが大きすぎるから」
死への恐怖は竹谷達とて感じたことはある。五年生でもある彼らはこれまでに受けてきた実習でそれは否応なしに植えつけられた。それだけじゃない。その他にも、軽々しく口には出来ないような惧れと対面し何とか踏ん張って乗り越えたからこそ今ここにいる。それはこの世界に生まれた時点で、忍という道を選んだ時点で避けられないものだった。
けれどはそんな惧れとは無縁の場所で生きてきた。死の恐怖を感じることもなく、血の滲むような苦労も味わったこともなかったのだろう。だからにとってこちらの世界はあまりにも畏怖の対象ばかりで恐ろしく、また初めて感じた死への惧れに怯えながら過ごしてきたのだろう。ずっと、それを胸に抱えたまま。
「どうにかしてあげたいね」
が心から笑える場所を作ってあげたい。少しずつ打ち解けてはいるものの、まだ他の生徒達と距離を置いているだろうことは一目瞭然だった。せめて学園の中だけでも、彼女の安らぎの場となれば。

「それはお前たちにかかってるかもしれんな」
突如聞こえた声に四人は揃って襖へと振り向く。
「土井先生」
入口に立つ教師の名を兵助が呼ぶ。その半助の後ろからひょっこりと二つの顔が現れた。
「伊助?」
「庄左ヱ門」
後輩二人に目を丸くする。半助の後ろからおずおずと五年生を見る伊助とは対称的に庄左ヱ門は彼らに向かって小さく会釈した。そんな二人の様子に苦笑しながら半助は二つの頭に手を乗せる。
「お前たちに用事があって保健室に向かおうとしていたら二人を見つけてな。どうしても彼女の様子が気になって来てしまったらしい。仕方がないから連れてきたんだ」
子供ながらに彼女に何かあったのではないのかと敏感に感じとったらしい二人をそのまま部屋に帰すことは出来なかった。半助は少しだけ様子を見たら戻るよう二人と約束した上で連れてきた。
「土井先生いつからいたんすか?・・・てか、まさか二人もずっと聞いてました!?」
あたふたと慌てる竹谷に兵助がポンとその肩を叩く。
「八、伊助も庄左ヱ門もさんが異世界から来たってことは知ってるぞ」
「へ・・・?」
淡々と答える兵助に竹谷がポカンと入口に立つ二人を見た。
「おや、庄左ヱ門。お前も知っていたのか」
「はい。さんが学園に来たその日にぼくも伊助や久々知先輩と一緒に学園長の庵に立ち会ったんです」
三郎の問いかけに庄左ヱ門は落ち着いた返答をする。
半助を挟んで反対側に立っていた伊助がの眠っている布団へと近づく。布団の脇に座っていた兵助の横にちょこんと座り込み泣いた跡がくっきりと残っているその寝顔を覗きこんでから兵助を見上げた。
「久々知先輩。さん、何があったんですか?」
その涙の跡を見つけた伊助の顔は何かあったのだと確信を持ってしまっていた。同じように近寄ってきた庄左ヱ門もそれに気づいて問うように三郎を見上げる。
兵助は視線を漂わせ、どうしたものかと思案する。納得の出来るような答えを返さなければこの場から梃子でも動かなさそうだ。そんな意志を持った眼差しだった。かといって全てを語るのはその内容からも憚られる。おそらく、もこの二人には知ってほしくはないだろう。どうするかと三郎を見たが目が合ったその時にはあちらも同じような視線をこちらに向けていた。
「心配いらないよ。風邪でちょっと心細くなっていただけなんだ」
「不破先輩、それってどういうことでしょうか?」
「うん。風邪を引くと誰だって心が弱くなるだろう?さんも同じで元居た場所のことを思い出しちゃったみたい」
上手く濁された内容は回答としては及第点だった。
動揺も見せずにっこりと笑う雷蔵にその言葉は真実味を帯びる。
「じゃあ、ほんとに何もなかったんですね?」
確かめるよう再度見上げる伊助に、兵助は心の中で雷蔵に感謝しながら今度こそしっかりと頷いてみせた。


