実習から帰る道すがら花を見つけて雷蔵はその足を止めた。学園につくまでが実習の一貫であり、どれだけ早く戻ってこれるかで多少なりとも評価が違ってくるのだろうが、途中いつもの迷い癖を発揮してしまった雷蔵は既に同じろ組み生徒と比べると大きく遅れをとっていた。なので多少の遅れなど今更だと割り切って彼は道から外れ草の生茂る中に歩を進めた。 草ばかりが茂る中で鮮やかな色彩を放つその花は特別雷蔵の目を惹いた。花など別に珍しくもない。今回の実習場所である裏裏山ではそれこそ多種多様な草花を見かけるし、季節によってはそれは見事に咲き乱れていることもある。なので、雷蔵がこうして足を止めたのは本当に偶然だった。 青紫色のその花の名前を雷蔵は知っていた。カキツバタ。梅雨の、今の季節から夏に向けての間を花期とし、湿った地域に群生する花だ。確か伊勢物語の中で詠われた歌の中にもその花の名前が使われていたはずだ。 その花の前で足を止め、辺りを見回した雷蔵はすぐ近くから聞こえる水の流れる音を聞いた。この近くに川があった覚えはないので、小川と呼ぶにも小さすぎる湧き水のようなものが流れているのかもしれないと思う。つまりは近くに水の気配があるということだ。それならば湿った場所に群生する筈のカキツバタがここに咲いていてもおかしくはない。あまり見ることのない花を見つめながら雷蔵はふっとを思い浮かべた。これを渡したら喜んでくれるだろうか。 少しずつ笑うようになってきただが、まだまだぎこちない部分はあるし、生徒達に対して遠慮しているような時もある。の事情を知った雷蔵の気持ちとしては出来る限り協力したいと思っているし、もっと楽しそうに笑っていて欲しいと思う。それは同じく事情を知る友人達も一緒なのだろうが、雷蔵は他の三人と比べると自分がにしてあげられることは何もないのではないだろうかと時折思う。の兵助にたいする信頼度は見ていればそれは強固ものだと分かるし、兵助も彼女を連れてきた本人だという自覚があるので何かと気にかけているのを雷蔵は知っている。彼女を気に入っている三郎がパッと顔を変えては驚かすそれはの気を紛らわすのには最適だし、最近では何かと世話をやく姿を目にする気がする。あれは無意識なんだろうなぁと雷蔵は思う。そして竹谷と一緒にいるときのはよく笑っている。彼の性格とあの周りをも明るくさせるような笑顔は確実にを良い方向へと変えている。 それに比べて僕は――。 何かしてあげたいと思っても何も出来ていないような気がする。友人達と自分を比べるつもりも競うつもりもないが、こうして思い悩んでしまうと少しでも何かしてあげたいという結論に結びついてくる。 そして目前のカキツバタに目線を落とす。花は、贈り物としては一般的だろう。女性が貰って喜びそうなものだと思う。誰かに何かを贈るなど今まで経験したことないので躊躇するし、これを知られたとき三郎辺りに面白おかしく揶揄されそうだ。それでも、少しでもが喜んでくれそうなら。 雷蔵はそっと茎に触れ、活き活きと咲くカキツバタを手折る。懐から手拭いを取り出し、湧き水を探し当て水に浸す。しめらせた手拭いを広げ、手折ったカキツバタの茎の部分を包んだ。そうして力を込めすぎないよう気をつけながら大事に抱え込み、学園への道を走り出した。 「帰ってこないね・・・」 忍術学園の門の前。は竹箒をその手に持ちながら後ろを振り返って三郎を見上げた。塀の上に座っている三郎は胡坐をかき、頬杖をつきながら実習から戻ってくるだろう道の先をじっと眺めている。 「・・・いつも以上に遅いな。また悩んでるのか雷蔵は」 大丈夫かな。そう聞きそうになったは見上げた先の三郎の顔が呆れてこそいるものの心配はしていない様子だったので口にはしなかった。その代わりに、燃えるような緋色に染まった空を見上げポツリと呟く。 「もう陽が暮れちゃう」 「さん、そろそろ夕食の準備じゃないのか?」 「うん・・・そうなんだけど、」 門の前を掃除していたは一番に学園に戻ってきた三郎によって本日、五年ろ組が裏裏山で実習を行っているのだと知った。それから掃除をしながらも戻ってくるろ組の生徒達を出迎えていたのだ。こうなれば全員戻ってくるのを見届けたいと思ってしまうのは自然の流れだった。それにまだ到着していないのが自分にとてもよくしてくれる雷蔵だとなれば尚更に待っていたかった。 けれど、それだけの理由で夕食の準備をおばちゃん一人に任せていいのかといえばそんな筈もなく、は言葉を詰まらせる。一人で雷蔵を待つを気遣ってなのかその場に残ってくれた三郎のその言葉がタイムリミットだと言っているようだった。時間が過ぎていくのを感じながらチラチラとまだ来ないかと道の先を目を凝らして見つめるのだが、未だ人影は見えない。