日が経つ度に私の中の焦燥は膨らんでいく。一日、また一日と数えていけばあの夏の終わりの日からかれこれ一月は経とうとしていた。待つ、といった。どれだけ時間がかかってもいいからって。その言葉に嘘偽りはない。けれどそれはいつまでなんだろう。過ぎていく日々にその思いは強まる一方だ。何かを掴んでくれたらしい団蔵に、きっと近いうちに全て思い出してくれるだろうと決め込んでいたのかもしれない。だから軽々しくあんなことを言えたのかも。 けれど団蔵が思い出す様子はなければ、あれ以来まともに話してもいない。同じクラスだから顔は毎日のように合わすけれど、だから分かってしまう。何も思い出してはいないのだと。ここまでくるともう期待など抱くべきではないということなんだろうか。 「、眉間にシワ寄ってるよー」 とんとんと指先で叩かれたことで私は目の前の席に座った三ちゃんを見た。三ちゃんがにこりと笑うとサラサラの細い黒髪が揺れる。考え事など見抜いているのだと言わんばかりに手を伸ばした三ちゃんは私の頭を撫でた。三ちゃんとは昔から仲が良かったけれど、同じ性別として再会してからは更に友情は深まったと思う。女の子らしい外見とは裏腹に男顔まけの行動力と辛辣な口振りはあの頃と変わらない。 「土井先生が呼んでたよ。早くノート提出しろって」 「あ、忘れてた」 お昼休みの間に提出しろと言われていたことを思い出して机の中からノートを取り出す。壁に掛けられた時計を見ればまだ十分間に合う。ノートを抱えて席を立てば、後ろから三ちゃんの声が呼び止めた。 「あんまり思い詰めちゃだめだよ。・・・アイツも、バカなんだから考えるより行動すればいいのにさ」 後半部分が誰を指しているのか聞かずとも分かってしまった。三ちゃんのそういうはっきりとした物言いが昔から好きだった。団蔵を見る三ちゃんの目許が少しだけ剣呑で心配されてるんだと分かる。 「ありがとう。じゃあ提出してくるね」 伊助に何か話しかけている団蔵を一瞥しながら教室を出た。職員室へ向かいながら、つい先ほどの団蔵の様子を思い浮かべる。気付かれないように何度も何度も視線を向けているから知っている。あの日以来、団蔵が必死になって考えてくれていること。性に合わないことをしているのだという自覚は本人にはないのだろう。団蔵の場合は難しく考えるよりも直感のまま動いた方が結果として上手くいっていた。その彼を雁字搦めにしているのは私の言葉だ。あんな発言をして身動きがとれなくなってしまうのなら、言うべきではなかったかもしれない。思い出して欲しいと願うそれは私の一方的な我儘でしかないのだから。 でも、不安で寝付けない夜がある。この手に残るリアルな感触に震えが止まらなくなる時がある。あの頃、もっとも触れたくない場面が夢となり私を苦しめ、真夜中に目が覚めてしまうこともある。その度にあの温もりを求めてしまう。昔は隣にいたはずのその存在が今はすぐ傍にいないことがこんなにも寂しい。ついつい縋りたくなる心をひた隠すのは思っていた以上にしんどい。だからせめて私という存在だけも意識して欲しいと願って告げたあの言葉たちは最早取り消しも出来ない。あとは全て団蔵次第でしかない。 「っ!」 渡り廊下に足を踏み出し、少し冷たくなった風に身を縮ませた時、後ろから声がかかった。振り返るのと一緒に風で遊ばれた髪が顔にはりつくのを手で除ける。 「だんぞ、」 名前を紡ぎきる前に、その腕が私を閉じ込めた。開きかけの口は団蔵の紺のカーディガンにぶつかる。秋を思わせる風から私を守るような少しきつい抱擁。触れた所から伝わる温もりが懐かしくて愛しい。 「あのさ、俺、」 「思い出した、の・・・?」 「いや、まだ全部は・・・でも分かるよ」 「何が?」 「昔もさ、に何かある度にこうしてただろ?」 「・・・っ」 抱きしめる腕に力が込められ、それまでずっと抱え込んでいた不安と寂しさが隙間もなく埋められていく。過去が、溢れ返す。この腕の中だけは何も考えなくともよかった。私の中に渦巻く不安も恐怖さえも一瞬にして忘れさせてくれる。今一度感じれば抜け出すことは不可能な絶対の領域だった。期待してしまってもいいんだろうか。もう一度この場所に収まることを。 「あの夏の日以来さ、庄左に言われた意味をずっと考えてたんだ」 「・・・うん」 「で、伊助に言われて分かったよ。一番大事ってそのまんまの意味だって」 「遅いよ。だからバカ旦那って言われるんだよ」 「うん。ほんと俺バカだった」 見上げた団蔵が眉をハの字にさせて笑っている。 「ごめんな、待たせちまって」 あの頃のような傷跡などない綺麗な掌が私の頬を包み込んで親指の腹が私の目尻を拭う。いつの間にか溜っていたらしい涙を拭うその動作が昔と何一つ変わらなくて逆に涙腺は崩壊する。もう一度その腕の中に飛び込めば何の躊躇いもなしに抱きとめてくれる。もう離れることなど出来やしない。そう願うようにぴったりと寄り添った。
糸は一途に |