朝靄に包まれた世界はひょっこりと山の合間から顔を出した太陽の光を遠ざける。早朝独特のとても澄んだ空気を吸い込めば肺をとおって私の胸の奥に入ってくると自分の心までが綺麗に澄んでいくように感じる。幾度かそれを繰り返していれば用具倉庫から食満が出てきた。出入り口で足を止め、驚いた顔をして私を見つめる彼に向かっておはよう、と笑って挨拶をする。 「、お前なんで・・・」 「手伝おうと思って」 用具委員会は一年生が多い割に仕事は重労働で且つ次々と舞い込んでくる。それらを委員会の時間だけで捌くのはほとんど不可能なことだった。なにしろ、一年生はようやく用具委員会の仕事内容に慣れてきたところ。知らないこと、分からないことは一つ一つ丁寧に、そして分かりやすいように解説をするからそれだけでも時間を遣う。食満はそういうところに手を抜いたりしないから尚更に。 三年の作兵衛は一年生の頃からきっちり用具委員会の仕事を叩き込まれてきたおかげか一通りのことはこなせるまでに成長したけれど、まだまだ学ぶべきことは多いようで、食満の様子を窺っては質問をしているのを見かける。 そうしていると食満の作業時間は驚くほどに削られていく。一番仕事を捌けるはずの食満がそうなると仕事は積み重なっていくばかりで、残った仕事は食満がいつも一人で持ち帰る。それも後輩たちには気付かれないように。可愛い後輩に気を遣わせるようなことをしないのがこの男で、それを知るのは私のみ。手伝おうか、と言ってみたことは幾度かあったけれど笑って断る彼に強く進言もできず、同じ六年なのに何もできない私はずっともどかしくてたまらなかった。 だから、これはいわゆる強硬手段というやつだ。 「いやでもだなぁ、」 「私だって六年だもの」 食満と同室の善法寺には負けるかもしれないけれど、六年間、ずっと同じ用具委員会で過ごしてきたのだから他の人よりは食満のことを分かっているつもりだ。くのたまと忍たまというその隔たりを素知らぬふりをして飛び越え、築き上げてきたこの関係を決して侮ってはいけない。 私程度に見破られるようじゃまだまだね。なんて勝気な笑みを浮かべてみせる私にしばしまぬけな顔をさらしていた食満ははぁ、と溜息と一緒に笑った。 「お見通し、てか?」 「知らなかった?」 「いや・・・情報源は伊作か」 すぐにばれると思っていたけれど、思っていた以上に早く気付かれてしまったことに私は唇を尖らせる。拗ねたような自分の顔を自覚して、立ち込める靄が私の表情なんてうやむやにしてしまえばいいのになんて思ってみたけれど喉を震わせて笑う食満の声にそれは無意味だと知る。当たり前か、私も同じように食満の顔をしっかりととらえることが出来るのだから。 私達を包みこんでいた白い靄は少しずつ薄れて朝の澄んだ空気の中にすいこまれていく。晴れてきた視界の中で私はねぇ、と食満に話しかける。それまで緩やかな光を注いでいたはずの朝日はとたんにきらきらとした眩い光をさしこんでくるからその一瞬、目がくらんで食満を見失う。けれども、何だ、という彼の声に導かれるように細めていた瞳を開ければ食満はまるで後輩に向けるときと同じように優しく慈愛に満ちた顔で私を見ていた。 「少しは頼ってくれてもいいんじゃない?」 私だって六年生なんだから。それに困ったときはお互い様でしょう? ひっそりとしたこの空間は私の紡いだ続きの言葉を食満のもとまで届けてくれるだろう。ずうっと前、一年生の頃に私が食満のために、食満が私のために。お互いの手をとりあってきた頃から何度も繰り返してきたその言葉を忘れてしまったわけではないはず。忍たまと仲良しだなんてくのいち教室の子に話してしまえば、忍たま相手に!と叱られるからと彼女達には伝えたことはない。 これはそう、二人だけの秘密。誰かに知られてしまうのがひどく惜しいからとずっと秘めてきた。 「そうだったな」 「うん」 「、ありがとな」 食満の笑顔が朝陽を浴びてよりいっそう輝いてみえる。まだ少し冷えた空気にその光は溶け込んで、私達を包みこむ。きっと今日は良い天気なんだろうなぁ、と食満の背後に広がる太陽の眩しさに目を細めていれば行くぞ、と食満のてのひらが私の頭をやさしく撫でる。その手のここちよさにしばらく浸っていた私は、置いていくぞ、という声に慌てて彼を追いかけた。
朝 焼 け に 眩 暈 |