「きり丸がまだ来てないんですよ」
少し怒った口調で久作が言った。用事があって図書室に来てみれば、カウンターに座っているのは久作だけだった。雷蔵はおや、と思う。確か今日の当番は久作ともう一人・・・きり丸も一緒だった筈だ。気になってそのまま本棚に向かう筈だったところをカウンターによって久作に問いかければ先ほどの言葉。
「珍しいな、きり丸が遅れるなんて」
ああ見えてきり丸は委員会の仕事をきっちりこなしている。授業で遅れた場合はともかく、急な学園長のお使いを頼まれた時なんかは態々雷蔵か長次のところまで赴いて図書当番を代わってくれないかとお願いをしに来る。その辺りは下級生ながらしっかりしている。たまにうっかり忘れることもあるがその辺りはご愛嬌だ
「授業が長引いてるんじゃないのかな?」
「でもさっき委員会の用事で本を借りに来た左近は乱太郎と一緒でしたよ」
ばっさりと切られ雷蔵は言葉に困る。苦笑でそれを誤魔化しながらうーんと首を捻らせた。
「不破先輩は今日は当番じゃないんですから気にしないでください。俺一人でもどうにでもなるし」
そう言いつつも作業の手を止めない辺りが久作らしい。確かに普段の委員会から几帳面さを発揮している久作なら一人でも黙々と作業を進めてくれるだろう。しかしそれでは、何と言うか先輩としての立つ瀬がない。
「うーん・・・・・・・・・よし、じゃあこれ借り終えたらきり丸を探してくるよ」
「え?でも先輩、用があったから本探しに来たんじゃないんですか?」
「借りる本は決まってたんだ。それも明日の授業の参考に使うだけだから平気だよ」
「・・・・・・じゃあお願いします」
久作の返事に満足して急いで借りる予定だった本を本棚から探し出し、久作に貸し出しの手続きを済ませてもらい雷蔵は図書室を出た。

一度自室に戻り借りた本を置いてきた雷蔵が先ず向かったのは1年は組の教室。探し始めとしては妥当な場所だろう。入口からその中を覗けばまだ数人の生徒がちらほらと残っている。誰に声をかけようかと迷っているとトタトタと言う足音と近づいてくる気配。
「あのぉ・・・不破先輩、ですよね?どうかしたんですか」
見下ろした先には庄左ヱ門がいた。
「よく分かったね」
「何となくだったんですけど、当たってたんですね」
自信なさげではあったが普段間違えられることも多いのでこうして一発で当ててもらえると素直に嬉しい。彼の場合は委員会で三郎と接する機会も多いので他の人よりは見分けはつきやすいのかもしれないけれど、それでもだ。
「それでどうかしたんですか?」
「うん。きり丸知らないかい?」
「きり丸ですか?確か当番だからってさっき出て行きましたけど」
「そっか。一応当番のことは覚えてたんだね・・・うん、ありがとう」
「いえ」
庄左ヱ門にお礼を言ってその場を去る。当番の為に教室を出たとすれば図書室に来るまでの間に誰かに呼び止められてでもいるのだろうか。でも、は組の教室から図書室までの最短距離にはきり丸の姿は見つけられなかった。だったら、は組の教室の他に思い当たるもう一つ節の方へと向けて歩き出した。


