明日は雨だな、なんて昨日誰かが言っていたけれど、それがうそのように今日は快晴だった。冬を溶かしてしまうような柔らかく暖かい日差しで、式辞の時に校長先生がそんな事を言っていた。この日差しの中で卒業式を迎えられる卒業生――私たちは幸せだと。言われた時、私たちは体育館の中で、そんなこと言われても本当のところどうなのか分からなかったけれど、式を終えて教室で担任だった先生からの最期の言葉ももらって、校庭へと出たところでようやくその言葉に納得した。朝、家を出るときの気温が嘘だったかのようにポカポカとした空気だった。

自分の手の中にある花の匂いを風が運んできて鼻を擽る。春の訪れを示すかのような色鮮やかな花はついさっき後輩の女の子たちが卒業のお祝いにプレゼントしてくれたものだった。可愛がっていた後輩たちは瞳に涙を溜めながら「私たちのこと忘れないでくださいね」なんて言うからこっちまで泣いてしまいそうになった。もらった花束は全部で3つ。さすがこれだけ貰うと両手は塞がってしまっている。貰ったこの花は家に帰ってから花瓶に飾ろうと思い落とさないようにしっかりと握っていた。

「モテモテだね。

そんな声が背後から聞こえたのはその直後だった。








さ よ う な ら の 三 秒 前








振り返ると佐伯くんが立っていた。陽光を浴びて彼の髪がキラキラと輝いて、それが佐伯くん自身が輝いているようで一瞬言葉を失った。佐伯くん、とそう言う前に彼の格好に目が言った。学ランのボタンが見事に一つも残っていなかった。まぁあくまでこうなるだろうなぁとは思っていたけれど予想を裏切らない人だ。だから驚いたのは今日のためにつけられた左胸あたりにあった青いコサージュさえもなかったこと。目をパチパチとさせる私に気づいたのか佐伯くんは苦笑した。

「佐伯くんに言われたくないよ…」
「そうかな?バネさんとかも似たようなもんだよ」
「や、そういう問題じゃないっていうか」

コサージュなんて今日はじめて受け取ってつけたものでボタンなんかと比べれば大したものではないと思うのに、そこまでして佐伯くんが身に着けているものが欲しかった人がいるんだと思うと驚きを通り越して感心すらしてしまう。そんな強い思いの子に比べたら私はどうなんだろう。そんなことを考えてみてすぐにやめた。

「ていうか佐伯くん、いつから見てたの?」
先輩、私たちのこと忘れないでくださいね!って辺りから」
「ほとんど最初からじゃない」

にこにこと佐伯くんは悪気もなさそうに言う。そんな辺りから見られてたなんて気づきもしなかった。後輩の子の中には佐伯くんに憧れを抱いている子もいるからその子も気づかなかったなんて意外だ。それに後輩の子たちが花束を渡しに来る直前まで佐伯くんは女の子たちに囲まれていたのを私はしっかりと目撃してしまったのに、ほんとうにいつの間にその子たちを潜り抜けてここに来たんだろう。

が一人後輩を見つめながら涙ぐんでるのも、花束の所為で涙がぬぐえずにあたふたしてるのも全部見ちゃったかな」
「わーわーわーそんな事わざわざ言わなくていいからっ!!」
「そんなに慌てなくても近くに誰もいないから平気だって」
「そういう問題じゃないの」
「あ、またその言葉使ったな」

この人と話していると私は慌ててばかりだ。佐伯くんは私のドジをやっているところを目撃してしまうことが多い。たとえばノートを一ページ飛ばして次のページに書いてしまったことやぼんやりと歩いていたから水溜りに足を踏み入れてしまったこととか、同じくぼんやりと歩いていて電柱にぶつかりそうになったこととか。友達の後ろ姿と似ていて大きな声で名前を呼んだら全く知らない人だったとか。とにかくそんな私の間抜けな部分を佐伯くんはいつだって偶然、そこに居て目撃している。そしてその場で教えてくれるんじゃなくてわざわざ事の行方を見守って私が一人になったときに今みたいにひょっこりと現れてその話を蒸し返すんだ。

「それは佐伯くんがそうやっていっつも私をからかうから」

意地悪な人だと思った。知り合う前はこんな人だなんて微塵にも思わなかった。もっと女の子には紳士って言うのか優しい人だと思ってた。実際優しいことには変わりないんだけどこんな性質の悪い部分を持ち合わせているなんて間違っても見えなかったのに。私の佐伯くん像は知り合って数日としないうちに崩れていってしまった。

「こんな人だなんて思いもしなかった」
「俺が皆にこんなことしてると思ってるんだ、は」
「え?」

冗談を交えたかのようないつもと変わらない口調だったのにやけに私の耳に残った。何言ってるの、もう!なんていつもならそんな風に返しているのに今はいたって真面目に佐伯くんを見つめてしまう。佐伯くんは私と視線が合うとずっと浮かべていた笑みをすっと消した。私はあまり知らない表情。何だかその雰囲気がまるでこの時を待っていたように見えた。

「東京の高校行くんだって?」

ぎくり。そんな言葉が当てはまるように自分の表情が強張ったのが分かった。
けれど誤魔化すわけじゃないけれどすぐに笑みを取り繕う。

「うん。そうなの!知ってたんだ」

「こんな長閑な田舎の町から抜け出して都会の中に飛び込むの」
、」
「田舎者ってばれないように気をつけなきゃねー」
「…無理じゃない?高崎はドジだから」
「佐伯くんひどいなぁ。私そんなにドジじゃないよ」
「そんなことないと思うけど」
「あるよ。佐伯くんがいっつも私がドジしてるとこに現れるだけだよ」

後輩からもらった花束が揺れる。まるで私の動揺が伝わってしまったみたいだ。いつもより饒舌な口はきっと何かしゃべらないと可笑しな方向に話がいってしまいそうだったからで、けどそんなのただの時間稼ぎにしかならないって分かってた。だって佐伯くんの方が私なんかより何枚も上手だから。

、あのさ」

名前を呼ばれる。ただそれだけで早くなる鼓動をおさまれと言い聞かせる。
こんなことは知り合った時からずっと繰り返してきたことで慣れているはずなのに。

「だから、でもこうやって佐伯くんにからかわれるのも今日が最後だね」

声が震えないように、途中で噛んでまたからかわれないように。
あ、でもこれが最後ならもう一回くらい佐伯くんに笑われても別にいいかなぁ。
そう思っているとぎこちないながらも笑っていた。

「今まで仲良くしてくれてありがとね。高校でもテニス頑張って」

最後だし握手を求めたいところだったけれど生憎私の両手は塞がっていたから断念した。
でもその方がよかったと後で思った。多分そんなことしていたら気持ちを抑えられない。


「私、佐伯くんがずっと好きでした」


すぅっと大きく息を吸い込んで大きな声でこの想いをぶつけた。
これが最後だと思うと普段出来ないことや言えないことも言えちゃうから不思議だ。
佐伯くんの答えを聞くことなく私は振り返って走り出した。








20061008  (遠距離なんて、きっと辛いだけだよ