四面楚歌。の脳裏にそんな言葉が浮かぶ。遅れて輪に加わった伊作が皆にお茶を注いだ湯呑を差し出す。どうにもこの保健室、彼ら六年生の溜まり場の一つらしい。予め用意されていた六つ分の湯呑がいい証拠だった。何ともタイミングの悪い時に訪れてしまったらしいことは分かった。よりにもよって六年生が揃いも揃っているなんて。来客用の湯呑を伊作から受け取り礼を言いつつも今の状態では到底飲む気にはなれずことり、と床に置く。
「何が・・・聞きたいの」
一度瞼を閉じ、深呼吸をした。目を開けたときには目の前に座る仙蔵の瞳をしっかりと見据える。覚悟は出来た。一体何を聞かれるのかは分からないが、避けては通れない道なのだ。これが初めてならばどうしようもなくなっていただろう。しかし在り難くもないがこれが二回目だ。三郎には感謝しなければ。うけた警告と共にあの時とは気構え方が違う。大小なりとも傷つくだろうがそれはもう仕方のないことだと腹を括る。
「なかなか肝が据わってるな。とても今まで私達を避けていた人だとは思えないな」
「ちょ、仙蔵!」
「伊作お前は黙ってろ。現に事実だろ」
顔に出たのだろう。を庇おうとした伊作を文次郎が問答無用で黙らせた。ああ、そうか。やはり彼らは最上級生、最も教師達に近い位置にいる人間なのだ。特別彼らだけを避けたつもりはなかったが1年は組や5年生以外の生徒とは自ら関わろうとしなかった事などお見通しのようだ。
「1年はともかく5年の奴等とは打ち解けてるみたいだが、どうもそれが解せなくてな」
「それは・・・」
「お前を見つけたのが久々知だったからとでも言うつもりか?」
「・・・っ」
「・・・・・・だとしても色々と疑問が残る・・・」
「そうそう!別に私達のことを避ける必要はないだろー?」
「何か理由でもあるのか?」
愕然とした。人を避けてしまうのは他人からの視線に怯えているからだ。根付いてしまった感情を振り払うのは早々簡単なことではない。自意識過剰だと分かっていても奇異の目で見られるのが怖くて人との関わりを無意識に避けていた。けれど彼らの話だとそれが逆効果となっているように聞こえるのだ。のその行動が彼らの不審さを募らせた。
「それに教師達のあからさまな程のお前への警戒も気になる」
「あれでは我等にあなたを疑えと言っているようなものだ」
「それはそれで気になるけどな」
独り言のように呟いた留三郎の言葉を伊作が拾う。
「留、それって」
「いや、だがまだそうだとは言い切れん」
あくまで推測だ。そう付け加えた留三郎の言葉に仙蔵が意見を返す。
「しかしその可能性もなくはないな」
「けどコイツは何も知らなさそうだぞ」
「本人には言ってない場合もあるだろう」
当人のを置いて始まった話し合いは何がなんだか分からなかった。全く話しについていけないは会話を聞いているしかない。しかしその内容も主語が省かれてしまっているために理解できなかった。
「だったら本人に聞くのが一番だろう!」
いつまでも続きそうな話し合いに終止符をうったのは意外にも小平太だった。
始めからあまり話し合いに参加していなかった小平太にはその会話自体が興味がなかったのだろう。当の本人がここにいるのだ。だったら聞いてみるのが一番早いじゃないかと小平太は思っている。
小平太以外の全員が互いの顔を見合わせた。
「それもそうだな」
「確かに。どちらにしても幾つか聞いておかなきゃいけないことはある」
意見が一致したらしく、置いてけぼりをくらっていたに視線が集まる。
「では先ず・・・・・・」
「ちょっと待った!」
「んだよ伊作!」
話を進めようとした仙蔵を遮った伊作に文次郎が不機嫌に聞き返す。
仙蔵も言葉にはしないが伊作を見る視線が冷たい。
「多分だけど、彼女は学園に害を成すような人じゃないと思うよ」
は弾かれたように伊作を見た。
「なにぃ!?」
「ほぅ」
「・・・・・・・・・・・・」
「でもいさっくん、先生方はさんを警戒してただろう?」
「伊作、何でそう思ったんだ?」
気になったのはも同じ。 まさか自分の肩を持つ人がいるとは思いもしなかった。
さんの手だよ」
「手?」
は自分の手を見つめた。
「綺麗過ぎるんだ。水仕事で荒れてしまったことを除いては、だけど」
さん、ちょっと失礼するぞ」
仙蔵がの目の前へと進み出てその手を取る。
の隣に座る伊作が仙蔵の眉がぴくりと動いたのに気付く。
「なるほど、お前の言うとおりだな」
「だろ?でもそれだけじゃないんだ」
「ああ。先ほど治療の終わりにお前が言おうとして口篭ったのはこのことか」
「・・・さすが仙蔵。気付いてたんだ」
「当然だ」
自信あり気に吐かれたセリフと共に元居た位置に戻る。
「んでどういうことだ?」
「伊作の言うとおりという事だ」
「だからもっと詳しく説明しろって言ってるんだ!」
「うるさいぞ文次郎。それくらい察しろ」
「最初の言葉の意味はともかく、お前等二人が言ってた意味までは分かるかっ!」
「文次郎、ここが保健室だって忘れないでくれよ」
保健委員長として黙っていられない伊作は威圧感たっぷりの微笑を浮かべる。うっかりそれを見てしまったはそっと視線を外した。見た感じは一緒なのに治療をしてくれたそのときの優しい笑顔とは全然違う。
静まり返ったところで、伊作が息をつく。
「あり得ないんだよ」
「・・・・・・・・・どういうことだ?」
「これまで見た中で一番綺麗な手をしてるんだ。それこそどこぞのお姫様並だよ」
伊作の言葉には再び己の手を見つめる。そうなのだろうか。特別な手入れも何もしていない掌はいたって普通にしか見えない。
「武器の類すら握ったこともない。こんな人に敵も潜入なんて任せないだろ。だから仙蔵が始めに聞こうとした線は薄いと思う」
説得力は十分にあった。保健委員の伊作が言うからこそ説得力のある言葉だ。怪我人であれば誰彼構わず治療をしてきた伊作は様々な人間の手を見てきた。一流の忍者、戦に参加している武士、畑を耕す農民からそれを手伝う幼い子供まで。だから分かる。の手はその中のどれでもない。
「けど伊作、そうすると全部に説明がつかなくなるぞ」
「そもそも彼女は学園長の許可で学園にいるんだから、敵の可能性は薄いんじゃないの?」
「だがあえて受け入れて我々を試そうとしているかもしれん」
「学園長先生の思いつきは突拍子もないからな」
各々がこれまでの学園長の思いつきで振り回された記憶を思い出し溜息を零すやら、唸り声を上げる。
「敵の可能性は薄い。けど先生方が警戒していたと言うことは何か、はあるんだろ」
「じゃあその何かを五年生は知っているということか?」
「・・・・・・何か納得がいかんな」
「ああ。我々六年生を差し置いて・・・良い度胸だ」
薄く笑った仙蔵は事の成り行きを見つめるしかなかったへ話をふる。
「そういうわけだ。話してもらいましょうか」
同時に六つの視線が注がれる。よく分からないが、が想定していた様子とは違った方向に事態が向かっている気がする。別の意味で殺気立っている彼らに、おそらくそれが自分に向けられているものではないのだろうと悟る。しかし決して油断しているわけではないのか瞳の奥でちらつく鋭さにひやりとした冷たさが背中を駆けた。

