さん、どうかしましたか?」
くいと腕が引っ張られる感覚には自分が気付かぬうちに足を止めてしまっていたことに気付く。繋がれた右手、その先を辿れば気遣わしげに見上げてくる伊助の姿がある。
「疲れちゃいました?」
「ううん。・・・大丈夫」
すっと一つ息を吸って吐き出してから伊助に向けて笑ってみせる。火薬委員会の皆と町へと出掛けた帰り道。疲れていないといえば嘘になるがヘトヘトだというほどでもない。自分よりも年下である伊助が息一つ乱していないのに対して、若干息切れしかけているは情けなさを痛感しながらもあまり心配をかけたくはないと笑みを取り繕う。
「本当ですか?辛かったら言ってくださいね」
「うん。ありがとう伊助君」
ゆっくりと一歩を踏み出したにあわせるように伊助も歩き出す。

そんな達よりも少し前を歩いていた三郎次は後ろを歩く伊助達との距離が先ほどよりも開いたことに気付いた。
「久々知先輩。伊助とさんが遅れてますけど」
「ん?・・・ああ。今日一日歩きっぱなしだったからな。さすがにキツイか」
気になるのかちらちらと後ろの様子を気にする三郎次を眺め、気付かれぬよう笑ってから兵助も背後を振り返る。確かに、三郎次の言うとおり二人との距離は開いていた。の体力を気遣って遅めに歩いていたがそれでも配慮が足りなかったようだ。思えば学園を出てから辿り着いた町でも足を休める事もなく様々な店を物珍しそうに歩き回っていた。その時は楽しさの方が勝って疲れを感じなかったのだが帰り道になってどっと疲労が押し寄せてきたのだろう。伊助に心配かけまいと笑っているのが此処からでもよく分かる。さて、どうしようか。窺うように見上げてくる三郎次の視線を受けつつ兵助が思案に入ろうとすればにゅっと己の前に顔が現れた。
「うわっ!斉藤!!」
「兵助くーん、休憩にしようよー。もうちょっと行ったところに茶屋があったよね」
今日買い上げた品の大半を背に負ったタカ丸がヘナヘナと情けのない声をあげる。そのまま座り込んでしまいそうな勢いのタカ丸に兵助は呆れた視線を投げかけた。
「それお前が休みたいだけだろ。いっておくけどそれ自体は自業自得だぞ」
「だから半分持ちましょうかって言ったのに。タカ丸さん見栄張るから」
兵助に冷たく突き放され、三郎次に追い討ちをかけられる。
「いやーだってこういうところでちょっとでも挽回しようかなって思って」
「それでへばってたら意味ないだろ、全く」
同様息が切れ掛かっているタカ丸は兵助による鋭い指摘に「あははははー」と呑気に笑った。怒る気力も失せた兵助はタカ丸は無視して追いついてきた達を振り返った。

さん大丈夫ですか?」
「・・・うん、何とか」
兵助達に追いつき、肩で息をするはそれでも笑って答えた。兵助相手に通用するとは思えなかったがこれはもう一種の癖のようなものなのでしょうがない。しかしやはり隠しとおせるはずもなく、黒い瞳はすっと細められ仕方のなさそうに嘆息をもらした。
「もう少し行ったところに茶屋があったの覚えてますか?そこで一休みしましょう」
「・・・ごめんね」
「謝ることないですよ。疲れてるのは皆同じです」
そう言った兵助の視線はから隣の伊助に移る。びくりと肩を飛び跳ねさせ驚いた顔をする伊助に兵助は無言で平気か?と問いかける。がいる手前、疲れたと口には出来ないだろう伊助が思いのほか、体力を消耗していることはと横並びに歩いている時点で明白だった。まだ余裕があった時はの手を引くように少し前を歩いていて、その姿は見ていて微笑ましいものだったから気付けない筈がない。
「伊助、あとちょっとだから頼んだぞ」
「・・・はいっ!」
行きも、町中を歩き回っている時も伊助は大抵の隣を陣取っていた。慕っていることはもちろん、何かとこの世界には慣れないを少しでも支えたいと思うその気持ちは伊助の姿を見ていればひしひしと伝わってきた。だから、そのの前では頼りのない姿は見せられないのだろう。見栄を張っているのは伊助も同じ。なので兵助は敢えて伊助に任せることにして後ろを気にしながら歩き出した。




