「・・・気取られたな」
下を覗き込み仙蔵が声を押し殺して呟く。
「鉢屋か?」
「ああ。だが他の奴も気付いているな」
「伊作お前の所為だぞ」
文次郎がぎろりと隣に座る伊作を睨む。
「しょーがないだろ!いきなり天井裏に引っ張り込まれたら誰だって驚くよ」
反論の声をあげる伊作はその膝の上にお盆を乗せていた。食堂のおばちゃんから預かったの食事だ。何か口にしないと治るものも治らないだろうと心配したおばちゃんからお粥を渡されたのだ。もとよりおばちゃんに頼むつもりだった伊作としては手間が省けたので礼を言って快く引き受けた。しかし保健室まであと少しというところでいきなり粥をのせた盆を奪われ、かと思えば自身も強い力に引っ張られたのだから怒りたくもなる。何がなんだか分からない状況で「静かにしろ」と言われてもはい、そうですかと従えるわけがなかった。結果それが三郎に気取られてしまった原因なのだが伊作としては自分に非があるとは思えなかった。
「大体皆どうしてこんなとこにいるのさ」
ぐるりと車座になって一枚の天井板を少しだけ外し、その隙間を覗き込む級友達を訝しげに見つめる。只でさえ狭い天井裏に身を寄せ合う様子は見ていて不気味だ。自分もその一部に加わっているにも関わらず伊作は溜息をついた。伊作が覚えている限り、夕飯を食べ終え厨房に入るまではまだ食堂に彼らの姿はあった筈だ。
五人を見つめる伊作の表情は険しかった。当たり前だ。保健委員長として彼は保健室――つまりはこの下の部屋になるのだが――に戻りたいのだから。雷蔵に任せて一時空けてしまったが以外の怪我人や病人が来る場合もある。それにおばちゃんから預かったお粥のこともあり、冷めぬうちに届けたいのに。
伊作の視線にそれぞれ気まずげに顔を背けた。唯一小平太だけが伊作のその視線をきょとんとした顔で見つめていたが彼への答えを期待していない伊作はその視線を同室でもある留三郎に固定させた。
「・・・留」
ゆっくりと背けた顔を戻した留三郎は僅かばかり躊躇し話し始める。
「あー・・・あれだ、彼女・・・さんだったか?その人が倒れたって聞いてな、」
「気になって皆を誘って様子を見に来たんだ!」
留三郎を遮って小平太が割り込む。
しかし理由を知る事が出来た伊作は納得と同時に未だ顔を背けたままの二人を見た。
「仙蔵と文次も?」
「お、俺はただ小平太に引っ張られてきただけだっ!」
まるでそんなこと関係ないとでも言いたげな文次郎だが、この場から去らない辺り多少は気になっているのだろう。現に気取られたのは伊作の所為だと睨まれたのだから。文次郎のその態度はいつものような事なので適当に流して伊作は次いで仙蔵に視線を据える。仙蔵はふっと息を吐き観念したように口を開いた。
「保健室でお前が言っただろう。さんの顔色が良くなかったと」
「確かに言ったけど・・・」
「私も鬼ではないからな。そのような時に問い詰めてしまった事への罪悪感はあるのだよ」
伊作は目を丸くしてパチパチと瞬きを繰り返した。つまるところは心配していたのか。そんなこと口にすれば皆して全力で否定することは目に見えているので心の中に留めておくが要するにはそういう事じゃないかと思う。
「まぁ今は五年の奴等がいるから入っていくのもあれだと思ってな」
「それで天井裏に・・・」
全てに合点が言った伊作のその向かい側で仙蔵は薄く笑った。
「だが逆に都合がよかったかもしれん」
「・・・・・・・・・・・・どういうことだ?」
いつも以上にぼぞぼぞとした長次の呟きは隣に座る仙蔵と小平太にしか聞き取れなかった。
「どういう意味?」
同じ質問を繰り返した伊作に仙蔵は人差し指を己の唇の前に持っていき全員を黙させる。それから隙間らか見える下を指差した。