そろそろ諦めるべきかと思った矢先、まるでそれを待っていたように溜息が聞こえすぐ隣に三郎が着地した。 「雷蔵を待ちたいんだろ」 「そうだけど、でも三郎君が言った通り夕食の準備があるし」 「仕方ない。今回だけ私が代わりに引き受けてやろう。おばちゃんにも説明しておいてやる」 コツンと軽くの頭を叩き、三郎は言葉通り仕方のなさそうな顔をする。 「でも、こんな我儘みたいなこと言ってたら・・・」 「だから今回だけだ。他の生徒は出迎えて雷蔵だけ待っててやれなかったじゃさすがに可哀相だからな」 そう言うと三郎はひょいと塀を上って学園の敷地内の方へと消えていった。 「三郎君、ありがとう!」 聞こえているか分からないがは塀の向こう側に向かって叫んだ。 気付けば陽はどっぷり暮れていた。確実に実習の点数は悪いだろうなぁと少しだけ気にしながらようやく見えてきた忍術学園に雷蔵は少しだけ足を緩める。ここから全力疾走したところで点数には何ら変わりはないに違いない。それよりもと抱える花を潰さないように気をつけながら走る。校門を視界が捉えるくらいに近づいた時、雷蔵はそこに人の影があることに気付いた。小松田だろうかと始めは思った。当たり前のように思い浮かんだ人物に苦笑しながらも、それにしてもいくら小松田でも常に門の前に立っているわけではないと思い、じっと目を凝らす。夕陽に照らされ、赤く縁取られたその輪郭が見えるようになったところで雷蔵は驚きながらもその名前を呼んでいた。 「さん!?」 手に竹箒を抱えたままのが門の前に立っていた。雷蔵の声に反応したはその姿を見てほっとしたように笑う。雷蔵は咄嗟に持っていた花を自分の背へと隠した。 「おかえり雷蔵君」 「さん、どうして?」 「雷蔵君を待ってたんだよ」 「え?」 「ここで掃除するついでに実習から戻ってくるろ組の子達を出迎えていたの」 笑って説明するにだから手には竹箒か、と雷蔵は納得していた。それからふと夕陽に照らされたを見て気付く。 「でもさん今の時間帯は夕食の準備があるんじゃ・・・」 陽が落ち始める前にはは食堂の厨房にいるはずだ。事務や雑務よりもが優先すべきは食堂のおばちゃんの手伝いのはずだった。怪訝そうな雷蔵には苦笑する。 「そうなんだけど、三郎君が変わってくれて」 「三郎が?」 意外な名前が上がる。いや、意外でもないかと雷蔵はすぐに考え直す。三郎が意外と世話好きで気に入った相手に対しては面倒見が良いことを雷蔵はよく知っている。 「他の子も出迎えたんだから雷蔵君もちゃんと待っててやれって言ってくれたの」 はにこりと笑う。その笑みを見て友人に一本とられた気分だった。 「ところで雷蔵君、さっき何を隠したの?」 そうやってあっさりとを気遣ってやった三郎に対して自分がやろうとしていることが何故か滑稽に思えた。いっそ背に隠した花に気付かれぬままやり過ごそうとさえ考え始めていた矢先、の不思議そうな声に雷蔵はぎくりと身を強張らす。純粋な疑問を浮かべる瞳に誤魔化すことは出来ず、雷蔵は諦めて背に隠したその花を取り出す。 「・・・花?」 「はい。カキツバタって言うんですけど知ってますか?」 「うん。名前は聞いたことある気がする」 はきょとりとした瞳で花を覗き込む。しげしげと眺めてから雷蔵を見上げる。 「きれい・・・でもどうしたの?」 「実習の帰りに見つけたんです。さんに渡そうと思って」 「私に?」 驚き目を丸くするに雷蔵は笑ってその花を差し出した。 「そうです。はい、どうぞ」 はその花を受け取る。 「ありがとう」 少し照れたように笑う雷蔵につられてもその頬を僅かに紅潮させながら笑う。 当然だがは花などを贈ってもらうのははじめてだ。 「喜んでもらえましたか?」 「うん。だって、花なんて今まで貰ったことなんてないよ」 中学の卒業式に部活の後輩から貰ったことはあったがそれは除外だ。この場合、男の人に貰ったことはない、という意味合いでだった。がいた世界で、男の人から花を贈ってもらえることなんて早々ありはしないだろう。そう思うとこれはすごく貴重でとても幸せなことではないのかと思う。 「なるべく長持ちさせるようにしなくっちゃなぁ」 部屋に飾ろうか、それとも食堂のカウンターの隅に飾ろうかとは嬉々とした顔で悩む。その楽しそうな表情を見て雷蔵は渡してよかったと思う。この程度ではの為に何かしてあげたことにもならないだろうが、それでも実習の評価が落ちてもまぁいいかぁなと思うくらいに雷蔵は満足だった。
夕陽に溶け込む幸運
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