「美味しいねぇお団子」
三色並んだ団子を頬張りながらタカ丸がにこにこと笑う。タカ丸の隣に座る伊助が同じように口をもごもごとさせながら満面の笑みで頷く。和やかなその雰囲気に先ほどまでの疲れすら忘れてしまいそうになる。まだ陽が落ちるような時間でもなく、天気も良いので尚のこと過ぎる時間が穏やかに感じた。の隣で伊助とタカ丸が楽しそうに笑い合う中、逆隣では何やら真面目に委員会の事について話し合う三郎次と兵助の姿。その二つの温度差がおかしくては一人笑みを零す。口の中に入った団子を咀嚼し、ごくりと喉を通ったところで湯呑を手にして一口啜った。特に何をするわけでもなく、一人ぼんやりと座っていたは緑ばかりが広がるこの世界をゆっくりと眺めた。広がる澄んだ空の青さ、そよぐ風の心地よさ、その風が運んでくる草花の香り。こちらの世界に来て初めて気付いた自然の恵みに都会っ子のは物珍しさと懐かしさを覚える。幼い頃はよく遊びに行った父の実家の光景が頭の中に甦った。あの頃は気付けなかった自然が与えてくれるモノの大きさを今ようやく実感している。
きょろきょろと辺りを見渡していたは茶屋のすぐ横の草や野の花が生い茂る空間に目が止まった。そのままふらりと立ち上がってそちらへと歩き出す。三郎次と兵助の前を通ってふらふらと何処かへ行くものだから二人は会話を中断させた。
さん?」
三郎次の声に一度立ち止まったは振り返って手招きをする。それが兵助でなく、自分にも向けられているのだと知った三郎次は一瞬、行こうかどうか迷ってから立ち上がり仕方なさそうについていった。
しゃがみこんでじっと何かを見つめるを、追いかけてきた三郎次はすぐ横から覗き込んだ。
「何してるんですか?」
「ねぇ三郎次君。クローバーって知ってる?」
「は?・・・クローバーですか?」
「そう。シロツメクサっていう花の葉の名前なんだけど、普通葉の数は三枚から出来てるの」
ほら、とが長く伸びた茎をそっと持ち上げて三郎次に葉を見せる。確かに葉は三枚。それが一体どうしたと胡乱気にを見れば同じように自分を見上げた瞳と目が合った。嬉しそうに、そしてどこか懐かしそうにその瞳を細めて笑う。
「極稀にね、葉が四枚ついているものがあるの。それは本当に珍しくて、だから見つけることが出来たら幸運が訪れるって言われてるんだよ」
触れていた茎から手を離して、はまた別の茎をそっと持ち上げてその葉の枚数を確かめる。一つ、二つ、三つ。そうして残念そうに戻してやりながら、未だ立ったままの三郎次を見上げた。
「探してみない?」
何が嬉しいのか三郎次には分からないが、当のはにこにこと笑っている。三郎次がに初めて会って話したその頃が嘘のようなその笑みに戸惑いを覚えながら嫌とは言えなかった。相手が一年生だったら即答で断っていただろう。それが出来ないのはが年上だという事と、自分が属する火薬委員会とは他と比べると特別深い繋がりがあるから、だと思う。ただ有耶無耶とした感情をどう答えにしたらいいのか分からないのが本音だがあながち間違っていない気もするのだ。
「こんな沢山ある中から見つけるなんて無理だと思いますけど…」
そう言いつつもを真似するように三郎次もしゃがみ込む。そうして二人の四葉のクローバー探しが始まったのだった。


