静かで暖かで、それでいて切ない夢を見た。




01   秋風は夏を攫う




きらめく陽射しから眼を背けて机の上で組み合わせた腕の上に額を置く。閉ざされた視界はほんのりとした明るみだけを残して、どことなく気分を落ち着かせた。肌を触れていく冷房の風が涼しいを通り越して薄ら寒い気がする。そろそろ必要ないんじゃないかなぁ。それとも私のこの席が他よりも風当たりが良いだけだろうか。裾から剥き出す肌は冷気に曝されてひんやりしている。ほんの少し頭を持ち上げてちらりと窓の外を見やる。雲一つ見当たらない澄んだ空にその存在を示す太陽がちりちりと眩しい光を地上へと注いでいる。外は暑そうだ。でも今は外の方がいいかもなぁなんて思っていると不意に頭を小突かれた。たいした痛みはない。反射的に上げてしまった「痛い」と言う声と一緒に顔を上げれば宣伝用のポスターをくるくると丸めて手の中に収める友人の姿。漂うオーラに吊りあがった瞳は迫力満点だった。あちゃー、と内心で舌を出す。頭を叩いたのは丸めてあるポスターだろう。角の方が折れ曲がってる。(いいんだろうか)大きな音がした割に痛くないはずだった。

「サボってないで仕事しろ」

どすのきいた声に彼女の苦労が見え隠れしている。文化委員である友人はこの秋に開かれる文化祭の所為でここ毎日奔走している。クラスの出し物の計画に、学校全体の運営の企画にと手を休める暇もない様子だった。そんな彼女を前にして再び突っ伏すことなど出来るわけもなく、ぎろりといつにも増して強い視線に促される。サボっているのは何も私だけじゃないのに。友人と言う立場もあって一番に眼についたのだろう。仕方ないと立ち上がる。ここで無視をするほど薄情でもない。

「仕事ないんですけど」
何係?」
「あんたが持ってるそのポスター作成係」

角が曲がったままのポスターを指差す。人が苦労して練って作り上げたモノを乱暴に扱うなんて。反対に彼女をにらみつければ今気付いたかのようにポスターと私を見比べて乾いた笑みを浮かべ曲がってしまっている部分を慌てて直す。そんな彼女に呆れつつ、漂ってくる冷気にぶるりと震える。腕を擦る私に「寒いの?」と訊ねる。素直に頷けば彼女はしめたとばかりのにんまりとした笑み。

「だったらこのポスターを校内の指定された場所に貼ってきて」

曲がった跡が残る丸められたポスターを突き出される。そう言えばそれも仕事の内だったなぁと係を決める時の仕事内容を思い出す。ここでじっとしているよりは少し動いた方がマシだろうと頷く。クラスによってポスターを貼る場所は指定されているらしく、次々と指定場所を告げていく友人に待った、と止めに入ってメモ帳を鞄から取り出した。

「それじゃお願いね」
「りょーかい」

仕事が溜まっているのか私の言葉を最後まで聞くことなく彼女は教室を出て行った。途中私同様にサボっていた子たちを一喝するのも忘れずに。相当忙しそうだと聞こえなくなっていく彼女の足音に耳を澄ませた。荒れている足音がしっかりと聞こえる。帰る頃には彼女の機嫌も戻ってくれればいいんだけど、と無駄な期待を寄せつつ与えられた仕事を取り組むことにした。
教室から一歩出ると生暖かい風がぶわりと直撃する。冷え切ってしまった肌にはそれが心地よく感じた。すぐに蒸し暑く感じてしまうだろうけどさっきまでの気だるさも何処かへ吹き飛んでしまって気分はずっと良い。よし、と気合一つ入れて歩き出す。


冷房が隅々まで行き届いている教室とは違って廊下は暑い。風通しをよくするためにと全開に開けられている窓から送られてくるのはそれ以上に熱の篭った空気だけ。外は快晴だった。寒いと擦っていた筈の肌はべとりと湿り、その感触が気持ち悪い。寒いとぼやいていたセリフは暑いの一言に変わる。激しい気温差にくらりと視界が揺らいだ。軽い眩暈に膝をつく。額を片手で押さえながら眩暈が収まるのを待つ。そうして数秒じっとしていると影が落ちた。

「大丈夫ですか・・・って?」
「・・・高瀬先輩」

覗き込む顔は廊下のど真ん中で座り込む人が私だったことに驚いた様子だった。ぼんやりした視界の中で高瀬先輩の顔を見上げる。その先輩の綺麗な黒髪が湿っていることに気が付いた。そうして視線を下へとずらして眼を丸くする。ユニフォームだと思っていた服装は見慣れた制服だった。まだ太陽が沈むには早すぎる時間だと言うのに部活はどうしたんだろうか。

「先輩部活は?」
「今日はもう終わり。これから文化祭の準備だよ。それよりお前平気か?」
「ちょっと眩暈がするだけです」

そう言って笑みを浮かべながら立ち上がる。眉を寄せて疑わしげに見てくる先輩の視線に気づかないふりをして「平気です」と答えた。眩暈や立ち眩みはここ最近はよくあることで心配するほどのことじゃない。夏バテで食事を抜く事が多い所為だとは分かっていたし、そんなことで高瀬先輩に心配をかけたくはなかった。

「それより高瀬先輩はこっちに何の用があったんですか?」

学年によってそれぞれ校舎は違っているから移動教室などない限りは先輩達に会うことは滅多にない。高瀬先輩が一年生の校舎にやって来るのは珍しいことだった。先輩がわざわざこの校舎まで来ることと言えば一つくらいしか思い浮かばない。窺った先輩の顔がにんまりと楽しげな笑みをしているところからやっぱりと軽い溜息が漏れた。

「文化祭の準備じゃないんですか?」
「まだ時間あるからちょっとした暇つぶしにな」
「後で愚痴を聞かされる私の身にもなってくださいよ」

悪い悪い、と笑いながら言われても説得力はなく。思わず肩を落とす私にまるで励ますようにポンと肩を叩かれる。ちょっとした暇つぶしで終わればいいんだけど。何やらとても楽しそうな先輩を見ていると軽い悪戯程度では終わらないような気がする。

「あんまり利央を怒らせないでくださいね」

意気揚々と利央のクラスへと向かう先輩を見送りつつこれから起こりうるコトを思って利央をちょっとだけ哀れむ。助けてあげれるものなら助けてあげるけれど高瀬先輩にはむかう気はこれっぽっちもないし機嫌が心底悪い友人から与えられた仕事もある。終わらせてないなんて分かればそれこそ彼女の怒りが落ちるだろう。それだけは勘弁したい。心の中で利央に謝りながら高瀬先輩とは反対の方向に歩き出した。




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