「・・・・・・・・・うっ・・・・・・」 微かな呻き声に雷蔵は手拭いを絞っていた手を止めてへ視線を移す。 「さん?」 静かな呼びかけに数秒の間を置いてから薄っすらと瞳が開く。ぼやけたような天井を見つめていた瞳は数回、ゆっくりと瞬きを繰り返した後、雷蔵を捉えた。 「・・・雷蔵、くん・・・・・・?」 「はい。気分はどうですか?」 眠っている時の苦しそうな顔と比べると幾分か穏やかな様子にホッとしながら、熱の高さを示すように淡く染まる頬を見て持っていた手拭いをの額へとのせる。のせられた手拭いを不思議そうに見つめるの顔には意味が分からないと書いてあって雷蔵は苦笑を滲ませた。 「食堂で眠っていたんですよ。熱があったので保健室に運ばれてきたんです」 「・・・・・・・・・え?」 「覚えてませんか?」 「・・・・・・食堂に行ったところまでしか」 理解できぬままにとりあえず起き上がろうとしたに気付いて雷蔵がそっと押し戻した。その反動で落ちてしまった手拭いを拾ってもう一度その額に乗せなおす。 「善法寺先輩が暫くは安静にと言ってましたよ」 「でも夕食の準備が・・・」 「熱を下げるのが先決です」 「・・・うぅ」 「慣れない仕事に疲れが出たんだと思います。だから今は休んでください」 納得が行かなさそうに雷蔵を見上げて数秒の後、諦めたように小さな返事が返ってきた。 「雷蔵君が運んでくれたの・・・?」 「はい、まぁ」 「ごめんね。重かったでしょ」 「そ、そんなこと・・・!」 慌てる雷蔵には口元だけを緩めて静かに笑う。けれどその笑みはすぐに消えてぼんやりと天井を見上げた。それを見かねた雷蔵が僅かに躊躇して、声をかけた。 「まだ夕食までは時間があります。もう一眠りしてください」 運ばれてきてからまだ半刻と経っていない。一度戻ってきた伊作は風邪薬を煎じる為の薬草を取りに行ってくるとが目覚める少し前に出て行ったままだった。もう少し経てば戻ってくるだろう。 「・・・寝なきゃダメ?」 「体を休めるにはそれが一番ですよ」 まるで駄々を捏ねる子供のような口振りに答える雷蔵も諭すような口調になる。困ったように眉をハの字にさせたの様子を雷蔵はじっと見た。の視線は逃げるようにどこかを彷徨って何かを訴えるかの如く唇が引き結ばれる。 「眠るのが、怖いですか?」 思い切って聞いてみたそれに、不自然なほどの瞳が揺れたのを見た。込み上げてくる罪悪感に苛まれながら、もう口にしてしまったのだから後戻りは出来なかった。 「目が覚めるまで・・・その、ずっと苦しそうだったので・・・」 「・・・・・・・・・・・・」 口を閉ざし明らかに強張った顔のに雷蔵は内心で焦る。ついさっき腹を括ったばかりなのに、その顔を見ればやはり自分の出した結論は間違っていたのかもしれないと思う。深く踏み込むつもりはなかった。でも、風邪を引いた時はやはり眠るのが一番だと思うし、けれどの眠っている時のあの苦しそうな顔を見ていれば眠る事に対して何らかの恐怖を抱いているのではないかと思ってしまう。だからせめてそれだけでも解消させて、ゆっくりと眠らせてあげれたらと思ったのに。踏み入ってはいけない領域だったのかもしれない。 渦巻く思考にそれ以上言葉は続かなかった。 「・・・・・・夢を・・・見るの・・・」 か細い声に雷蔵は思考の淵から引き戻される。 見つめた先にいるはじっと天井を見上げていた。 「・・・夢?」 「うん。ずっと同じ夢ばっかり」 「それは、さんにとって辛い夢なんですか・・・?」 恐る恐るの問いかけにはそっと目を伏せる。雷蔵はそれを肯定ととった。しかし静かに瞬きを繰り返すの、その夢の内容には触れることは出来なかった。 だから、代わりにもならないが布団の端からはみ出ているその手をとってそっと握った。 「雷蔵君?」 触れた掌は思っていた以上に熱い。さっきよりもまた熱が上がったのかもしれない。やっぱりには睡眠が必要だと改めて思う。不思議そうなの声に応えるように少し強く握った。 「夢のことなんて僕にはどうすることも出来ないですけど、さんが眠るまで此処にいますから」 熱のせいで沈みかけているように細められていた瞳が大きく開かれる。 「一人だと思うから怖いんです」 「・・・・・・・・・」 「大丈夫ですよ。さんは一人じゃありませんから」 ほとんど考えるよりも先に口が動く。その所為で恥ずかしさからまともに顔を見ることが出来ず雷蔵はあらぬ方向へ視線を向ける。何も反応が返って来ないので、やっぱり要らぬお節介だったかなと気落ちしかけていると弱々しくながらも握っていた手に力が込められた。 「・・・ありがとう」 握り返された掌に視線を落とし、それからを見れば緩く笑っていた。