誰も居ない食堂では一人のんびりとお茶を飲んでいた。食堂のおばちゃんから使用許可をもらい、少し高級な茶葉を使って淹れたお茶は高いだけあって美味しい。ふんわり香るお茶の匂いはほっと息をつきたくなるほど落ち着く。
夕食の時間帯も過ぎ、片付けや明日の仕込みも終わったあと。時折だがは食堂に残って一人でお茶を飲んで時間を潰すことがある。その理由はいたって単純、暇だからである。このあとがすることと言えば風呂に入ることくらい。それ以降はする事もなく寝るまでは相当暇なのだ。
学園の生徒でもないは校庭や裏裏山で鍛錬などする必要もなければ、予習復習だと文机に向かうこともない。昼間や放課後ならば生徒達が声をかけてくれるのでいくらでも時間を潰すことは出来る。が、夜ばかりはそうもいかなかった。一人自室に篭ってただ刻々と時間が経つのを待つことほど辛いものはない。この世界に来てから寝不足気味なにとっては余計に。なので、少しでも時間を潰そうとこうして食堂に残るのだ。時折、夕餉を食べ損ねた生徒が慌てて駆け込んできたり、夜の鍛錬で小腹を空かせた生徒がひょっこりと顔を見せることがあるので、そういう時は握り飯を作って出してあげている。そのお礼のつもりなのかはよく分からないが、そう言った生徒達はに付き合うように食堂に残って話し相手になってくれるのでとても助かっていた。
今日もそう。誰か来ないだろうかとお茶を飲みながら待っている。
それに、確実に一人は来ることをは知っていた。
食堂に立つ間はそれは忙しく動き回ってばかりなのだが、それでもは気付いていた。次々と食堂に駆け込んでくる生徒達の中で兵助の姿がないことに。いつもなら三郎や雷蔵、竹谷達と一緒に食べているはずのその姿は何処にも見当たらない。気になって三郎達がお膳を下げに来たときに聞いてみれば彼は委員会の用事で一人出かけているらしい。そう遅くはならないだろうから、夕食をとっておいてあげてくれないかな、とに言ったのは雷蔵だ。もちろんそのつもりであったは兵助一人分の食事はよけて取っておき、その他の物は全て片付けたのだった。


陽は完全に落ちてしまっている。窓外の景色は闇色一色で鍛えられていないの目には何も映らない。忍びである彼らにはまた違って見えるのだろうかと思う。この灯りも何もない中を兵助は今歩いているのかと思うと素直に感心してしまう。だったら頼まれても歩きたくはない。というよりは歩けない。忍として夜目が鍛えられている彼らだからこそ夜に動くことが出来るのだ。
空になった湯のみをことりと卓の上に置く。これで三杯目。お茶なんて急いで飲むものではないから三杯目ともなればそれなりに時間は経っていることだろう。遅いなぁ、そう思った矢先だった。
さん」
足音も気配もなく現れるのなんてこの忍術学園の生徒の、しかも上級生であれば日常茶飯事なのだがいつまで経ってもは慣れない。びくりと揺らした肩と一緒に入口の方を見やれば兵助が立っている。
「兵助君、おかえり」
「ただいま。さん、夕食とっておいてくれたって雷蔵が言ってたんですけど」
「うん・・・って雷蔵君に会ったの?」
「土井先生に報告に言った帰りに風呂上りの雷蔵達に会ったんですよ」
「そうなんだ。今用意するから座って待ってて」
立ち上がって急須を一緒に持って厨房へと入っていく。実は急須の中身も空っぽになったのだ。ついでに淹れなおすつもりで空いている台の上に置いて、先に兵助のご飯を用意する。それから急須に白湯を入れ、兵助の分の湯のみと一緒に持って食堂の方に戻った。
お膳を兵助に渡し、は湯のみにお茶を淹れる。兵助の向かいに座り、淹れたばかりのそのお茶に口をつけた。
「今日は伊助君や三郎次君達は一緒じゃなかったんだね」
「はい。硝石の値段を見に行ってたんですよ」
「硝石って火薬のもとになる・・・?」
「そう、それです」
聞きなれない言葉だが、この学園に身を置くことでそれが何に使うものか知った。
「硝石は高いんです。だから少しでも安く購入するためにもこうしてたまに値段の調査を行ってるんです」
日本ではあまり採取出来ない硝石は、やはり南蛮から渡ってきたものの方が断然値段が安い。
「今は買う必要はないんですけど値段だけでも調べて記帳しておけば次買う時に過去の値段を比べる事が出来るんです。場合によってはその場で買うこともありますし」
「節約上手ってこと?」
あまりにも簡潔なの一言に兵助は苦笑する。
「そういうことになりますね。火薬自体の予算は学園側から出ますがそれでも安いに超したことはありませんから」
なんてことのないように兵助は言うが、はほう、と感嘆する。
『なにしてんだかわからない。そんなことでいいんかい』
いつだったか生徒の誰かがそう言っていたのを耳にしたことがある。兵助と伊助がいる火薬委員会はにとって命の恩人といっても過言ではない。それだけに感謝の思いが強いのでそれを聞いた時は内心ムッとした。
でも、それを口にした彼らが知らないだけ。貴重な休みの日を使ってまで予算を抑えようとするその努力を。誰もが知らない、陰でそうして励む姿があるからこそ、周りには楽しているように見えるのだということを。
「兵助君がいるから火薬委員会は成り立ってるんだね」
素直に感心しは微笑む。
「そんなことないですよ。これは歴代の委員長達の仕事なんで。委員長が居ない今は代理の俺がやるしかないんです」
少し照れた様子は珍しく歳相応な姿だ。
普段年上なくせに頼ってばかりのにとっては新鮮だった。
「でも、兵助君はそれを立派に務め上げてる。一人で出かけるのだってつまりはあの子達の休みを潰したくはないからでしょ?」
「それこそ過去の委員長達がやり始めたことですよ」
当然のことのように兵助は言う。
「謙虚だなぁ」
それはとても凄いことなのだと自覚すればいいのに。誰にでも出来るようなことじゃないと思う。真面目でまめな者でこそ、務めれる仕事だ。
でも、そういうところに対して自覚がないのが久々知兵助という人なのだと今のには分かる。なので首を傾げて不思議そうにしている兵助にそれ以上は何も言わずご飯を食べるよう促した。

「ごちそうさまでした」
手を合わせて合掌した兵助は湯のみに手を伸ばしお茶を飲もうとして、その手を止めた。
「あ、忘れるところでした」
長椅子に置きっぱなしにしていた荷物から風呂敷に包まれた物を取り出して卓の上に置く。五杯目となる茶を注いでいたは手を止めてその風呂敷を解いて中身を見た。
「おみやげです」
「おまんじゅう!」
食後でお腹は十分に満たされているのだが、それでもの目はきらりと輝く。甘い物は別腹だとよく言うものだ。お茶ばかりで少々飽きてきたところだったのでその効果は抜群だった。
「食べてもいいの?」
「その為に買ってきたんですから、どうぞ」
がらりと表情を変えたに兵助は笑っていたが、文句を言うよりも今はおまんじゅうが優先だ。
「兵助君、ありがとう!」
「どういたしまして。沢山あるので遠慮なく食べてください」
沢山ある中の一つを手にとって遠慮なく頬張る。お茶のほのかな苦みが広がる口の中が一気に甘さで支配される。美味しい。それは言うまでもなくの表情が物語っていた。




夜は更ける


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