江戸の町が夜の帳に包まれる。黄色とも白とも取れる三日月が藍色の空に浮かぶ。その月を僅かに空いた障子の隙間から眺めていた。静かだ。壁に設置された時計を一瞥し、その視線もまた外へと移る。
それから数分後、どたどたと足音が聞こえてきた。ゆっくりした動作で真正面の襖へと瞳を向ける。ほぼ同時にピタリと足音は襖の前で止まる。ゆっくりとそれが開かれ、随分と体格の良い男が一人姿を見せた。
「あんたが情報屋か?」
「ええ。初めまして、情報屋のと申します」
は丁寧な動作で一礼し、にこりと微笑む。驚きを顔に出したまま入口で佇む男に手前の席を示し座るように促す。慌てたようにが差した席につく姿をにこにこを笑みを見せたまま見つめ、腰を下ろしたところでその顔は改まった。
「早速ですが簡単な説明だけさせていただきますね」
上擦った声で「は、はい!」と男の返事を聞き、は口を開いた。
「先ず、こちらは情報屋ですので情報以外はお売りできません。時折勘違いされる方がいますので言っておきますが、その他のことを依頼されましてもお断り申し上げます。基本的に受けた依頼は期間がかかろうが必ずお売りすることをお約束します。ですが、内容によってはこちらでは手が付けられないものも御座いますので、その際は依頼された時点でお断りさせていただきます。それはご了承下さいませ」
そこで言葉を切り、小さく頭を下げた。
「情報を得た後、誰かに問い詰められたりしてもこちらのことを口を割らないのは原則とさせてもらいます。その代わりこちらも貴方様の依頼内容については多様無言を貫くことをここでお誓いしましょう。情報の受け渡しはお客様の希望にお応え致します。報酬については情報をお渡しする際に申し上げます。これは万が一失敗し、お客様が望む情報を得られなかった時の為です。こちらの受け渡しは現金でも指定した口座に振り込んで下さってもどちらでも構いません」
ふっと息をつき、は目の前の男を真っ直ぐ見た。
「何か質問はありますか?」
じっと聞き入っていた男の目がを見据える。
「いいえ、異論はありません!」
「それではご依頼の内容についてお伺いしましょうか?」
どのようなご依頼を?問いかけたに一瞬黙し、それから店一帯に聞こえそうな程の大声で叫んだ。
「お妙さんの喜びそうな物を教えてくだっさい!!!」
「………は?」
ぽかりと口を開けて依頼主――近藤を見るしか出来なかった。





繋がる絆 01





「ガハハハ!それにしても噂の情報屋をまさかこんな綺麗な方がやっていらっしゃるとは」
「近藤さん、もう少し音量を下げて頂けませんか。外に筒抜けです」
こっそり溜息をつく。同じ事を言う度に「これは失礼した」とわざわざ謝罪を入れてくれるのだがどうにも右から入って左に抜けていくらしい。言っても無駄だと漸くに気付く。
「情報は多様無言でお願いしますよ」
「もちろんです。依頼をお願いしてるんですから必ず守りますよ。ただ驚いただけです」
「と言いますと?」
目が合うと近藤の顔が面白そうににやりと笑う。
「噂では幕府のお偉いさんからの信頼が厚いようで」
微かに反応を窺い、それから肩をそっと落として苦笑した。
「どれだけ極秘にしようと噂は流れてしまうものですね」
誰しも他人に知られずに得たい情報と言うものはある。幕府の上役程それは公になってしまえば己の身を滅ぼしかねない内容のものが多い。だからこそ彼らは秘密厳守を徹底するへと依頼を持ち込んでくる。
「それとも貴方の職業故ですか?」
にこり、と近藤に向かって微笑む。そして今度は慎重に相手の出方を窺った。近頃、自身の噂があちこちで流れているのは耳に届いているが名前は知られていないし、客の名前も依頼内容も漏れてはいない。その依頼相手を知るのは依頼主に近しい位置にいる人間に限られてくる。数秒の無言の後、またもや彼の大きな笑いが響き渡った。
「さすがは情報屋だ。俺のことは既に調べ上げたわけですか?」
「自分の身を守る為ですのでお許しくださいね。中には危険な方もいますので。まぁ調べたと言っても軽く探らせていただいただけですから。局長さん?」
対テロ特殊部隊、武装警察真選組。その組織のトップに位置するのがの目の前にいる男。依頼が入った時点でが調べあげたのはその程度だ。これだけでも依頼を受ける時の心持はかなり変わってくる。それに真選組ともなれば調べあげなくとも色々なところから噂は舞い込んでくる。
「いやー、頭が上がりませんな」
「頭が上がってしまったら商売になりませんからね」
普段はこのようなことは明かさないが、そう言ったことには無頓着に見えたの感は外れてはいないようだった。近藤の雰囲気からは大して気にした様子もない。

「さて、お話を戻しましょうか」
ついつい話が脱線してしまうのは近藤の性格故か。だが嫌な気分にはならないそれは好感を持てる方だ。
「お妙さん、と言う方の欲しい物をお調べすればいいんですね?他には?」
「いえ、それで十分です」
きっぱり言い切る近藤に僅かばかりは疑問を浮かべる。
「珍しいですね。想いを寄せる相手でしょう?この手の依頼は相手の家やスリーサイズ、仕事先等、想い人の全てを知りたい、なんて言う人が多いんですよ」
「お妙さんの家も仕事場もスリーサイズも知ってるんで」
「…………そう、ですか」
何故か自慢気な近藤に頬を引き攣らせながら笑い返す。ならば最早自分は必要ないのでは?咽喉まで出かけた言葉は無理矢理押し込んだ。
「えーっと、じゃあそのお妙さんの本名と仕事先だけ教えて頂けますか」
「お妙さんの本名は志村妙、恒道館道場の娘さんで、道場復興の為今はスナックすまいるで働いてます。俺とお妙さんの出会いは……」
「そこまで聞いてませんから。もう十分です」
拳に力を込め、語りだそうとする近藤を無理矢理止め、二つのキーワードを頭に刻み込む。
「分かりました。今回の依頼お受けしましょう」
どこかストーカー的な臭いを感じたが根は悪い人ではないから大丈夫だろう。何より真選組と言う幕府直下の組織の頭なのだから犯罪紛いなことは起こせまい。
「本当ですか?ありがとうございますっ!」
大袈裟な程に頭をペコペコ下げる近藤を宥めつつ着物の裾から一枚の紙を取り出し、近藤へと差し出した。
「これは一応名刺です。他に何かあったらこちらに連絡を」
掌に収まるほどのその紙にはの名と携帯番号だけが書かれていた。訝しげに近藤はを見やる。
「情報屋なんて大っぴらに書くと色々身の危険が高くなるので」
「なるほど」
「最後に情報の受け渡し方法ですが、如何しますか?」
「俺もこれでも忙しい身でして、出来ればうちに足を運んでくれると在り難いんですが」
「了解しました。うち、とは真選組の屯所でよろしいんですね?」
「はい」
「情報料とその受け渡しはお尋ねした際に」
――それでは。
優雅な動作で立ち上がり、音もなく襖を開けその場を出て行く。襖越しに「よろしくお願いします」と言うでかい声が聞こえてきて小さく笑みを零した。良くも悪くも真っ直ぐな人だ。
廊下を通り、店の人に部屋の使用料だけ支払ってその場を後にする。
「さて、仕事しますか」
見上げた三日月に向かって呟いた声は闇の中へと消えていく。




2008,10,10  →繋がる絆 02