「私は――」
「ちょっと待った」
話を始めようとしたに待ったの声がかかる。その声は普段のそれとは違う真剣なものでは大人しく口を閉ざす。三郎は雷蔵、竹谷、兵助をそれぞれ一瞥してからその視線を一瞬だけ天井へと移した。
「いいのか?」
その三人にだけ問う。にはさっぱり何のことか分からず首を傾げるばかりだ。
「・・・別にいいんじゃないかな」
ほんの少しの間逡巡してから雷蔵が答える。
「何でだよ?」
「二度手間になるよしはずっとマシだと思うんだ」
雷蔵の答えに何か勘付いたように三人は頷いた。
「・・・あの時の忠告が現実となったか」
消え入るような声で三郎がそう呟いたのを聞いたのは隣に座っていた雷蔵だけだった。それに対して思うところはあったが、今は話を聞くことの方が先決だと思い聞き流す。
「えと・・・、」
一人蚊帳の外にいたは遠慮がちに話を止めた三郎達を見た。
「気にしないでください。三郎の勘違いだったみたいです」
「おい」
誤魔化す為の言い訳だろうが、何故だろうそれは納得がいかない。
しかし三郎のその批難の声は綺麗に無視された。
さん、どうぞ話を続けてさい」
「・・・うん(何が勘違いだったんだろう・・・?)」
雷蔵と兵助に促され、若干の疑問を残しながらも頷く。は気持ちを改めるように一つ深呼吸をした。和みつつあった空気が一転して張り詰めたものへと変化する。その中では雷蔵と竹谷の二人に視線を置く。
「二人とも気付いてたよね?先生方が私を警戒していたこと」
監視されていることはは三郎に言われるまで知らなかったし気付きもしなかった。けれどそれはが気配も探ることの出来ない素人だからで、彼らは違う。忍術学園で一流の忍者になるために五年間も学んできた人間だ。三郎同様に何かしら気付いてはいただろう。気まずそうに頷く雷蔵と、少し考える素振りを見せてから頷いた竹谷には少し顔を歪めながら笑った。
「知っていたのに・・・怪しいと思ったかもしれないのに変わらずに接してくれて、ありがとう」
「そんな、お礼を言われるようなことじゃないですよ!」
小さく頭を下げるに慌てたような雷蔵の声が聞こえた。
「雷蔵の言うとおりだ。それに、先生達がどう考えていようと兵助が連れてきたんだ。俺らはその判断を信じただけだ。な、雷蔵」
「うん」
にっと笑ってみせる竹谷にはぎゅっと唇を噛み締めた。
さん、上級生の中じゃ僕たちが一番貴方と接する機会が多かったと思うんです。普段のさんのその姿が偽りだとは思えません。一番近くで見てきた僕達はそう感じたんです」
優しく言い聞かせるかのような雷蔵の言葉にはくしゃりともう一度顔を歪めながらも「ありがとう」と小さく呟いた。込み上げてくるものをぐっと堪えるように布団の端をその手で握り締める。
「信じてくれてありがとう。・・・だから、だからね、話さなくちゃいけないと思ったの」
こうやって話すのも何度目かになるのにやはりどう伝えたらいいのかとは戸惑う。きっと慣れることはないんだろう。それくらいににとっては衝撃的で不可思議な出来事だった。
「私、は・・・、この世界の人間じゃないの」
虚を衝かれたかのようにポカンとする二つの顔がの視界に入る。
言われている意味に理解がついていっていない顔だった。
「ここは私がいた場所とは違うの。何がどうなったのかは私にも説明出来ないけど、でも気が付いたらここに居たの」
は当り障りのない程度に自分がいた世界について、そしてこの世界との違いについて話した。
「学園に来てこの事を学園長を始め、先生方にも話したの。・・・でも、到底信じられる話じゃなかったから、だから・・・」
未だ話しについていけない竹谷が三郎と兵助を振り返る。二人はそれぞれの話に同意するように頷くだけだ。
「信じられないならそれでもいい。ただ、私が二人には隠しておきたくはなかった。雷蔵君にも竹谷君にもずっと助けられてきたから」
俯き加減になったの声が聞き取りにくくなる。あまりにも突拍子のない話にただ驚いてばかりだった雷蔵はその肩にそっと手を置いた。反応におそれてかの肩がびくりと揺れる。
「信じますよ」
ハッとは顔を上げる。
「吃驚しましたけど、でもこんな状況で嘘を言う理由も見つからないですしね」
「雷蔵君・・・」
「それに始めから決めてましたから。どんな話だったとしても僕は信じようって」
「・・・っ」
見上げた先にはいつもと変わらない柔らかい笑顔。
「俺も信じるぜ」
「・・・竹谷君」
「信じがたいけどそれが事実なんだろ?だったら俺はさんの言ったことを信じる」
総てを包み込むような温かい笑顔。胸が、熱くなる。どうしてこんなにも優しいのだろう。気がつけば兵助も三郎もその目元を和らげてを見つめていた。泣きたくなるのを堪える為には顔を俯かせる。
「ありがとう・・・ほんとに、ありがとう・・・・・・」
何度もそう呟くに四人はそっと互いに目配せして笑った。




