夢を見る。とても悲しくて、辛くて、でもそれ以上に愛しい。目が覚めるたびにそんな思いに包まれて胸は苦しくて、頬には涙の跡が残る。はじめの頃は夢の内容など覚えてはいなかった。目が覚めてしまえば何も思い出せなくて、ただただ切なさと愛しさだけが溢れて、戸惑うことしかなかった。けれど、日を重ねるごとに夢の内容はおぼろなものへ、そして輪郭がつき、色を帯び始める。終には瞼の裏にしっかりと焼きつくようになった。


 私の目の前を走る背中をいつだって追っていた。大きくて逞しい背中は、近いようでとても遠くて私はいつだって必死についていった。時にはその肩に力尽きた後輩を担いでいたり、方向音痴名なことに自覚のない後輩をその手に掴んで走っていた。それなのに先輩の体力が切れることも、その速度が落ちることもなく、そればかりか後を追う私を振り返って笑うのだ。

、ちゃんとついてこいよ」

 そう言って。一つしか違わなくとも、男と女では自然と体力での差はついてくる。ましてや相手が七松先輩だったら尚更その差は大きい。でも、先輩は挫けそうになる私をいつも笑顔で引き上げる。意識などしていなくとも、そうして私を奮い立たせてくれる。先輩の次に上級生である私は甘える立場ではないことは百も承知で、でもだから七松先輩はそうやって私を甘やかす。先輩はそんな風に感じたことはなくとも、私にとっての七松先輩のその一声は最上級の甘やかしだった。あの笑顔が大好きだった。



、起きろ!」

 揺すられる感覚に意識は引き上げられていく。大袈裟なほどに揺れる自分の体に、すぐに分かる。私を揺すっているのは誰なのか、その手が、その声が誰のものなのか。億劫に瞼を持ち上げれば飛び込んでくる姿。私が大好きだった、あの頃となに一つ変わらない笑顔。

「七松先輩?」
「遅刻だぞ、!」
「え?!」
「もう放課後だ。が来ないって金吾や四郎兵衛達が心配してたから見に来たんだ」

 バッと顔を上げれば飛び込んできた時計が放課後開始から数十分ほど時間が過ぎていることを教えてくれる。サァァ、と顔から血の気がひいていく。私に合わすようにしゃがみ込んでいた七松先輩はにこにこと笑っているけれど、待たされることを苦手としていることを私はよく知っている。先輩は昔となに一つ変わらない。

「ご、ごめんなさい!」

 慌てて侘びて私は立ち上がる。机の横、隣の席との合間の通路を占領しているエナメルのバッグを手にとろうとして、「なぁ、」という七松先輩の声が私の動きを止める。七松先輩はしゃがみ込んだままで、その両腕を私の机の上に置いた状態で私を見上げていた。

「何の夢を見ていたんだ?」
「え?」

 好奇心に満ちた七松先輩の眼差しを見つめ返して、そして私は少しだけ言葉を選ぼうと考える。何かを訴えかけるような瞳。そんな風に一瞬でも感じたのは、夢から覚めたばかりで昔と今が混濁されているからだろうか。

「多分、私の前世のことだと思うんですけど」
「・・・前世?」
「はい。」

 大好きだったのに、告げることのなかった想い。卒業後の先輩の行方を私は知ることはなく、商家の一人娘だった私は卒業と同時に幼い頃より決められていた相手を婿に貰い生涯をすごした。その一生で、ずっと忘れることのなかった七松先輩の笑顔。心に残ってしまった悲しみと愛しさ。きっと七松先輩にとって私は可愛い後輩でしかなかっただろう。それでも、この想いだけでも伝えておけばよかったと、どれだけ悔いたことか。

「好きな人がいたんです。挫けそうになる度にいつも私を引き上げてくれた、少し強引で、でも優しい先輩で、」

 もちろんそれは今だって同じだ。こうして同じ世界で巡りあったことはきっと奇蹟と呼んでもおかしくはないだろう。おまけにまた同じ委員会に所属され、後輩として七松先輩の下につくことになるなんて。あの頃と同じ、七松先輩は強引で、その活動内容はおよそ一般的な体育委員会のものとはかけ離れている。今でも私は、昔と同じで必死になって七松先輩の背中を追いかける毎日だ。

「大好きでした、って伝えたかったんです」

 その瞬間。気がついたら机越しに七松先輩に抱きしめられていた。いつの間に立ち上がったのかなんて思うほど、その動きは早く、目では追いきれなかった。まるで忍として生きていたあの頃のようだ。

「ななまつせんぱ、」
「私も大好きだったよ」

 耳に直接響く声はいつもとは違っていて、ぞくりとした。その声が愛しいって告げているようで耳は否応なしに赤く染まる。それが顔にまで伝染しなかったのは、まだこの状況を理解しきれていないからに違いなかった。私を抱きしめる七松先輩の腕は強くて、とてもじゃないけど自分からは抜け出せそうにはない。

「え?!あ、あの七松先輩!」
「ん?私のことじゃなかったのか?」
「いえ、その通りですけど・・・じゃなくって何で!!」

 慌てふためく私に、七松先輩が笑う気配を感じる。ふっと緩んだ拘束はそのまま離れていき、机一つ分の距離が空く。おそるおそる七松先輩を見上げれば私が大好きだったその笑顔で真っ直ぐ私を見つめていた。

「さて、あいつらも待ってるだろうしな!行くぞ!」

 そう言って歩き出す。すっかり頭が切り替わってしまったらしい七松先輩に説明など求めてもちゃんとした答えは返って来ないのだろう。呆然とその背を見つめていれば、七松先輩は途中で一度立ち止まって振り返る。

、ちゃんとついてこいよ?」

 紡がれたのはいつかと同じ言葉。
 説明なんていらない、それだけで十分だった。




そしてピーターパンは君の元へ




日頃の感謝を込めて。こっそりとゆやに捧げます。