さーん」
「伊助く・・・ぎゃー!」
伊助の声に振り返ったらその視線がより高くにあって悲鳴をあげる。は口をパクパクとさせ、それからずるずると視線を下ろした。纏う制服は水色の井桁模様ではなく紺色だ。また、引っ掛かってしまった。伊助の顔のままでしてやったりと笑うその人物の名をは紡ぐ。
「・・・三郎君」
「こんにちは!さん」
にこにこと伊助そっくりに挨拶され眉が寄る。
「お願いだからその格好で伊助君の真似はやめて」
顔と体のバランスが可笑しすぎて笑うにも笑えない。ひくひくと口許を引き攣らせていればあっという間に雷蔵の顔に戻る。変装する時間が早い。気付けば雷蔵の姿をしている、と言う感じなので何度見てもは目を丸くしてしまう。
「こんにちは、さん。すごい悲鳴でしたね」
「雷蔵君!」
三郎一人ではなかったらしい。後から顔を見せた雷蔵はの悲鳴を聞いていたらしく、またその原因も見破っているようで三郎に呆れた視線を送っている。
「三郎、いい加減さんを驚かすのはやめなよ」
「嫌だね。雷蔵、私から唯一の楽しみを奪い取るというのか」
「唯一って大袈裟な」
「絶対そんなこと思ってないよね」
「失礼だなさん。私はいつだって本気だ」
顔が笑っているのに本気も何もない。
「それより、二人とも今授業中なんじゃないの?」
「実技の授業が早く終わったんです」
そうなんだ、と頷きながらは立ち上がって湯呑を二つ持ってくる。小休憩にと既に自分の分は持ってきていたので、折角だから二人にもお茶を注ぐ。淹れてから時間が経っているので少々濃いかもしれないが多分大丈夫だろう。微かに湯気が立つそれを三郎と雷蔵の前に差し出す。
「ちょっとぬるいかもしれないけど、どうぞ」
「ありがとうございます」
丁寧にお礼を言う雷蔵の隣で三郎は既にお茶が咽喉を通っていた。
「しぶっ」
「あれ、やっぱり時間置きすぎたかな」
あはは、と軽く笑えばぎろりと言葉どおり渋い顔をした三郎が睨んでくる。その隣でゆっくりとお茶を啜った雷蔵も苦い顔になる。
「これは、確かに・・・」
「あー・・・・・・淹れなおしてくるね」
ちょっと待ってて。そう言い残して急須を片手に食堂へ引っ込む。湯は先ほど沸かしたばかりだからまだ冷えてはいないだろう。なのでは茶葉を戸棚の中から引っ張り出す。ここにしまっておくわね、と以前おばちゃんが言っていたのをしっかりと覚えていた。幾つかある茶葉の中からは先ほど使った葉とは別のものを選ぶ。二人へのせめてもの侘びだと少し上質のものを手にする。おばちゃんには好きに使っていいと許可は得ているので問題はない。例え、一番上質な茶葉は学園長やお客様に出す事が多いのだとしても、手伝ってくれているは特別だと茶目っ気たっぷりにおばちゃんは笑って許した。

さん」
急須に葉を入れ、白湯を注ごうと言うところで声をかけられ手は止まる。振り返った先に立つ姿にはどちらの名を呼べばいいのか迷った。顔はもちろん雷蔵だ。そしての聞き間違いをしていなければ声も雷蔵のものだった。だから雷蔵君、と言葉を紡ごうとして、けれど口篭る。先ほど騙されたばかりと言うこともある。眉をぎゅっと寄せて暫くその姿を凝視したのち、その名を呼ぶ。
「三郎君?」
三郎が本気で変装をしてしまえばでは見分けることは不可能だ。声も背格好も、そして性格すら完璧に把握して成りすませることが出来るのだ。普段はからかい半分で、また自身の体格のまま下級生の真似をしてみせるのでにもそれが三郎の変装だと判断できる。けれどこうやって同じ格好で声まで真似られてしまうとにはお手上げだ。
三郎の名を呼んだのは、の中でも先日の出来事が引っ掛かっていたからかもしれない。明確な答えを求めていたわけではない。信じなくてもいい、と告げたのは他でもないだ。けれど、その後三郎の反応を見る事なく仕事に戻ってしまったので彼とのあの会話はの中では終わってはいなかった。もう一度ちゃんと話がしたい。もしも三郎が信じられないと言ったとしてもそれをそのまま受け入れなければ、その件はの中では解決に至らない。
「どうかした?」
呼んだ名に否定しないということは間違っていなかったのだろう。
ことり、と急須を手近な場所に置き、三郎へ向き直る。
さんに一つだけ忠告を」
「・・・忠告?」
眉を寄せ、訝しげに三郎を見つめる。
「教師達の反応に気付いてるのは何も私だけじゃない」
「・・・・・・・・・」
「下の奴らはともかく、六年生は何かしら勘付いてるはずだ」
「六年生、」
「それをどう取るかは先輩方次第だが、用心しておいた方が傷つかずに済むんじゃない?」
はきょとんとする。三郎の忠告は気にしなければならない深刻なことだったが、それを三郎が言ったことに目をパチパチとさせる。
「何で、そんな忠告を?」
その理由が分からない。
本気で分からないに呆れた視線が送られる。
「何でかって?」
「だって三郎君――」
「私は昨日始めに言ったと思うけど?貴女を疑うつもりはないって」
「でもそれは!」
教師達がを疑っている理由を知らなかった故の言葉だ。
「理由を知ったところで何も変わらないさ」
「―――っ」
驚きで言葉が出ない。
「随分と容赦のない聞き方をしてしまったことは謝る」
ふるふると首を振った。
きっと三郎が昨日とった態度はこの先も待ち受けていることだ。この世界で生きていく上では覚悟しておかなければならない。そう思えば、始めて直接聞かれたのが三郎でよかったのかもしれない。


「ところでさん、本当に私より年上なわけ?」
「え?今年で十六だから三郎君よりは二つ年上ではあるけど」
食堂では雷蔵が待っている。思い出したように急須に白湯を注いでいれば、横からそんな声がかかる。隣を窺えば疑わしげにじっとこちらを見ている。
「なに?」
「いやぁ、兵助からも聞いたがどう見ても年上には見えないな」
面白そうに笑うから、の眉間にシワが寄る。この年齢で年下に見られるのはあまり良い気分ではない。現代で言えば中学生と間違われていることになる。高校生になったばかりのにはあまり受け入れたくない言葉だ。
「そう言えば三郎君敬語使ってなかったもんね」
「同い年か下だと思ってたからね」
丁寧に敬語を使ってくれる兵助や雷蔵に対して三郎は会った時から敬語を使っていなかった。つまりは初対面での印象で既に実年齢よりも下に見えたと言うことだ。思えば竹谷もには敬語を使っていない。彼にもが年上には見えなかったのだろうか。見た目には歳相応だとばかり思っていたので少しショックだった。




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2009,01,25


雷蔵空気化……ごめんね雷蔵。