さん、一つだけ聞いてもいいですか?」
落ち着きを取り戻したに雷蔵が少し遠慮がちに問いかける。
「・・・夢の、こと?」
目を丸くする雷蔵には控えめに笑いかける。雷蔵と竹谷に事情を説明することも大事だったけど、きっと此処からが本題だ。それを一人知るは急に湧き上がってきた恐怖を押し込めるようにそっと瞼を伏せ静かに息を吐き出す。
「ここからの話は誰にも話してない事なの。三郎君にも、兵助君にも」
ゆっくり、開けた視界に映った四人の姿に安堵しながら顔を引き締めた。
「私が、この世界に来るきっかけになった出来事のこと」
「きっかけ?」
「うん。それがね、夢のことにも繋がるの」
唇が震えそうになる。布団を握る手さえもが震えそうになって空いた片方の手でぎゅっと押さえつけた。
「時間帯は、夜だった。私の世界だとね、夜でも開いてるお店があって、それでその店に行こうと一人で歩いてたの」
じっと聞いてくれる彼らにはなるべく解り易く説明する。コンビニのこと、が家庭の事情で一人で暮らしていたこと。携帯電話が相手も持っていれば遠く離れていても話をすることが出来ること。それから車のこと。どういった原動で動いているかなど、詳しくなんても知らないから断片的にしか説明は出来なかったが、正面から衝突すれば大怪我を負うことは免れず、最悪の場合死ぬこともあるのだと伝えた。
「お母さんと、電話してたの・・・。一人で暮らす私の心配してくれてた。でも、その声がいきなり遠くなって、聞こえなくなったの」
頭の中に響く、少し呆れたような、でも優しい母の声。
「それと同時に風が吹いたの。まるで冬の、身を凍らすように、冷たい風だった。その瞬間だけ世界から音が消えたような、そんな感覚だった」
ちらつくあの日の出来事。呼吸が苦しくなる。荒い吐息がの口から漏れた。
さん――」
無理に話す必要は、そう言いかけた兵助をが首を横に振って遮った。
「・・・聞いて、欲しいの・・・・・・」
小さく漏らしたその一言に兵助はそれ以上は何も言えず黙り込んだ。
ゆっくりと息を整えてからは続きを話し始める。
「それから・・・何だか嫌な感じがして振り返ったの。そうしたら目前にまで車が迫ってた」
普通だったら車の音に気付いていてもおかしくはない。それが目前に迫るまで気付けなかったのは、あのおかしな風の所為だったのかもと今になって思う。
「間に合わないと思った。死ぬんだ、って思いながらどうすることも出来なくて、目を閉じた。・・・・・・・・・そうして目が覚めたらこっちの世界にいて、伊助君と兵助君がいた」
何も言えずただ沈黙が流れる。その中ではゆるゆると視線を動かし雷蔵を見た。
「私にとって辛い夢かって、雷蔵君は聞いたよね・・・?」
「・・・・・・はい」
「こっちに来てから毎日見るの。あの日の、この世界に来る直前の出来事を」
聞くことが出来なかった母の言葉を、知る事が出来るのなら知りたいと、切に思う。無理だと分かっているから、その思いは強まる。そうして闇に堕ちるように負のループの幕が上がる。
「こっちの世界に来なければ・・・、死んでいたかもしれない」
の顔はすっかり青褪めていた。
「帰りたいって・・・、思うのに・・・・・・帰るのも怖い。・・・・・・ここで、頑張って生きていこうって決めたのに、そんなことを考えてしまう自分が、嫌になる」
決めていたのに。伊助や兵助の気持ちを裏切りたくはないと、そう誓った筈だった。それなのに、心の奥底ではいつもそんなことを考えていた自分がとてもあさましい。
「み、皆の気持ちを・・・裏切りたく、ないのに・・・・・・!」
顔を両手で覆った。あふれ出すそれを抑えるように、すすり泣く声だけが保健室に音として空気を震わせる。


この世界に来てから彼女はまだ一度だって泣いたことがなかった。泣きそうにな場面は何度か見たのに、それでも決して涙は見せなかった。普通ならもっと感情的になって泣きじゃくったとしてもおかしくはない状況ばかりだったのに、それでもは気丈にもずっと堪えていた。
「裏切ったなんて思いません。それは、当たり前の感情です」
あまりにも重たい真実にどう言葉をかけるべきか悩む中で口を切ったのは兵助だった。
初めて会ったとき、彼女の瞳に映ったあの絶望の色の、本当の意味を今ようやく理解した。知らない世界に来たことだけじゃない、彼女の中に付き纏っていた死の恐怖。大切な人たちに二度と会えないかもしれないという懼れ。それがその瞳に濃く表れていたのだと。
帰りたいと思うのはおかしなことじゃない。誰だって自分を待ってる人がいる、愛しい場所が一番大切だろう。彼女にとってのその場所はあちらの世界なのだ。
「俺達は貴方を元いた世界に帰してあげることも出来ないですけど、でも話ならいつだって聞いてあげれます」
兵助の言葉に、ほんの少しだけてのひらをずらし、目許を曝したはそのまま四人を見た。それぞれに優しく弧を描いた唇と共に大きく頷かれる。
「さっきも言いましたけど、さんは一人じゃないんです」
「助けが必要だったらいつだって手を貸すし!」
「教職員や他の奴等はともかく私達はさんの味方だ」
「・・・だから、一人で抱え込んで我慢する必要なんてどこにもないんです」
彼らの言葉がそのまま胸に沁み込んでいく。それを切欠にぶわりと感情が昂ぶって、一番近くに座っていた兵助の胸に飛び込んで大声を上げて泣き出した。ずっとずっと堪えていたものをそのまま流れ出すように、泣きじゃくる声は止まらなかった。




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2009,04,10