任務じゃ、と学園長はただ一言静かに告げた。
 呼び出されたのだからお遣いか、任務か、そのどちらかを既に予測していた私にとっては別段驚く理由もなくただ「はい」と返事をした気がする。

 小指に少量の紅を取り唇へとのせながら仕上げられていく鏡の中の"私"を見つめ、その任務内容を思い起こす。忍たまでなく、くのたまに回ってきた時点でその内容は限られてくるものだけどまさか私にこんな任務が回ってくるなんて思いもしなかった。面倒だなぁとひとりごちるも同室だった友人は既にこの学園を去った為に返事は返って来ない。笑って里へと帰っていった友人を思い出せば小さな羨望と、諦めが現れる。決められた幸せか、それとも自分で選んだ道で苦悩と共に幸せを探すか。果たしてどちらが本当の幸せを掴めるのかは人それぞれなんだろうが、友人は前者で私は後者なんだろう。私の幸せは親の決められた生き方の中じゃ手に入らないと分かっている。
 化粧は得意じゃないから時間がかかる。ゆっくり慎重に施していれば天井裏に気配。誰、と問う間もなければ視線を上へ上げる間もなく降り立ったのは三之助だった。目が合うと何故か盛大のその顔が顰められる。けれども私の意識は、よくぞ迷うことなく私の部屋まで来ることが出来たなぁ、とそればかりだった。三之助の方向音痴は多少は改善されたものの富松のげっそりとした顔を見かければまだまだ酷いものなんだと知れている。

「三之助?どうした――」
「断れよ、その任務」
「は?」

 何を言われたのか、すぐに理解できなかった。三之助は私の目の前にどっかりと座り込んで私の小指を掬い取って、まだ残っていた紅を拭い取った。"私"には似合わない鮮やかな赤が三之助の指にべっとりとついたのを見つめながら機能し始めた思考に合わせて私の顔も歪む。

「ちょっと、その紅高いんだよ」
には似合わない」
「私じゃなくてお姫様に似合う色使ってるんだから当たり前でしょ」

 鏡に映るのは"私"と言う人ではなく全くの別人、依頼してきた城のお姫様が出来上がろうとしている。あの紅は三之助の言うとおり到底私には似合う色ではないけれど、艶やかさを漂わせる依頼先のお姫様にはとてもよく似合っている。
 仕方なく新しく紅をとろうと化粧道具の方へと手を伸ばせば察したように三之助の手がそれら全てを取り上げていった。眉間にシワが寄るのが分かる。

「三之助、時間がないんだから返して」
「だったら行かなきゃいい」
「学園長先生直々の任務よ。断れるわけないじゃない」

 その目を見上げて告げればぷいっとそっぽを向かれてしまった。これは完全に拗ねている。すっかり逞しくなってしまった図体と比べてその思考は意外と子供っぽさを残している。この顔はきっと私しか知らない。作兵衛や左門すら知らない三之助の一面を、私だけが知っている。緩む頬は引き締めて、その独占欲に浸っていたい気持ちをそっと隠す。好いてくれているのだとその気持ちを感じれるのならば、私は頑張れる。

「風邪で寝込んでる姫様の代わりにちょっと宴の席に出るだけだよ」
「でも酒の席だし、何があるか分かんないだろ」
「その時は上手いことやる」

 これが夜の宴と言われたならばそれ相応の覚悟がまた必要となるが、今回は昼間。近隣の城との交流も兼ねての宴で、ただ決められた席に着き、ニコニコと微笑んでいればそれで良いと言われているのだから難しい任務じゃない。これを苦だと思っていたらくのいちとしてはやっていけれない。私は自分の足で生きたい。道は決められたものじゃなくて、自分で選んで進みたい。三之助の、その隣を。

「俺はお前にこんなことしてほしくねぇよ」

 親指の腹が私の唇の上を滑るようになぞり、紅を拭い取ってしまう。次いで苦労して結った髪を解かれ、どこからか取り出した手拭いで時間をかけて施した化粧を落としてしまう。髪はぼさぼさで化粧と一緒に変装も剥がれ落ち、先ほどまでの美しいお姫様の顔とは比べものにならないほど平凡な私の顔が現れる。それでもそんな私の姿を見つめて三之助が表情を緩めて笑うものだから、反論の言葉が喉の奥へと消えてしまった。

「別に、くのいちになる必要なんてないだろ」
「三之助は話を飛躍させすぎてるよ」
「してるのはだろ。言わないだけでずっと考えてたのは知ってる」
「・・・・・・」
「学園にいる間はまだしょうがないとしても、卒業してからも忍を続ける理由なんてない」
「あるよ。だって私、三之助と一緒に生きたいもん」

 くのたまでありながら卒業まで残る生徒は故郷に戻れば決まった相手がいるものか、または忍として生きていくかの二択だ。必然と私が後者を選ぶことになる。いかなる道であろうともそこに恋う相手がいるのならば幸せは見つけられると思う私の考えは甘いのだろうか。
 その答えを持つのは、私にとってはたった一人。目の前の相手のみ。
 静かに瞠目する三之助に、私はただ微笑んだ。

「生きたいよ、三之助と」





この感情を手にとって
「別に忍にならなくても俺は一緒に生きて欲しいって思ってるけど」





日頃の感謝とスケブのお礼を込めまして。ミーちゃんへ捧げます。