「らんたろう、だいじょうぶ?」

 一つ上のくのたまにまた色々痛い目に合わされてボロボロのわたしの前に、影が出来る。わたしに降ってきた優しく、労わるような声にずれたメガネを押し上げながら顔をあげれば腰をかがめてわたしを覗き込む先輩がいた。わたしへと差し出された手に、自分の手を重ねればやわらかな力で引き上げられる。立ち上がったわたしの、その惨状を改めて見つめなおした先輩は小さく首を傾げて苦笑した。

「ユキちゃんたち?またずいぶんと遊ばれちゃったのね」

 一度離れていったてのひらはわたしの頭を撫でてから、もう一度差し伸べられる。おいで?保健室で手当てしないとね。そうやってふわりと笑う先輩には他意もなにも感じることはなくて、だからわたしはいつもその手を素直に握り返すことができる。一つ上のくのたま、つまりはユキちゃん達は何かとわたしたち一年は組を実験台に使うことが多くて、中でも一番被害を被るのは悲しいことにこのわたしだったりする。理由なんてもちろん分かりきっていて、でもみとめたくないから自分では言わないけれど「不運だから」とは組のみんなは揃ってそう言うからもうみとめてしまった方がいっそ楽かもしれない。
 痛いところはない?出血はしてない?怪我は? わたしの手を引いて一歩前をあるく先輩はそうやって話しかける度にわたしを振り返ってなんともないことを確かめる。そしてわたしが頷くたびに安心したように笑う。心のそこから心配しているのだと言われているみたいですこし落ち着きがなくなる心のまま先輩の背中を見上げた。

「先輩は」
「うん?」
先輩はどうして、他のくのたま達と違ってわたしたちにやさしいんですか?」

 今日みたいに以前もボロボロで保健室に向かっていたわたしを見つけて、手を引いて連れて行ってくれて、それから治療もしてくださった。今までそんなふうに傷の手当てまでしてくれるくのたまに会ったことなんて一度もなかった。結果が分かれば満足そうに笑って帰ってしまうばかりで気遣ってもらったことなんてなかったと思う。もちろんユキちゃん達だってその分ある程度の加減はしてくれているだろうことはわかってるけど。でも先輩のような態度を向けられたことは間違っても一度だってない。

「らんたろうは誤解してるよ」

 わたしへと振り返った先輩がくすくすとおかしそうに笑う。足を止め、ほんかくてきにわたしの方に向き直った先輩は軽い仕草で辺りをきょろきょろと見渡して誰もいないことを確認する。それからわたしに合わすようにしゃがみ込んで、少し悪戯っぽい笑みを浮かべてみせた。それはわたしの中でははじめてみる笑い方だった。

「私が優しいのはらんたろうだからよ」
「わたしだから?」
「そう。らんたろうは知らないだろうけど、左近や三郎次に対しては私もユキちゃん達と変わらないんだから」

 内緒だよ、これは。唇に人差し指をあてて、笑う先輩の声はとても楽しそうだった。それは、先輩もユキちゃん達のようなことをしているということなんだろうか。あのわたし達に対して意地悪な川西左近先輩や池田三郎次先輩が、先輩にからかわれて遊ばれる・・・そんな構図が想像できなくて、自然と難しい顔をしてしまう。そんなわたしの頭を、唇にあてていた手をはずした先輩が優しく撫でた。

「一つ下は総じて生意気に見えてしまうものなの。その代わり二つ下はとてもかわいく映るの」
「・・・はぁ」
「だから甘くなっちゃうの。そして慕ってもらいたいから一つ下に意地悪してるところなんて見られたくないのよ」

 この意味分かる?難しい問題を問いかけるように少し唇を持ち上げて先輩は笑う。少し考えてみたけれど答えなど分からないわたしは首を横に振ってわかりません、という。すると先輩はおいでおいで、と花が綻んだように笑いながら手招きをする。その表情にどぎまぎしながらも先輩へと近づけば、先輩は口元にそっと手をあてて、わたしの耳に囁きかけた。


「つまりはね、らんたろうが大好きってこと」





そのの名前はまだ知らない



日頃の感謝を込めまして。郁槻姉さまへささげます!