「ところで土井先生、さっき仰ってた俺達にかかってるかもってのは?」
思い出したように竹谷が入口に突っ立ったままだった半助を振り返る。
「その前に、学園長思いつきの試験の結果を知らせておく」
「学園長先生の思いつき試験!?」
引き攣った顔をしたの竹谷一人だった。
当然だ。四人の中で知らないのは竹谷ただ一人だけだった。
「そう。上級生を対象にした洞察力・観察力を試す試験だ」
「そんな試験が行われていたんですか?」
伊助と庄左ヱ門も当然知る由もなかったので驚きの声をあげる。
「そうだ。ただし三郎と兵助はこの試験は免除。雷蔵に関しても昼間に伝えたので結果を知らせるのは竹谷、お前だけだ」
「え?・・・ちょっと待ってください!三郎と兵助は何で免除なんすか?」
何故二人だけなのだろうか。確かに三郎も兵助も成績も良いことに違いないのだがそれだけで免除になるなど今まであった試しがない。それなりの理由を聞かなければ納得が行かない。きょとんとした顔の兵助もだが、にやにやとあからさまにこのネタでからかう気満々の三郎の顔を見ると腹が立ってくる。
「それはだな、今回の試験で我々が監視していた対象がさんだったからなんだ」
唯一、何も知らなかった竹谷の為に半助は試験の内容を説明してみせた。同時に三郎と兵助が今回の試験については免除されたその理由も。
「はぁ・・・それならまぁしょうがねぇか」
納得せざるを得ない説明に深く溜息を吐いた。竹谷は斜め前からそれはそれは憎たらしい笑みでこちらを見ているだろう三郎をなるべく視界に入れないよう心掛けた。
「それじゃあ土井先生!さんを利用したんですか!?」
思わず立ち上がって声を荒げたのは伊助だった。
「伊助声大きいよ。さん寝てるんだから」
「あ・・・ごめん。でも、そのせいでさんが苦しんだって言うんなら・・・」
「伊助落ち着け」
庄左ヱ門の注意もあまり意味はなく食って掛かろうとする伊助に半助が慌てて止めに入る。ここまで必死な姿の伊助は珍しい。よほどのこと慕い、また心配しているのだろう。あの学園長の庵での件を思い出しながら、改めて半助はそれを痛感することになった。
「土井先生の言う通りだ。伊助、気持ちは分かるけどちょっと落ち着け」
「久々知先輩・・・でも!」
「まだ話には続きがある。そうですよね土井先生」
「え?・・・続き?」
先ほどまでの勢いは消え、伊助はきょとんとした顔で兵助を見上げ、そして半助にその視線を移す。
「その通り。伊助、まずは話を聞きなさい」
落ち着きを取り戻した伊助はその場に座りなおす。
「今回の学園長先生の思いつきの試験はこれで終了だ。今他の先生方が生徒達にその事を報告に回ってる最中なんだ」
「あ、それで土井先生俺の結果は?」
「安心しろ。竹谷、お前もちゃんと合格だぞ」
半助の言葉に竹谷がホッと息をつく。
「それでだ。伊助、庄左ヱ門、これがどういう意味か分かるか?」
自分の生徒達へ半助は問いかける。授業さながら出された問題に、は組で比較的真面目に授業を受けている二人は揃って頭を捻らす。数秒の後、何かに気づいたのかパッと顔を上げたのはやはり庄左ヱ門だった。
「分かりました!先生方の、さんへの警戒が試験の一貫だと知ることになる・・・つまりは上級生達のさんへの疑いもそれと同時に晴れるんですね!」
自信を持っての庄左ヱ門の回答に半助は満足げに頷いた。
「正解だ。それに我々教師達の話し合いで彼女は無害だと判断されたから今後彼女への監視は一切なくなる」
「ほ、本当ですか?」
「ああ。もう誰も彼女を疑ったりはしないだろう」
ずっと難しい顔だった伊助の表情が緩んでいくのを目の当たりにしながら半助は静かに事を見守っていた五年生を見回した。
「それでようやく話は最初に戻るんだがな」
「俺達にかかってるって話ですね」
「そうだ。これで学園は本当の意味で彼女を受け入れることになった。けど肝心の彼女が我々に歩み寄ろうと思わなければ溝は出来たままだ」
一度その身に沁みてしまった人と接することへの怯えはそう簡単には取り払えはしないだろう。只でさえ不安定な精神状況で浴びてきた厳しい視線はの心を閉ざしてしまうには十分だった。
「だからこそのお前たちだ。少なくとも彼女はお前たちには心を開いてる筈だからな」
教師達はもちろん、忍たまにすら自ら話しかけようとはしないが、唯一信頼している存在。それはこれまでを監視してきた教師達から見れば一目瞭然だった。
「彼女を追い詰めた我々が言えた台詞じゃないが、支えてやってくれ」
彼女がこの学園にとけこむことが出来るように。が歩み寄ろうとしなければ全ては始まらない。だから彼女がそうやって少しずつでも生徒達と接することが出来るように支えてやって欲しい。それは彼らにしか頼めない内容だった。




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2009,05,05