シャキン、シャキンと一定のリズムで聞こえる音と、髪を掬い取る指先。一切の無駄がない動きに魅せられるのは一体何度目のことだろう。鉢屋さんの手は迷いがない。遠慮なく切られ、床へと落ちる髪はきっと私には必要のなかったのだろうと思わせるほどに。いつもはお客様が座るその席に座り、鏡を前にする私の心情は「アルバイト店員」よりも「お客様」に近いだろう。あまりにも完璧すぎるその腕前に感嘆の声も忘れてしまう程呆然と見つめていた。手元へと落ちる鉢屋さんの眼差しはいつもの茶目っ気は綺麗に隠れ、真剣そのもの。微かに鋭さがちらつくその眼球にどうしたって惹き付けられてしまう。ずるい人だなぁと内心で呟くのも数え切れないほど。
 不意に鉢屋さんの瞳が此方を見た。鏡を通してばちりと重なった視線にどきりとしたのは言うまでもなく、居た堪れなくて頬に熱が宿る。そして――、頬を抓られた。

「いっ!」
「ちゃーんと見てたのかお前」

 すぐに離れた手はペシペシと頭を叩き離れていった。抓られた方の頬だけ地味に痛い。遠慮しない人だからなぁと抓られた頬を擦っていれば「おい、聞いてるのか」と若干低めの声がした。じっと据えられた視線にええと、と言葉を濁しながらつい先ほどの鉢屋さんの問いかけを思い出しサッと顔が青くなる。言い訳を考えようかと思ったが誤魔化しなど通用しないと既に知れている。

「・・・す、すみません」
「少しでも吸収しようって気あんの?」
「も、もちろんありますよ!」

 ただあまりにも貴方の腕が素晴らしいから見惚れてしまったんです!なんて言えやしない。てか絶対言えない。今はまだアルバイト店員の身とは言え、美容師を志している私にとって鉢屋さんは憧れであり目標でもある。だからこそ、こんなまたとない機会を逃すことなく、盗める限りその技術を盗まなくてはならないのだ。分かってる、分かってるよそんなこと。分かってるんだけど!お店の誰もがその腕を認め、お客様からの指名率が最も高い鉢屋さんに、練習台とは言えカットしてもらえるなんて幸せすぎて、気がそぞろになるのも仕方のないことだと思って許して頂きたい。いや、無理だって知ってますけどね。こんな気持ち知られるわけにもいかないし。
 後ろを振り返って鉢屋さんの様子を窺えば、その双眸が鏡から此方へと移る。スッと細められた瞳と持ち上げられた口角に良い予感がしなかったのは言うまでもなく。

「ふぅん、見惚れでもしてたか」
「っ!ち、違いますっ!断じて違いますから!見惚れていたのは鉢屋さんのその技術であって、決して鉢屋さんに見惚れてたわけではありません!」
「ははっ、相変わらず面白いなお前」
「・・・全然、嬉しくないですそれ」
「一応褒めてやったんだけどな。ほら、前向け」
 
 頭を掴まれ無理矢理鏡へと向き合わされる。鏡に映る鉢屋さんの顔は尚も笑っていてあまりの恥ずかしさに私は羞恥の塊になって溶けてしまえばいいと思ったほどだ。そんな勿体ないことしたくないのでもちろん冗談なんだけど。
 鉢屋さんは仕上げとばかりに軽く髪をいじって整える。一日中動き回ってボサボサだった私の髪がみるみる仕上がっていく様子はまるで魔法にかけられたかのようだった。なんて柄でもない。でも、それくらいに凄いのだった。

「よし、出来上がり」
「すご・・・ありがとうございます」

 肩を叩かれたのを合図に私は自分の髪に出来るだけそっと触れた。さらさらと流れていくような感触。するり、指の隙間から零れていった髪に感動を覚えたのは言うまでもない。仕事中動き回る事の多い私に合わせてくれた髪形だった。喜びを噛み締めていればにゅ、と右肩の辺りに鉢屋さんの顔が現れた。

「なに素直に喜んでるんだ。お前が練習台になったのは他人の技術を間近で見る為だろうが」
「あ・・・ごめんなさい」
「謝るな。で、何か掴めたのか?」
「ぼ、ぼんやりとですが」
「ぼんやりとね。ま、最初はそんなもんだろ」

 怒られることを覚悟していた私は拍子抜けしてしまう。

「にしても」
「はい?」
「さすがは俺だな。その髪型、によく似合ってる」
「っ!」

 営業用のスマイルじゃない。茶目っ気を含ませた笑み。鉢屋さんは少し性格の捻くれた人だけど意外と子供っぽい一面も持っているんだと知ったのはこのバイトに来て少し経った頃だけど、その笑みを向けられたのは初めてだった。そして、続け様に紡がれた一言。

「可愛い」

 職業上言い慣れてしまったんでしょうね。
 でも、心臓に悪いのでお願いですから辞めてください!






魔法使いの掌の上で踊る