Love Knot




明日提出の課題を忘れていった利央の為に滅多に来ない野球部が使っているグラウンドへと足を伸ばした。悪いと思いながらもそのノートを開けば案の定真っ白で、さすがに明日の朝だけじゃどうにかならない状態だった。利央とは席も近くてそこそこ仲が良い。仕方ないから届けてあげようと思い立った自分の良心に満足しつつ、グラウンドの方へと足を向けたはいいものの、肝心の利央の姿が見当たらなかった。
グラウンド整備をしている一年生の中に利央の姿はない。あの髪の色なら一発で見つけられる自信があったのに。どこか別のところに居るのだろうか。すぐ側には野球部の部室があるし、少し行ったところには倉庫らしきものも見られる。倉庫にいるのならともかく、部室だなんて場所に入っていく勇気はさすがになかった。きっと先輩たちばかりが居るだろう場所になんて行けるはずがない。利央を通して知り合った真柴くんの姿も見つけられず、ずるずると時間ばかりが過ぎていく。

「誰か探してんの?」

フェンスを挟んだ向こう側からいきなり声をかけられたものだから大袈裟に肩を震わせてしまった。脅えているような態度に、振り返った先に居た相手は気まずそうに眉尻を下げた。それが何だか申し訳なくてそっと顔を俯かせた。

「スミマセン」
「や、こっちこそ急に声かけて悪かったよ」

優しい物言いにどことなくほっとしてゆるゆる顔を上げる。帽子の隙間から覗く瞳が明らかに和らいだのを見て、気を遣わせてしまったのを感じ取った。見たことのない人だった。野球部の人で関わりがあるのは利央と真柴くんくらいだから知らなくて当たり前なんだろうけど、何となく先輩なんだろうなと予測した。雰囲気が利央や真柴くんとはどこか違う。一年生と言う初々しさがまるで感じられない。伸びた背筋が堂々としていて、この威圧感は二年生か三年生の人なんだろうと漠然と感じる。もしかしたらレギュラーの人だったりもするのかもしれない。もしそうだったら凄いことだ。桐青は去年甲子園出場を果たしただけあって部員数は多いし、練習も厳しいらしい。レギュラーになれるのはほんの一握りの人だけだと利央が言っていたから。

「それで、誰を探してんの?野球部の奴なんだろ」

ハッとする。考え込んでしまう悪い癖を何もこんなときに発揮しなくてもいいのに。再び俯けてしまいそうになるのを堪えながら目の前の先輩を見上げる。

「あの、利央を・・・」
ー!」

遠慮がちな私の声はいつもよりもずっと小さくて、被るようにして聞こえてきた大きな声に綺麗に消されてしまった。少し遠くからこっちに駆け寄ってくる利央の姿を見つける。ほっとして笑みが零れると同時に先輩が利央の知り合い?と聞いてきたので頷いた。レギュラーには入れずともベンチ入りはしたと言って嬉しそうに語っていた利央だから、多分目の前のこの先輩も利央のことは知っているだろうとは思っていたけれど。もしかしたら意外と仲が良いのかもしれない。走ってくる利央を眺めて呆れ眼の先輩を見てそう思った。

「彼女なんていたんだな」

独り言なのかもしれないけど、フェンスに近づくように一歩前に出た私にはしっかりと聞こえた。どうしてだろう。その声に弾かれたように声を出していた。

「違います!!」

ちょうどやって来た利央とそんな利央に何か声をかけようとしていた先輩が揃ってこっちを見る。驚いたように目を丸くする先輩と、意味が分からず首を傾げる利央の二つの視線が痛かった。

「何が違うの、
「な、なんでもない!」
「・・・準さん、こいつに何かしたんすか?」
「お前じゃあるまいし、するわけないだろ」
「俺じゃあるまいしってどういう意味っすか!」
「そのまんまの意味だろ。んなこともわかんねぇのかよ」

やっぱお前アホだな。そう言ってバカにしたように利央に笑いかける先輩をじっと見る。準さん。聞き覚えのある固有名詞に先輩へと突っかかる利央を放って記憶を辿った。何度か聞いたことがある名前だった。あれはいつのことだったっけ。いきなり話題に出された"準さん"と言う人の話についていけず、誰それ?と言った私に利央がまるで自分のことのようにその人の自慢をしたことを。準さんは桐青のエースなんだよ!俺等より一個上で、本名は―――。

「――高瀬準太」

呟くと高瀬先輩が利央から目を離してこちらに振り返る。かちりと合った視線は上手く外せなかった。

「あ、ごめんなさい!呼び捨てにしちゃって」

慌てて謝る。初対面の先輩に対してフルネームで呼ぶだなんてどんな神経してるんだと自分を疑いたくなる。緊張からなのか分からないけど、血が昇ってしまったかのように全身が熱くなった。怒られるだろうか。先輩の様子を窺おうとしたら、遠くで誰かが高瀬先輩を呼んだ。高瀬先輩は何か言いたげに私をちらりと見たけれど結局何も言わず利央に一言声をかけて呆気なくそのまま呼ばれた方へと走り去ってしまった。一人感じていたぎこちなさがスーっと消えていく。少しの間、高瀬先輩の後姿を眺めていたけれど思い出したように利央に声をかけた。

「利央、これ」

もともとの用件をようやく思い出して手にしていたノートを差し出した。

「提出明日までだよ。忘れてたの?」
「ああー!やっべ、サンキュー
「せっかく持ってきたあげたんだから、家で終わらせちゃいなよ」

それで明日の朝になって終わってない、だなんて言われたら何の為に持ってきてあげたのか分からなくなる。利央ならやりかねないと思い釘を刺しておけば、うっと顔を歪ませた。けれどそれはほんの数秒のことで、すぐに何か思いついたような面白そうな笑みに変わっていた。

「なぁー
「・・・何よ」

その瞬間、何となく良い予感はしなかった。

「準さんに一目惚れした?」

とくん、と心臓が大きく飛び跳ねた。固まる私に、利央はにんまりと笑いかけてくる。肯定しなかったけれど、否定も出来なかった。部活が始まる時間になってしまったのか部員の人に呼ばれて利央は行ってしまう。すぐにその場から立ち去ることが出来なかった。利央の言葉と高瀬先輩の顔が甦る。まさか、そんな。そんな気持ちを否定するかのように心臓は煩く鳴り響いたままだった。




2007/06/13  (close