「少しだけ・・・時間をもらえない、かな」
「・・・時間?」
怪訝そうに聞き返す仙蔵には頷く。
「話すことは、怖い。・・・でも、それを乗り越えなきゃ本当の意味で受け入れてもらえないだろうから」
信じてくれた人たちの気持ちを裏切らないように精一杯生きる。その誓いをたてる切欠を与えてくれた人たちは皆、人間不審に陥りかけているに歩み寄って手を差し伸べてくれた。優しく、温かく笑って居場所を作ってくれた。だからもその手をとり、入っていくことが出来た。
でも、何もしないで縮こまっているだけではその誓いを守っていることにはならない。待ってるだけじゃダメなのだ。それではいけないと何処かで気付いていた。
「だから一日だけ、時間をちょうだい」
信じて受け入れてもらう為には、こちらからも歩みよらなければ。人を避け、関わろうとしない相手をどう信じろと言うのだろう。人を避け続けた結果、逆に不審に思われているのだから始末に負えない。そんなことにも気付けなかったなんて。周りに助けられてばかりで、頭の中はいつだって自分の事しか考えてなかった。
「さっき、五年生は事情を知っているって言ってたけど本当に知ってるのは兵助君と三郎君だけ」
「じゃあ竹谷と不破は?」
「何も知らない。他で知っているのは先生方と伊助君に庄左ヱ門君だけ」
一人一人を順に見つめ、しっかりと言葉を紡ぐ。
「何も知らないのに私を信じてくれた雷蔵君や竹谷君達に先ずちゃんと謝って説明したい」
「だから一日時間をくれってことか」
力強く頷いた。もしかしたら彼ら二人の信用は兵助へのものかもしれないけれど。それでも二人に救われた部分はある。優しく、そして快活な笑顔に励まされてきた。だからこそちゃんと話したいと思った。きっと三郎同様に何かしら勘付いているはずなのに何も聞かずに話しかけてくれる彼らに真実を伝えたかった。
「・・・お願いします」
深く腰を折り頭を下げる年上の事務員に六人は顔を見合わせた。



