「はい、の負けー」

おっとりとした声がすとんと落ちる。今の自分は渋い顔をしてるに違いないと思った。気が抜けてしまいそうにすらなる表情で笑う目の前の相手を見れば、何とも言えない脱力感が襲ってくる。意味を孕んだ視線が真っ直ぐ自分に突き刺さり、それには答えず鞄から財布を取り出した。

「絶対おかしい。山ちゃん、ズルしてるでしょ」
「人聞きが悪いなぁ。そんなことしないよ」
「だって、だったら何でいっつも私が負けちゃうわけ」
「そりゃあが弱いからじゃない?」

ほら、昼休みも限られてるんだし急いでね。なんて言って私を席から立たす。向かい合わせになって合わせられている机の上にはトランプが散らばっている。ちらりとそれに目を落とせば目敏くも気付いたらしく「帰ってきたら片付けもよろしく」とにっこり付け加えられた。ピキ、と自分の中で何かが音を立てたがそれには気付かぬ振りをして無言で首肯した。この人に恨みを買うと後で後悔するのは自分なのだと理解しているつもりだ。さっさと行って来ようと歩を進めようとすれば呼び止められた。

「無駄遣いしないようにねー」

させてるのはどこのどいつだ。そう言ってやりたい気分だったのを寸でのところで押し留める。どこか不可解な送り出しに首を捻らせながらも待たせれば待たせた分だけ後が恐ろしい。パシリの後にはトランプの片付けも待っているから昼休みの残りの時間は忙殺されそうだった。




ガコンと音をたてて紙パックのジュースを取り出す。こうして自動販売機に買いにくるのは今週に入って何度目になるんだろうか。一々数えていたらキリがないと分かったからそれは既に放棄した。にこにこと余裕を携えたその笑みを見た瞬間から自分に勝ち目はないんじゃないかといつも思う。思うのに毎度勝負を挑んでしまうのは私が単に負けず嫌いだからか、それとも山ちゃんに上手くのせられてしまっているからなのか。多分どちらもあるんだろうなあ。



溜息一つ付いて立ち上がればいつの間に来たのか慎吾が立っていた。私の手元にある紙パックジュース・イチゴミルク味に視線を落として呆れた風情で呟く。イチゴミルク味は山ちゃんの最近のお気に入りだ。それだけで全て悟るその観察力には目を瞠るものはあるけれど何もこんなところで発揮しなくてもいいのに。

「また負けたのかよ」
「…言わないでよ」

睨み上げる私を余所に慎吾は自動販売機に目を向けると徐に腕を伸ばした。それを視線で追った私は思わず悲鳴に似た声を上げた。ガコンと鈍い音がする。しゃがんで落ちてきたモノを取り出した慎吾は勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。

「サンキュー」
「誰も奢るだなんて言ってないし!」
「お釣りも出さずにボケっとしてるからだろ」

嫌味な笑顔を憤然と眺めつつお釣りを取り出して財布にしまった。ここ毎日山ちゃんとの勝負に負けてばかりで財布の中身はおそろしく寂しい。だと言うのに遠慮と言う言葉など皆無に人の貴重なお金でモノを買うなんてなんて奴だ。取り上げる暇もなくストローを穴に差し込む様子が目に入ってがっくり肩を落とす。

「そんで今日は何の勝負したわけ?」
「トランプの七並べ」
「…まぁ山ちゃんに勝とうってのが無謀だよな」

冷たい風が吹く。校舎から校舎を繋ぐ廊下の合間に設置されているこの自動販売機前は風を遮るモノは存在せず凍てつくほど冷たい風は身に突き刺さる。それもあって冬場にここを利用する生徒はそれほど多いとは言えない。ほとんどは食堂の中にある自販機を利用するだろう。私の場合は教室からこちらの方が近かったから。ただそれだけだ。長いとも短いとも言えないスカートから出る自分の足は寒さで今にもがくがくと震えだしそう。こういう時、男の子はいいよなぁと慎吾をこっそり見つめながら思う。

「て言うか何で慎吾がこんなとこにいんの」

私が声をかけたのと慎吾が飲み終えた紙パックのジュースを綺麗に放ったのはほぼ同時だった。自販機横のゴミ箱に向かって緩い弧を描いて飛んでいくそれは僅かに風に押されたが難なく収まる。さすが元野球部。引退してしまったとはいえ、腕は落ちていない。変に感心する私に近づいてきた慎吾はすぅっと目を細める。

「さーな。何でだと思う?」

無駄のない動きで私の手中に収まるジュースを奪い取る。あ、と声をあげると彼があまり見せない悪戯が成功したような子供みたいに笑った。それは確実に私の鼓動に衝撃を与える。不規則になり続ける心音とは正反対に意識はゆっくりと冴えていく。不可解な行動の裏には必ず意味がある。それを正確に読み取ろうとじっと慎吾を見上げる。易々と悟らせてくれるほど楽な相手ではない。でも彼だからこそその真意を理解したい。持て余してしまうほどのこの気持ちを何て呼ぼう。

「慎吾、それ返して」
「嫌だね」
「何言ってんの」
「だってこれ返したらお前教室戻るだろ」

ハッと浮かんだのはにこにこと終始笑みを携えたクラスメートの姿。そう言えば教室を出てからどれくらい経った?どう考えてもいつもなら教室に戻っている頃だ。急いでね、なんてわざとらしく伝えてきた山ちゃんの言葉が頭の中に響いて警鐘を鳴らした。これ以上待たせると、後が怖い…!

「山ちゃんが待ってるから行かなきゃ、ってとこか」
「え?」
「行かせねぇよ」

時が止まってしまったかのように動けなくなる。真摯な視線に絡めとられ、息をすることすら忘れてしまったかのように。

「好きだ。それだけじゃお前を引き止めるのには不足か」

たった一言で全てがどうでもよくなってしまった自分はどうしようもなく調子の良い人間でしかないんだろう。



鳴り止まない残響





2008/02/22 ※相互記念に代ちゃんに捧げます!