「二人とも気付いてたよね?先生方が私を警戒していたこと」

の声が聞こえる。今まで級友達に説明を求める事に気をとられていた為に伊作はこの時になって始めてが目を覚ましていることに気付いた。が、どうやらそれは伊作だけらしい。他の五人はとっくに知っていたらしく、が話し出すその内容に耳を傾けていた。
「ちょ、仙蔵!一日猶予を与えるんじゃなかったのか!?」
「お前がぐだぐだ説明を求めている間にも話は進んでいてな。彼女の許可はないがアイツらは我々が聞いていても構わないそうだ」
「へ?」
「不破曰く二度手間になるよしはマシだってよ」
未だ理解が追いついていない伊作を置いて仙蔵達は微かな隙間を覗き込む。
二度手間。雷蔵が言ったらしいその台詞に伊作は昼間のことを思い出した。伊作が話したので雷蔵だけがが六年生に問い詰められていたことを知っていた。彼女を気遣って言ったのが分かるそれに文句の言葉が出てくる筈もなく、伊作は遅れて彼らの輪に加わっての語りだす話に耳を澄ませた。





泣きじゃくる声だけが空気を震わせて天井裏にまで届く。堰を切ったように溢れて止まらず兵助の胸に顔を埋めて泣く姿が瞳に映る。が語って見せたその経緯に誰もが己が耳を疑った。あまりにも非現実的過ぎて想像することすら難しかった。それなりの事情があるのだろうと予測していたがそれすら簡単に通り越した突飛な内容だった。誰も何も言えず、ただの泣く声だけが鼓膜の奥に響く。
沈黙を打ち破ったのは不意に現れた一つの気配だった。音もなく背後に降り立ったそれに各々が反応を示して振り返る。
「お前達、こんなところにいたのか」
「・・・山田先生?」
一年は組実技担当の山田伝蔵の登場に一同は目を丸くする。伝蔵は彼らが潜んでいた場所・ここが保健室の上だと確認し、それから下の気配を探って状況を素早く把握する。自分を訝しむように見つめる六年生に矢羽音でついてこいと示し、先に天井裏から動いた。


「一体何でしょうか?」
保健室の隣の空き部屋に移動し、天井裏から降りたところで計らったように仙蔵が伝蔵に問いかけた。そこに先ほどまでの様子に言葉もなくなっていた彼の姿はない。視線が探るように伝蔵を見据えていてさすがに切り替えも早いとその口元に笑みを乗せた。
「そう大した話ではない。お前達警戒は解いていいぞ」
仙蔵だけではない。皆が先ほどまでとは違う、忍らしき顔で伝蔵を伺っていた。
その険しい表情を取り払うように伝蔵は朗らかに笑った。
「では何の用で我等を?」
「なに、学園長のいつもの思いつきで行われた試験の結果を知らせにきたのだよ」
「は?」
「試験?」
「学園長の思いつき?」
それぞれが掬い上げた単語を呟きながらも"学園長の思いつき"という一言に顔をしかめる。
「結果って、いつの間にんなの行われたんですか?」
「ここ数日間の間だ。上級生限定の観察力・洞察力を試すものだ」
勘の鋭い者数名がすぐに察知した。
「それではやっぱりここ数日のさんに対する視線は」
「その通り。特別試験の一貫で我々が態と彼女を監視していた」
「じゃあ留の勘は当たってたんだね」
「で、山田先生試験の結果は?」
「無論お前達全員合格だ」
ホッと胸を撫で下ろす者、当然だとばかりに胸を張る者などその反応は様々。
一通り彼らの反応を窺ったあと、伝蔵は再び口を開く。
「だが我々が彼女を監視していたのは事実でもある」
しんとその場から音が消え去った。和やかだった空気にピンと糸が張り巡らされる。
「お前達聞いたんだろう。彼女がこの学園に来た経緯を」
ぐるりと六人を見回す。予測ではあったが確信にも似た思いもあった。伝蔵のそれは外れてはいないらしい。面持ちの変わった彼らに苦笑した。
「はじめはな当然だが彼女は怪しいと我々が疑って監視を続けていた。だが四六時中監視していたにも関わらず怪しい動きも不審な点も見られなかったので彼女は学園に無害だと決断が下った」
「それは、今回の試験が行われる前にですか?」
「そうだ。試験は今を持って終了とする。これで彼女への監視は一切無くなるだろう」
何か言いたそうに口を開きかけた文次郎にその隙を与えず伝蔵は続けた。
「だが一部の先生方がまだ半信半疑なのも確かだ。今回の決断も渋々承知したこともあって、態度には出さないだろうが常に気を配るつもりではあるはずだ」
完全に信じてしまえば裏切られた時の痛手が大きい。それを教師達は分かっているので受け入れることを了承しても心の一部で疑いの意見を潜ませておかねなばならない。