「あれ、さんは?」
それから間もなく、隣にがいないことに気付いた伊助が目を真ん丸にさせる。縁台には串だけが乗った皿と空の湯呑が置かれているだけ。
さんは向こうにいるぞ。三郎次もな」
慌てて探そうとする伊助に兵助が指を指してその居場所を伝える。兵助に言われて指の先を追えば確かにがいた。何故かその隣には三郎次も。
「あーほんとだねぇ。何してるのかなあの二人」
とても珍しい組み合わせである。三郎次とが仲が悪いと言うわけではなく、彼らが二人でいるというのを先ず見かけなかったなぁとタカ丸はその光景を眺めながら思う。三郎次がと会話する時は大抵伊助や兵助がその場にいるか他の二年生と一緒の場合が多いのだ。だからか、あの二人が一緒にいる光景に嬉しくなる。
「・・・・・・気になるか?」
縁台に座ったままの伊助は二人が何をしているのか気になるのだろう、うずうずと今にも飛び出して行きたそうだ。茶を啜りながらそれを横目で見ていた兵助がことり、と湯呑を置いて問いかける。大袈裟な反応をして見せた伊助はおずおず兵助を見上げて小さく頷く。その姿にふっと兵助は笑った。
「伊助、おいで。俺もちょっと気になるから一緒に聞きに行こうか」
「・・・は、はいっ!」
ぱぁと笑顔に変わって伊助が立ち上がる。先に歩き出した兵助に追いつくように小走りで駆けて行くその後ろ姿をタカ丸はにっこりと笑って見つめていた。けれどふと我に返って一人取り残されてしまったことに気付き、自分もと慌てて立ち上がり追いかけようとする。しかし店の店主がそんなタカ丸に気付き勘定を済ませてくれとせがまれる。泣く泣く自腹を切ったタカ丸は大分遅れを取りながら皆の元へと走り出した。


「これ、無理じゃないのか・・・」
視界に溢れるのは三つ葉ばかり。探し始めて少し経った頃にはうんざりとしてきた三郎次がポツリと独り言を呟く。隣のは飽きることもなくクローバー探しに夢中だった。何でそんなに夢中で探せるのか甚だ不思議でジーッとその姿を様子見ていれば不意にその顔がこちらに振り向く。思わぬ事態に驚きで若干身を引いた三郎次が見たのは満面の笑みとその手にあるクローバー。葉の数を見てぽかんとなった。その数全部で四枚。探していた四葉のクローバーと言う奴だ。
「ほんとに四枚ある・・・」
「三郎次君疑ってたでしょ?本当に四つ葉のクローバーなんてあるのかって」
くすくす笑って図星を突くものだから「うっ」と言葉に詰まる。確かに疑っていたことは否定できない。
「・・・それ、ほんとに幸運が訪れるんですか?」
「うーん、どうだろ。迷信かもしれないけど火の無い所に煙は立たないって言うし、信じてみても良いんじゃないかなぁ」
「・・・・・・ふーん」
親指と人差し指で茎を持ち、くるくると遊ぶを余所に"幸運"と言う言葉に思い浮かんだのは不運な事に巻き込まれる友人で。気休めにもならないかもしれないが、折角なので探してみてもいいかもしれない、と思う。
無言で四つ葉のクローバー探しを再開した三郎次をきょとんとした眼で見つめていたはその口元を緩めた。
さーん」
三郎次の四つ葉のクローバー探しを手伝おうとしたは伊助の声に導かれて顔を上げた。こちらに駆け寄ってくる伊助に、その後ろをのんびりとした歩調で歩く兵助。さらにその後ろから慌てたように走るタカ丸の姿が瞳に映った。
「こんなところで何しるんですかぁ?三郎次先輩まで一緒になって珍しい」
「何だよ、文句あるのか?」
「ないですけどぉ・・・・・・」
伊助のその言い方がどこか不満気だ。
「三郎次君に手伝ってもらって四つ葉のクローバーを探してたんだよ」
頬を膨らます伊助の頭を撫でながらが二人に割って入る。先ほどまでの顔は何処へやら不思議そうな顔で「四つ葉のクローバー?」と復唱する伊助に、は三郎次へ教えたように同じ事を説明する。の話を聞きながら次第に顔を輝かせていく伊助に何だその態度の違いは、と三郎次がむすっとしていると肩に手を置かれる。振り返ればいつの間にやら兵助が苦笑して立っていた。
「・・・先輩」
「あんま怒ってやるなよ。伊助は多分拗ねてたんだろう」
「は?拗ねてた?」
「ああ。さんをお前に独り占めされたと思ったんじゃないか」
「はぁ!?・・・独り占めって・・・・・・」
呆れ眼で三郎次は楽しそうに喋っている二人に視線を移す。独り占めも何も今日一日そのの隣をずっと陣取っていたのは他でもない伊助だろう。そう思った三郎次だが、そんなこと言おうものなら羨ましがっている等と誤解されそうだったので口にはしなかった。
さん・・・それって自分で見つけないと幸運は訪れないんですか?」
「んー…そんなこともないと思うけど。持っている本人の気持ち次第でもあると思うし。でもどうして?」
「乱太郎にあげたら少しは不運もなおるかなぁって思って」
「あー・・・乱太郎君ね。そうだねぇ、効果があるかは分からないけど伊助君のその気持ちだけでも乱太郎君は嬉しいと思うよ。・・・・・・探してみる?」
「はい!」
すぐ傍で聞こえてくるその会話に、三郎次は固まる。よりにもよってアホのは組と思考回路が同じだなんて・・・!そんな軽いショックを覚えている間にも伊助は四つ葉のクローバー探しを始める。
「三郎次は探さないのか?」
「・・・っ!探しますよっ!伊助よりも先に見つけてみせますから!!」
ぽんと再度兵助に肩を叩かれ、やけくそ半分で乱暴に言い放ち三郎次もまた四つ葉のクローバー探しを再開させた。

