地面を打つ雨の音が強くなった気がする。その音にしばらくの間伏せていた瞳を開けば、伊作の私物だと言っていた骨格標本のコーちゃんと目が合った。そこにあるのだと知っていたにも関わらず驚きで揺らした肩はそのまま背中合わせに座っている留三郎にまで伝わったのか振り返らずとも彼の気配が私に向けられたのを感じた。

?起きたのか」
「最初から起きてたよ」

 馴染んだ背中の温度と半分ほど開いた戸からしめりけの混じった風が吹き込んできて何度か思惟はゆるりと落ちていきそうになったけれども、せっかくのこうして二人で過ごせる時間を眠って無駄にしてしまうなんて出来るわけもなかった。
 室内に充満している伊作が煎じる薬のにおいを少しでも解き放とうと戸を開けたことは正解だったようでかおりは少しずつ薄れているような気がする。何度か通うばかりにわたしがこのにおいに慣れてしまっただけかもしれないけれど。開いた戸の先では朝方から降り続く雨が弱まる気配を見せず地面を叩く。
 暫くはそれを眺めていたけれどいい加減退屈してしまった私はくるりと身体を反転させ、膝立ちして後ろから留三郎を覗き込む。

「それ虫かご?」
「ああ。生物委員会が壊してしまったみたいでな」
「でも虫かごの補修は生物委員会が自分たちでやってるんじゃなかったの?」

 私の記憶が間違いなければ以前そう言っていたのは留三郎だ。正確には生物委員会というよりは竹谷の仕事なんだろうけど。上級生が少ない委員会は本当に大変。一年生が多い用具委員会の委員長をしている留三郎が仕事を持ち帰ってくるのはいつの間にか当たり前のことのようになっていて、折角の休日がそれで潰れることにも最早私は何の文句も言えないくらいに慣れてきてしまっていた。

「毒虫脱走であまりにも大変そうだったから引き受けてやったんだよ」
「・・・なるほど、留三郎らしいねぇ」

 くすりと微笑めば、すぐそこにあった留三郎の顔が少し赤くなる。褒め言葉だと伝わったことも、留三郎のそういう照れやなところも私はすごく好きだなぁと思う。嬉しくってくすくすと零れる笑みは止まらずやっぱりこうして一緒の時間を過ごせるだけでも幸せだなぁと噛み締めていれば虫かごを補修していた留三郎の手はいつの間にか止まっていることに気付く。留三郎、と呼ぶよりも先に、と紡がれた自分の名前に私は開きかけた口のまま続きを待った。

「今日は、約束やぶるようなことになってすまなかった」

 そっと虫かごを置き、頬をぽりぽりと掻く留三郎の少し沈んだ声を耳にする。今しがた思っていたことへの謝罪のようにも聞こえて、心が読まれてしまったのかと驚いたけれど振り返って私を見つめる瞳は本当にすまなさそうでちゃんと考えてくれていたのだと知る。今日はゆっくりと過ごそう話していたのにうっかりにも仕事を引き受けてしまったことに怒るつりはなかった。ほんとうに慣れっておそろしいなぁと私は笑う。

「少しは気にしてくれてたのね」
「当たり前だろ」
「・・・そっか」

 可愛い後輩のためとか、必死に毒虫を探し回る生物委員会のためとか、留三郎の他人を思いやれるところも私は好きだから。寂しいと思うことはあるけれどそれすらも後回しで許してしまうのだと思う。

「怒ってないのか」
「怒ってないよ」

 肩に置いた手をすいとそのまま伸ばし後ろから留三郎に抱きついた。仕事中だと咎められるそれも今は黙って受け入れられる。ついと向けたのは開いた戸の先で、そうすると雨のにおいがくんと強くなった気がする。嗅ぎなれてしまったこの部屋のにおいも悪くはないと思うけれどそれよりもこの梅雨の時期独特のにおいの方が私は好きだった。

「約束がやぶられるのなんていつものことじゃない」
「・・・、それはだなぁ」
「いいの。一緒にいられるならそれで十分よ」

 そのままゆっくりと瞼を閉じた私は雨音を聞きながらぎゅと首に回していた腕の力を込めた。
 まもなくして、そうか、という落ち着いた声音が私の耳朶を触れていく。寂しいと思う気持ちを満たすだけの優しさが含まれていて、単純な私にはそれだけで十分だった。






満ち足りる



相互の記念としまして「幻想協奏曲」の郁槻さんに捧げます。
・・・もうこれ、酷すぎる・・・!ここここなんのですみません!!
相互ありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いします。