そうして、ずっと、この先も 12 花咲くころ 胸に痞えるもやもやが息をつまらせる。乱れ続ける脈の音が伝わってくるほど辺りは静かだった。落ち着かせるために大きく息を吸う。肺の奥にまで届いたと思うころでゆっくりと吐き出す。同じ動作を、どれだけ繰り返したか分からない。それでも緊張に似たこの空気は消えてくれることはなくて気を抜いてしまえば今すぐにでも目と鼻の先にある自分の家に駆け込んでしまいそうだ。他人の家の前に座り込んでからどれだけ時間が経ったのだろう。携帯を家に忘れてきてしまったから分からない。取りに戻るのに数分とかからないけれどもしもその間に利央が帰って来てしまったら?ようやく決心した心が鈍ってしまいそうで動けない。時折近所の人が通るけれどそこは昔からの付き合いというやつで、不審がられることはなく、むしろにっこりと手を振ってくれる。利央くん待ってるの?そんなふうにかけられる言葉に間違ってはいないと同じようににっこり笑い返す。 箱崎先輩に出会ったあの後、高瀬先輩にも会いにいったけれど先輩は島崎先輩の言葉を否定しなかった。そればかりか呆れたように笑っていた。ばかだなぁ、お前。そう言って。迷惑をかけたと言うなら利央とバッテリーを組んでいる先輩が一番の被害者。ごめんなさいと謝れば優しさを滲ませた瞳は私を責めることなどしなかった。優しい先輩だ。利央は良い先輩達に囲まれて本当に幸せ。見守るようなその瞳が立ち往生していた私の背中を押してくれた。 「……利央」 声が掠れてしまいそう。それでも利央は私の声を拾ってくれる。大きく見開かれた瞳が利央の心情をそのまま映し出していてやっぱり利央は利央のままだと安心する。向き合うのにこれほど勇気が要ったことは一度だってなかったのに。以前までのようには二度と戻れないのだと気付いてしまった今、それはもう仕方のないことなのかもしれない。そう簡単に割り切れることでもないけど、立ち止まってしまえばどんどん置いていかれてしまう。変わらないようで変わっていく。もう昔とは違うと知ってしまった。 「?…何やってんだよこんなところで!」 「利央を待ってたの」 「待ってたって……」 「風邪はもう治ったから」 彼の杞憂を取り払う。結局今日は学校で遭遇することはなかったからまだ風邪で寝込んでいるとばかり思ってたんだろう。今にも怒鳴りだしそうだった顔から怒りが沈んでいく。一体いつから利央はこんなにも心配性になったのか。嬉しさに混じって寂しさがちらつく。 「利央……ごめんね」 いっぱい、色んな意味を含めて。その全てを感じ取ってくれるなんて思ってないから肝心なところだけでも伝わればいい。自分勝手に利央を拒否してしまったこと、傷つけてしまったこと、頼ろうとしなかったこと。独り善がりな想いが一番大切な人を苦しめるなんて思いもしなかった。 一歩足を踏み出して近づいた距離に気まずそうに視線を逸らしてしまう姿にどうしてか安心してしまう。こういうところは変わらない。幼い頃のような可愛いらしくて泣いてばかりいる利央はもうどこにもいないのに、私の無駄に強気な正義感ばかりが今もまだ私の中に根付いていて頼られ続けることをずっと期待していた。それが大きな間違い。確かにあの頃のそれが今の私の想いへと変化したのだけれど、利央は頼られてばかりいるほどもう弱くはないのだ。気持ちが空回りする。どうしていいのか分からなくて立ち止まって、そんな私に差し伸べられた手を拒絶して、そして傷つけた。 「利央が頼りないんじゃないの」 私が依怙地すぎた。頑なに自分を変えようとしなかった。きっと、それが全てを狂わす始まりだった。分かっていると思い込んで、でも実際は何も分かっていなかった。 「利央にとって私が要らい存在になるのが嫌だった」 必要とされないと感じた瞬間の絶望を、どれだけ懼れていたか。私が利央を好きになった理由が幼い頃のそこにあるから余計に。自分の想いさえ否定されてしまうのかと思うとその手を取りたくても同じように腕を伸ばすことが出来なかった。 「はさァ、難しく考えすぎるんだよ」 いくらかの間を置いた後、いつも聞いている声よりもずっと落ちつきのある声が私の名を呼ぶ。眉間にシワを寄せる姿は頭で言いたいことを必死に考えながら喋っているようだった。私は無言でその顔を見上げる。 「要らないなんて絶対ないし。俺にはが必要だよ」 「………、」 「でも、誰も居ない家でテレビ付けて寂しいのを我慢してるのとか、こないだみたいに風邪で弱ってる時に強がってるとこ見てると俺のこと頼って欲しいと思う」 「…知って、」 「そんくらい分かるし」 ああ、そう言えば用事もないのに部活帰り唐突にやってくることが多かった気がする。部活で疲れてる筈なのに、とか暇人だなぁとその程度にしか考えてなかった。寂しさを紛らわせてばかりで、一人きりだった空間に利央がいてくれる安心感に甘えて考えもしなかった。わざわざ私の為に、なんて。 「好きな奴に頼られねぇってなんか悔しいじゃん」 利央が私の世界の半分以上を占めているとして、利央の中での私は一体どれだけの存在としてそこにあるんだろう。利央の中での私はお節介で口煩いことばかり言う、いざというときに役に立つ幼馴染。彼の世界の端っこ、崖っぷちあたりに、そんなふうに置かれているのだとばかり思っていた。でも、それでもいいかもしれない。野球が一番でも、可愛がってくれている先輩達が占める割合が多くても、そこに私と言う存在が確かにあって、私を利央が必要としてくれているのなら。箱崎先輩にはちょっと嫉妬するかもしれないけど。 「箱崎先輩のこと好きじゃないの?」 「はぁ?!何でそうなるんだよ」 「だって利央、先輩に懐いてる」 涙で滲みそうになる視界で、膨れっ面の姿が見えて笑ってしまう。島崎先輩も高瀬先輩も、そして箱崎先輩も揃いも揃って同じことを言っていたことを思い出す。お前と同じくらい利央もお前のこと見てた。それは特別な響きを持って私の中にしまわれている。答えは出てた。でも直接聞いてみたかったから、これはちょっとした意地悪だ。 「そういうこそ準サンのこと好きじゃないの」 「…は?何いってるの」 「だってたまに会うとずっと準サンと喋ってるし」 零れ落ちようとしていた涙が引っ込むほどの発言には面食らうしかなかった。 「だって高瀬先輩のことは尊敬してるし」 「けど!」 「それに高瀬先輩彼女いるじゃん。ありえないよ」 そんなこと私よりも利央の方がよく知ってるのに。情けない顔が私を見下ろしている。頼られたいと思うのならそんな顔するべきじゃないのに。さっきまでの言葉全てを台無しにさせるほど頼りなく揺れる双眸が私の心を震わせる。泣き出してしまいそうな顔は昔見たまま。あの頃と変わらないままの部分が確かに露になって、それを嬉しいなんて思うのは 私の気持ちが今もまだ続いている何よりの証拠だ。仕方ないなぁ。あれだけ拒み続けた腕を伸ばして。利央の、ずっと差し伸べてくれていたその手を握り返す。 「ずっとずっと前から、私は利央だけだよ」 変わらないままの想いと、育っていく心と。突き放すなんて出来ないから、どちらも受け入れてこの先もずっと、一緒にいられたらいい。 << □ >> |