雷蔵が向かった先は一年は組の担任でもある土井半助と山田伝蔵の部屋だった。
部屋の前について襖へと手を伸ばしかけて、止める。
「それにしても随分と懐いたものですねぇ」
「彼女の事か。仕方ないだろう、伊助と庄左ヱ門が慕っていたのだからそうなるのは目に見えていた」
「まぁそうなんですけどね」
ハァと落とされた溜息と苦笑が襖越しに聞こえる。雷蔵は極力気配を消して聞き耳を立てる。おそらくまだ気付かれていないだろう。普段ならこんなことはしないが、話しの内容が気になった。勘違いでなければ、話題に上がっているのはのことだ。
「疑いは晴れましたが私にはどうしても彼女の話は信じられません」
「それは私達だけじゃありませんよ。他の先生方もそう思っていることです」
「そうですね。でもまぁ、疑わずに済むのなら一息つけます。これでもし敵の刺客だったら伊助や庄左ヱ門に何と言っていいのか分かりませんでしたから」
半助の言葉に雷蔵は内心でホッとする。彼とて五年生。教師達のに対する態度や監視していた事に気付いていないわけではなかった。その理由こそ知らないが他の生徒よりも多少は接する機会が多い雷蔵にとってはそれはあまり喜ばしい事ではなかった。どこからどう見ても普通の少女である彼女の一体何に対して先生方が警戒しているのかその心中をずっと推し量れずにいたのだ。どういった経緯で彼女への警戒が解けたのかは知らないが、その事実は本当の意味で学園が彼女を受け入れたということになるのだ。
しかし、そこで一つ腑に落ちないことがあった。それを確かめるべく盗み聞きをしたのがばれるのを承知で雷蔵は襖に手をかけた。
「失礼します」
「雷蔵か。どうかしたか?」
「はい。きり丸を探しに来たのですが、此処にはいないみたいですね」
「きり丸?・・・あぁ図書当番か。今日は特に補習も何もないんだがな」
「まだ来ていないのか?」
「そうなんです。心当たりを探しているところだったんですが、」
そこで言葉を途中で切る。腕を組んだ半助が「全くはアイツは」とぶつぶつと独り言のように呟いているのを見て苦笑する。すっかり保護者である担任にきり丸が後から小言をもらうことはこれで確実かもしれない。
「雷蔵、どうかしたのか?」
伝蔵の言葉に苦笑を消して真面目な顔つきに変えた。
「先ほどお話していた事でお聞きしたいことがあるんですが」
ぶつぶつ呟いていた半助が顔を上げ、伝蔵も瞠目した。
「聞いていたのか」
「・・・すみません」
「いや、気付かなかった私達も迂闊だった。気を緩めすぎていたようだ」
「それで聞きたいこととは?」
中に入るように促され、襖を閉めて雷蔵は伝蔵と半助の前に腰を下ろす。
さんへの警戒が解けたとのことなんですが」
「ああ。彼女が学園に来てから暫く監視を続けていたがどこにも怪しい点が見られなかったので話し合いの結果、学園には無害だと判断したんだ」
「はい。それで・・・それはその、いつ決まったんですか?」
何かに気付いたように半助がちらりと横目で伝蔵を見た。
「五日ほど前のことだったと思うが?」
半助の視線に気付いた伝蔵だが何事もなかったように雷蔵の質問に答えた。
雷蔵がその答えに眉を寄せた。顎に手をあて難しい顔をする。
「それがどうかしたのか?」
「あの、二日前にもさんを警戒しているような視線を感じた気がするんですが」
少し戸惑いながらも雷蔵が意見を口にすれば教師二人は顔を見合わせた。
そしてその口許を僅かに緩ませて雷蔵を見やる。
「お前のその意見は正しいよ雷蔵」
半助がその顔を苦笑に変えた。
「どういうことでしょうか?」
「いや実はな学園長先生のいつもの思いつきなんだ」
苦々しそうな顔の二人に、そしてその言葉に雷蔵は一瞬ぽかんとなったが、次いで顔を引き攣らせる。何だかあまり良い予感がしないのは気のせいではないだろう。
「無害だと判断したんだがな、警戒はそのまま続けようと言い出したんだ」
額に手を当てて溜息を零す辺りその学園長の思いつきには先生方も苦労しているのだろう。
「どれくらいの生徒がそれに気付くか、観察力・洞察力を試すんだそうだ」
「ついでに言うと上級生限定でな」
「雷蔵お前は合格だ」
方法はいたって簡単。それぞれの生徒が近くに居る場でわざと彼らに分かるか分からないか程度に彼女を監視するだけ。何らかの視線を察知したような様子であれば合格。ただそれだけである。もちろん監視の方法は学年・生徒の実力の個別によって変えているらしい。
「ついでに言うと六年生は全員合格だ。五年生は兵助や三郎は除外して大半の者が合格。四年生の合格者は半分程だな」
「三郎と兵助は除外ですか」
「アイツら二人は事情を知っているから除外と言うことになったんだ。二人ともその試験については我々から聞かされて知っているぞ」
「・・・はぁ、そうですか」
雷蔵が何ともいえない顔になる。兵助が何かしらの事情を知っていることは分かるが、まさか三郎までもが知っていたとは。一体いつの間にとも思うが、思い当たる節がないわけでもないのが何となく悔しい。
「心配するな。そろそろ全員試し終えた頃だ、これで完全に彼女への警戒も消える筈だ」
雷蔵のその表情を別の意味にとったのか伝蔵が心配を取り払うように笑う。
「そのことさんは?」
「伝えれば彼女の場合顔に出てしまいそうでな。全て終えてから説明することになっている」
一通りの理由を聞き、納得が出来た雷蔵だがそこでまた新たな疑問が頭の中に浮かぶ。合格をもらえるのは構わないが、果たして先生方が警戒している相手をそのまま放っておくことなどするだろうか。自分達はともかく、一つ上の学年は。そんな不安を抱き頭を痛ませているとドタドタドターと言う騒がしい足音が遠くから聞こえてくる。
「誰だ一体、こんな足音を立てるのは」
半助がそう呟いたのとスパーン!と襖が勢いよく開けられたのはほぼ同時だった。入ってきたのは雷蔵が探していたきり丸だった。全速力でここまで来たのかその形相は凄まじい。
「きり丸!?お前今まで何処に行ってたんだ!雷蔵が探してたんだぞ!」
「それどころじゃないっすよ!土井先生!さんが・・・!!」
きり丸の口から紡がれた名前に雷蔵が腰を浮かす。
そのまま素早い動きできり丸の前に移動してその肩を掴んだ。
「きり丸、さんがどうしたんだい!?」
それに驚いて目を丸くしたきり丸だが事情を説明する方が先だとすぐに続きを話しだす。
「食堂で眠ってるのを見かけて声をかけたら、なんかすっげぇ苦しそうで熱もあるみたいなんすよ!」
きり丸の言葉を聞き、雷蔵は部屋を飛び出した。




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2009,02,26