「見ぃつけた」

 かろやかに弾んだ声に膝頭に乗せた顎を上げた。前屈みになって私を見下ろしてくる眸を柔らかく細めて笑う姿に膝を抱え込んでいた腕の力が緩まっていく。微かに開いた口はその名を呼ぶはずだったのに上手く声が出なくてひゅ・と喉が鳴っただけだった。 くすり、と笑われる。迷いなく差しのべられた手はきっと私が拒むことなどしないことをとうの昔に理解しているんだろうと思う。というより私に選択肢など残されていないも同然だし。伸ばしかけた手は辿り着く前に掴まれ、ひっぱりあげられる。縮まった距離と近くなった視線に暫しぽかんとしていれば笑い声は大きくなった。

「…笑わないでよ」
「だってってばいっつも同じ顔するから」
「 〜っ勘ちゃん!」

 そんなに笑うほどおかしな顔をしていたのだろうか。しかしよく考えてみればそんな顔になったのは勘右衛門がいきなり引っ張るからで原因はそっちにあるじゃない。なのに私が笑われるなんて何だか理不尽だ。拳一つ分ほど高い位置にある彼を半眼で睨んでみたところでひらりと交わされてしまうのだけど、ささやかなる抵抗だった。

「にしても相変わらずはかくれんぼが上手だなぁ」
「……別にいいのよ、はっきりと 迷子 って言ってくれても!」
「あ、なんだ。自覚はあったのか」

 よくもぬけぬけと。今すぐにでもその口を縫ってしまいたい衝動に駆られたがぐっと拳に力を込めるだけで我慢する。さすがの私も山の中で一夜を明かすのは嫌だ。過ごそうと思えば出来なくもないが、可能な限りはやわらかな布団で眠りたい。だって今は学園長からの忍務でもなければ実習の最中でもないし。ただちょっと散策でもしようと裏々山のそのまた向こうまで来てみたら道が分からなくなってしまって、気付けば陽が落ちてしまっただけ。
 虫の音があちこちから聞こえる夏の夜は静寂とは程遠い。静かすぎるのよりもマシかもしれないが、かさりと近くで音が聞こえる度にぴくりと気を張ってしまうこの習慣は疲労感を飛躍的に上昇させるから辛い。おまけに風の吹かぬ夜の空気はどこか生温く、じっとりとした感覚はそれだけで少し不快。
 こんなところで朝を迎えるくらいならば私は今少しこの状況に耐えて学園に帰る。驚いたとばかりの表情が嘘くさい。自覚?そんなのあるに決まってる。一度や二度ならまだしも今日みたいな事は学園に入ってから数えても両手じゃ足りないほどだ。これで自覚がないわけがない。分かってて言ってくるその態度が気に食わない。ぶすりと不満を顕にすれば勘右衛門の表情が苦笑いへと変わった。


「………なによ」
「怪我とかはしてない?」

 それでも、度々迷子になる私を見つけてくれるのは勘右衛門だった。必ず迎えに来てくれる。かくれんぼなどと揶揄して見せるくせに、その半面でとても優しい眼差しで見つめてくることを私は知っている。私はそれにとことん弱い。
 急転する態度に落ち着かなくなる心臓。羞恥でつ、と視線をそらしてしまうのは致しかない。けれども、覗きこんでくる眸に逆らえずおずおずと視線を交わらしてしまうのが最終的な結果なんだけども。

「…ん、平気」
「そっか。じゃあ帰ろう、きっと皆呆れながら待ってるよ」

 一言多いのはスル―して勘右衛門の隣に立つ。そうすれば自然と指先から触れて掌は繋がる。誘導するように少しだけ前を歩いて私の手を引いてくれる勘右衛門の手は当たり前だけど私のそれより大きいし温かい。すぐにじわりと汗ばむけれど不思議と不快感には陥らない。

「けど、どうしたらあれだけ分かりにくいところに隠れられるもんだか」
「他意はないんだけど。下手に動くよりはじっとしてた方がいいでしょ?」
「そうだけどさ、あれじゃあ誰も見つけられないよ」

 夜目は効くにしても迷子になった人間が勘や記憶を頼りに歩いたところでそれはあてになど全くならない。それはこの学園に入学して二年目の頃だったかに痛感した。学園とは間逆の方向へと歩を進めてしまった私はびくびくと怯えながら裏々山の中で一晩明かしたのだ。朝靄に包まれた中で私を真っ先に見つけてくれた勘右衛門にこっぴどく怒られた事は記憶に新しい。あの時の勘ちゃんは怖かった。忘れもしないだろう。怖かったけど同じだけ心配もしてくれたんだとわかったから。

「…でも、勘右衛門は見つけてくれるじゃない」

 特に急ぐこともせずのんびりと歩く勘右衛門の背に問いかける。胸の奥で湧きあがるのは小さな期待と微かな確信。とくとくと早まる鼓動は夜闇に虫達が奏でる音と相殺されて今私の耳が掬いあげるのは目の前に立つ人の声だけだ。

「当たり前。俺が見つけずに誰がを見つけるんだよ」

 振りかえった勘右衛門は呆れた顔をしていたけれど、その眸は柔らかいから私の心はふわふわと舞い上がらずにはいられなかった。







秘める夜







お世話になってる宙生さんへ。感謝の気持ちを込めて捧げます。