今にも泣き出してしまいそうな笑みだった。 「ありがとう・・・・・・それと、ごめんね」 「どうしてさんが謝るんですか?」 「私、雷蔵君に言わなくちゃいけないことが、あるの・・・」 そう言ってまた体を起こそうとするので雷蔵は慌てた。無理矢理布団へと押し戻す。不満そうに寝たままの状態でまだ何か言おうとするに雷蔵は首を横に振った。 「今は寝てください」 「けど・・・」 「話なら風邪が治ってからいつでも聞きますから。だから今は治すことに専念してください」 優しく笑いかける雷蔵に暫しの後、は頷いた。そのままゆっくりと目を閉じる。そう時間が経たないうちに先ほどまでと比べたら幾分かマシな寝息が聞こえてきて雷蔵は安堵した。 伊作が戻ってきてからし暫く経った頃、パタパタと急ぎの足音が二つ、近づいてくる。伊作と雷蔵は入口へと視線を寄越す。開かれた襖の先からにゅっと二つの顔が現れる。 「「さん!」」 声を控えることも忘れての元まで走ってくるのは伊助と庄左ヱ門だった。二人はそのまま雷蔵とは向かい側に座り、の顔を覗きこんだ。 「二人とも落ち着いて。今眠ってるから静かにね」 心配で急いできたのだろう。普段は冷静な庄左ヱ門までもが動揺していた。そんな二人に苦笑と共に伊作が注意すれば、すぐに大人しくなる。 「すみません。でも心配で・・・」 「善法寺先輩!さんは?」 「ただの風邪だよ。心配はいらない」 「そうですか。・・・・・・よかった」 伊助と庄左ヱ門は顔を見合わせて安心する。 「善法寺先輩、ここにいていいですか?騒いだりしませんから」 「お願いします!」 少し離れた場所で薬の調合をしていた伊作に向かって頭を下げる一年生二人に軽く目を瞠りながらも伊作はその口を緩ませた。必死さを滲ませたその表情はのことを心配で仕方ないのだろう。そんな二人を追い出すような真似が出来るはずがない。 「分かった。けど夕食の時間までだ。君達にうつったら元も子もないからね」 「はい!」 「ありがとうございます!」 思わず出た大きな声に二人して口元を抑えてを見る。幸い、今のは眠りが深いのか起きる気配は見られなかった。それにホッと胸を撫で下ろす二人に伊作も雷蔵も温かな眼差しで見守っていると、今度は二つどころか幾つもの足音がドタバタと近づいてきた。一つ、二つ、三つ・・・・・・その数、全部で八つ。その足音の犯人が確認せずとも分かった伊作と雷蔵は互いに顔を見合わせて苦笑した。そして薬を調合していた伊作がその手を止めて入口へと近づく。足音が保健室の目の前で止まったのを見計らって伊作は襖を開けた。 「こらこら君達、病人がいるんだからもっと静かにおいで」 「伊作先輩!」 「乱太郎。保健委員としてその辺りの配慮はちゃんと覚えておくんだよ」 ずらりと並んだ八つの顔が伊作を見上げる。言われた意味が彼らにも理解できたのだろう。しょんぼりと「すみません」と乱太郎が切り出したのをきっかけに一同が謝る。けれど、さすがは1年は組。立ち直りの早さは素晴らしく本来の目的を思い出し次々と順番を待たず発言をする。 「あの、善法寺先輩!さんは?」 「風邪で保健室で寝てるって聞いたんですけど」 「大丈夫なんですか!?」 「あ、伊助に庄左ヱ門!」 「二人ともやっぱり此処にいたんだ」 「善法寺先輩、僕達も入らせてください!」 「心配なんです」 「お願いします」 伊作は返答に困って苦笑をその顔に滲ませる。さすがには組の全員を部屋に入れてあげることは難しい。どうしたものかと頭を抱える伊作に聞きなれた声が飛び込んできた。 「こらお前達!いきなり教室に飛び出したかと思えばやっぱり此処か」 「土井先生」 些か疲れた様子の半助に伊作が声をかける。 「皆で押しかけてすまないな。ほら教室に戻るぞ」 「土井先生!」 「でも僕達さんの様子が気になって・・・」 「気持ちは分かるけどな、大勢で押しかけても彼女がゆっくり休めないだろう」 半助がちらりと伊作を伺う。それに気付き伊作は頷いた。 「今は眠ってます」 「だったら尚更静かにするべきだ。お前達も分かるだろう?」 生徒達からの返事はない。けれどそれは半助の意見に反論がない何よりの証だった。 「看病は伊助と庄左ヱ門に任せよう。異論はないな?」 「・・・はーい」 納得できたのか肩を落としながらも教室の方へと歩き出す。 「また目が覚めたら見舞いにくればいい」 半助がそう説得させながら子供達の背を押していく。 「すまなかったな」 途中で振り返った半助は苦笑交じりに伊作にそう告げて子供たちの後を追っていった。 BACK : TOP : NEXT 2009,03,19 |