「だからな、お前たちは彼女を受け入れる側になってやって欲しい」
伝蔵の申し出に六人は驚きで目を丸くさせた。
「先ほどの彼女の様子を見ただろう。あれは我々が監視と言う名の理由で追い詰めてしまったことも原因の一つになる」
その言葉にぎゅっと伊作の眉が寄る。もしも彼女の話していた事が真実だとすれば、見知らぬ世界に来た不安に、死の恐怖、そして疑い視線とそれら全てが彼女に圧し掛かっていたことになる。それでは憔悴してあんな風になってしまうのも無理はない。何より、昼間自分達が問い詰めたそれこそが追い討ちをかけてしまったのではないか。
「だからな、もう二度とあんな事態にならないように彼女を受け入れてやって欲しいのだよ」
最上級生である彼らだからこそ警戒は解けにくい。 それを分かっていながら伝蔵は六人に言い聞かせる。
「お前たちは上級生だ。お前たちの彼女に向ける視線を下級生はそのままの意味で捉えてしまう。・・・何が言いたいか分かるな?」
尊敬し慕う先輩が不審だと疑えば、おのずとその後輩も心のどこかで疑いを持ってを見てしまう。素直で無邪気な下の子たちは見ていないようで意外と見ているのだ。話してみたいと思っても先輩達が警戒しているのだと少しでも感じてしまえば、下級生は躊躇してしまうのだ。
「完全に信じられないのならば、接していくうちにその答えを見つけ出せばいい。だから先ずは彼女が心から笑って過ごせる場所を作ってやってくれ。これは学園長先生からの頼みでもある」
六年生でもある彼らが心を開けば自ずと下も慕うようになるじゃろう。そうほくほくとした笑みで告げた学園長の言葉を伝蔵は彼らに伝えた。
「お前たち、頼まれてくれるな?」
他ならぬ学園長の命令とあれば逆らうなど出来るはずもないのだが、それでも伝蔵は彼らの返事を待つように口を閉ざす。じっと一人一人の瞳を伺った。
「もちろん!お任せください」
すぐさま満面の笑みで答えたのは小平太だった。ドン・と力強く己の胸を叩く。
その隣で長次がこくりと首を縦に振って頷いた。
「私もお受けします」
真っ直ぐに伝蔵を見つめ返して伊作が力強い声で答えた。
「いさっくん。やけに力こもってんね」
にっこにこと笑う小平太に伊作は困り顔で笑みを浮かべる。
さんの涙は嘘じゃなかった。それに、追い討ちをかけてしまったのはきっと私達だ」
ずっとぎりぎりで保ってきた筈の彼女の心にぐさりと決定的な一撃を与えてしまったのは先ず間違いないだろう。やはりあの時止めるべきだったのだと酷く後悔している自分がいる。
伊作の言葉に留三郎が気まずげに頭を掻きポツリと呟いた。
「・・・俺も、善処します」
伝蔵は残った二人、仙蔵と文次郎へ視線を据える。
「お前たちも頼んだぞ」
二人の肩に手を置き、力を込める。数秒の間を置いて渋々ながらも返って来た返事に伝蔵は満足そうに微笑んだ。




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2009,04,20


やっぱり六年生全員は難しいですorz 長次の出番が少ない…!