「よかったのかよ、見逃して」
が去った保健室は暫くの間とても静かだった。それぞれが思案に浸っていたのだろう。その空気を壊しポツリと呟いたのは留三郎だ。その眼差しが注がれる先には顎に手をあて、なにやら考えている仙蔵がいる。伏せられていた切れ長の瞳が留三郎を捉える。結局、今回はを見逃すと決めたのは仙蔵だ(見逃すといっても猶予を一日与えただけの話しである)彼の出した判断に異論がないので口を挟まなかったが留三郎のような思いは他の者も抱いていただろう。
「不服だが仕方なかろう」
嘆息と共にそんな言葉が落ちる。
「それともお前には時間稼ぎでもしているように見えたか?」
「いや・・・」
そんな風に見えていたらとっくに反論していた。
「あーあ、でももうちょっと喋りたかったなぁ!」
「小平太、お前はもう少し真面目に考えやがれ」
頭の後ろで腕を組んで呑気にもそんな事を言う小平太に文次郎が苦い顔で告げる。けれど小平太にそれが通用するはずもない。「なにが?」と逆にきょとんとした顔で聞き返される。
「お前な・・・」
「文次郎は難しく考えすぎだぞ。私はあの人は怪しくはないと思うけどなぁ!」
「・・・・・・なんでそう思う・・・」
隣の長次のぼそぼそとした声を難なく聞き取った小平太があっけらかんと答える。
「うん。金吾がな、委員会の時にさんの話をよくしてくれるんだ」
一緒に遊んだくれた、だの手作りの菓子を振舞ってくれただのと顔を綻ばせ、それはそれは嬉しそうに語っていた。談話をする間もなくマラソンを始めるのが体育委員会の常だが、あまりにも金吾が嬉しそうに語り出すのでその話に耳を傾けてしまったのである。
「そういえば乱太郎も言っていたなぁ」
思い出したように伊作が呟く。
「それだったらしんべヱと喜三太も話してくれたな」
「うちの兵太夫も話していたな」
「・・・・・・・・・きり丸も話していた」
「へぇ!あのきり丸もか」
そうして自然と5人の視線は文次郎へと向けられた。
「・・・んだよ」
「団蔵は話してなかったのか?」
「無理だな。大方、無駄話だと気付いて怒鳴りつけでもしたんだろう」
図星をつかれる。それが顔に出たのか仙蔵が鼻で笑う。
「話にもならんな」
「黙れ!委員会中に私語など言語道断だ!」
怒鳴り声を上げながらそのままの勢いで立ち上がったが「五月蝿い」と仙蔵と伊作から責められ、渋々座り直した。
「大体今そんなことは関係ないだろう!小平太、さっきの話のどこで怪しくないだなんて思うんだ!?」
だから五月蝿いってば。保健室で騒がれては困ると伊作が口を挟むが今回ばかりは軽く無視されてしまう。
「いやな金吾が嬉しそうに話している時に滝夜叉丸がその人少し疑わしくないかって言い出したんだ」
教師達のを警戒する様子は分かりやすかったと言ってもそれは六年生からしてみれば、である。五年生までならば大半のものが気付くそれは、そこから一つ学年の下がった四年生で悟るのは少し難しい。気付けるのはよほど勘の鋭いものや観察力に長けているものくらいだろう。この場合はそれに気付けた滝夜叉丸を褒めてやるべきだ。
「そうしたら金吾がなきっぱりとそれを否定したんだ。あんまりはっきりと言うから私がその理由を聞いたんだがな」
「何て答えたんだ?」
何故か小平太は嬉しそうに笑っている。 それを怪訝に思いながら留三郎が聞く。
「一年は組の勘です!って言ってたぞ」
なんだそれは。小平太以外の全員が心の中でツッコんだ。

「それにしても・・・大丈夫かな」
ぎゃーぎゃーと騒ぐ小平太や文次郎のその横で冷めたお茶を啜っていた仙蔵が横目で伊作を見る。
「何がだ?」
「うん、さんのことなんだけどね」
伊作はまだ中身が残っている湯呑を小平太達から避難させる。
「ここに来た時からなんだけど、顔色があまりよくなかったんだ」
「俺にはそう見えなかったがな」
同じく騒いでいる二人から避難してきた留三郎が首を傾げる。
「だが伊作が言うのだから間違いはないだろう」
「まぁ確かに」
「・・・無理してないといいんだけど」
呟いた伊作の心中を察してか長次がポンとその肩を叩いた。




BACK : TOP : NEXT


2009,02,17


6年生って難しいなぁ。