そんな三郎次に呆然となっていた兵助は暫し頭を働かせて、その理由に辿り着く。どんな内容であれ年下に負けるのは三郎次の矜持が許さないのだろう。今や夢中になって四つ葉のクローバー探しを始めてしまった二人には最早他ごとなど耳には入らないだろう。二人の邪魔にならぬようにとそっと兵助の方に寄ってきたの存在にも気づかない。
さん探さないんですか?」
「一応競争してるみたいだから手助けは無粋かなぁって。それに私はもう見つけちゃったから」
葉が四つあるクローバーを取り出して兵助へと見せる。なるほど、本当に葉の枚数が四枚だ。へぇ、と兵助は珍しそうにそれを見る。
「本当にあるものなんですね」
「確か五つ葉も二つ葉もあったよ。五つ葉は金銭面の幸運で、二つ葉は見つけると不幸になっちゃうんだったかなぁ」
「詳しいですね」
「小さい頃、よく探しててその時に教えてもらったの。うろ覚えなんだけどね」
父の実家があるその町で、女の子のがする遊びと言えばそんな内容だった。懐かしく温かい過去に僅かの間思いを馳せ、それから下級生二人を柔らかな眼差しで見つめる。
「でも伊助君も三郎次君も二つ葉のクローバーを見つけないといいけど」
「そうですね。二人とも不運委員会と呼ばれる保健委員会に所属している奴に上げるつもりみたいですし」
「やっぱり三郎次君は左近君の為に探してるんだね」
「多分そうだと思いますよ」
真っ直ぐで純粋な伊助と、捻くれていて素直じゃない三郎次。けれど二人とも友人思いの優しい子だ。友の為にと必死になって探すその姿はとても微笑ましい。兵助とは互いに顔を見合わせてひっそりと微笑んだ。

「(うーん・・・・・・ひょっとして俺って邪魔?)」
と兵助が居る、その少し後ろで立ち止まったタカ丸は何ともほのぼのとした空気が流れているその空間をじーっと見つめて自問自答した。拗ねている伊助の姿も、委員会ではテキパキとタカ丸に向けて指示をする年下とは思えない三郎次の歳相応らしい子供っぽさも、とても珍しくて見ていて微笑ましいのは確かだ。そして同時に、そんな下級生を見つめる兵助との様子もタカ丸から見れば十分に微笑ましかった。きっと互いに何も考えてはいないのだろうが二人の間に流れるのはなんとも温かく幸せそうな空気。そこに入っていくのはさすがに少し気が引ける。どうしよう、なんて少しの間頭を抱えたタカ丸だったがその顔はすぐに笑顔に変わる。あの場に混じれないのはちょっとだけ寂しいけど、こうしてここから見ているだけでも何だか自分まで幸せになれた気がしたのでまぁいいかと。




結局、あっという間に時間は過ぎていき、予想していた時刻になっても帰ってこないことを心配した半助が探しに来るまで四つ葉のクローバー探しは続けられた。しかしいくら探しても四葉のクローバーは見つけられず、何故かその変わりに見つかるのは二つ葉のクローバーばかりだったとか。




しあわせが通り過ぎたあと




霞さまへささげます。リクエストありがとうございました!