包み込む少しだけ優しい空気と私たちの心とは正反対に綺麗に広がる澄んだ青空の下は何だか妙にそわそわとして居心地は決していいものではなかった。いつもならうるさいくらいに大声で元気に返事をしてくれる隣に座る利央はだらしなく足を伸ばし、焦点を定めることなく宙を漂わせている。だらりと首にかかるネクタイは今にもほどけてしまいそうで、利央の今の心情を表しているようで恐怖感に襲われた。隣をちらり、と伺い大丈夫そうなのを確認したうえでおそるおそるという手つきでそのネクタイへと手を伸ばした。少し触れただけでもほどけてしまいそうなそれを慎重に直してやる。そんな私に利央はと言うと一瞥くれただけで、対した反応を見せることなく、時折聞こえる小さな溜息に胸がつまるような思いが蓄積されていく。少し緩めで止めて、定位置に戻った。きつきつにしめたところでそれは彼には酷く似合わないから。まるで癖のように「よし、出来た」と呟いてしまったのが最大の誤算だったけれど。

「なぁー
「………」
「やっぱさぁ、俺なんて眼中になかったんだろうなぁ」

ふわふわと揺れる温かい色をした前髪の下から覗かせる瞳がこちらを向くことはない。どこか遠く、彷徨う視線の先、その果てに見えるのはきっとたった一人だけなんだろう。彼にしか映らない、私には見ることが出来ない世界をたった今、一人広げて感傷に浸っている最中なのだ。返事をしたところで対して彼の頭には浸透してはくれないだろう。舞い上がらせるような情報や、あまりにも残酷すぎる言葉以外は。

「利央…」
「必死になってさぁ、俺バカみたいじゃん」
「……(元々バカでしょう、あんたは)」
「もうちょっとだけ早く好きだって気づけばよかった」

くしゃりと歪められた顔は直視できず、仕方なく自分の落書きまじりの履き潰したシューズをじっと見た。大切な人の今にも泣き出しそうな顔なんて見てしまったら私は溢れる感情を塞き止められない。好きな人が幸せならそれでいい、なんて素晴らしくもあり、それでいてまるで偽善のようなこと思えるはずもないけれど。でも、こんな顔じゃなくて笑っていて欲しいと思うのは我侭なことだろうか。
花を咲かせる前に散ってしまった想いを風に乗せて飛ばす術を知らない利央は、ただ泣くことを耐えるかのように果てしない頭上を見上げている。未だに咲くことなく、すくすく育っていく感情を上手く抑えることも枯らすことも出来ず戸惑っているのだ。

「どうすりゃいいっつーんだよ」

紡いだ言葉はあまりにも不器用すぎて、愛しさがこみ上げてくる。私たちの周囲だけ時間の流れに逆らっているかのよう。あまりにもゆっくりと時が進んでいく。泣きたくても泣けない利央に、まるで代弁してしまったかのように私の瞳から透明な滴が一粒流れ、頬を滑っていく。顎までつたってきたそれは静かに落ちていきカーディガンに小さなシミを作り出した。

「ねぇ利央、」

悲しみに満ちてしまっていると分かりながら利央と視線を合わす。この屋上に来て初めて合った目は、あまりにも純粋で綺麗過ぎて、私は出しかけた言葉を一瞬つまらせてしまう。誰かを想う人の双眸ってこんなにも違って見えるんだろうか。自分以外を想うその瞳から逸らしてしまいたくなる衝動に駆られながらも、何とかその葛藤に打ち勝つ。

「慰めの言葉なんてかけてあげれないけど、ちゃんと聞いてるから私」

だから、ね?溜め込まないで。無防備に地面へと投げ出されているその左手に触れて、軽く握る。触れ合う部分だけが適度に温かく、徐々に熱を帯び始める。揺れ始めた利央の瞳を見つめ、小さく笑った。出来もしないのに、器用なことをする必要なんてないんだよ、利央は。

、」
「ん?」
「ありがと」
「利央に謝られると変な感じだね」
「ん、だよ、それ……」
「本音を言ったまでだよ。ほら、泣きたいなら泣いちゃえば?目、逸らしてるから」

交差する気持ちを、ひたすら隠し今はそっと利央を見守った。反対方向の空を見上げながらも、右手から伝わってくる熱に涙してしまいそうになる。隣で啜り泣く声が聞こえたけれどそれは聞こえないふり。広がる青空、その果てに私が見るのはやはり利央の顔だった。明るい元気な笑顔。何かある度、私を呼んでくれるその声。そしてついさっき見てしまったばかりのあの双眸が浮かび上がる。いつか、あの瞳を私に向けて、そして笑ってはくれないだろうか。あり得ないような未来を想像して、逃げるように瞳を伏せた。





神も知らぬその行末


20070117