深々と降る粉雪はやがて世界を白に染め上げていく。さらさらとした細かい雪は少しずつ少しずつ降り積る。乾いた土を、枯れた木々を、民家の屋根を薄っすらと覆うその粉雪は息を切らしながら走る私にも同じように落ちてくる。頬を横切る風は身を切るように冷たく、口から零れる息は白く色付いて空気へと溶けていく。幼い頃によく通った道を全力疾走で駆け抜ける私をバサバサと上空を飛んでいく見知らぬ鳥が笑っているかのようにその鳴き声を辺りへと響かせる。

『兵助君、帰ってきてるんだって』

町の市から戻ってきた母が私に開口一番告げたのは全く予想もしていなかった事実だった。あまりのことに私は何を言っているのだとばかりに訝しい視線を母に向けていた。私のその視線をけろりと流した母は情報源は他でもない兵助の母親だと私にいう。昨日着いたばかりだと続けざまに語る母は暫く見ていないご近所の子供を思い浮かべているのか既に私など眼中にはないようだった。私はまさか、と思いながらも情報の提供者がおばさんなら間違いはないのだと知り、そのまま家を飛び出した。母の、私を呼ぶ声が聞こえたけれどそれどころじゃなかった。
少し遠くにあるという忍術学園に入学した兵助は長期休暇の度に帰郷はしていたけれど、雪が舞うこの時期、冬休みだけは学園で過ごしていた。春休みも、夏休みも、秋休みだってちゃんと帰ってくる兵助が冬の休みだけ帰ってこないことが不思議で昔どうしてなのかと聞いたことがあった。兵助は私なんかよりもずっと大きな瞳をこちらに向けて、答えてくれた。冬休みは他の休みよりも休暇の期間がずっと短いからだと。数日かけて帰ってきても落ち着く間もなくまた学園へととんぼ返りしなけばならないから帰らないことにしたのだと教えてくれた。私と兵助が生まれ育ったこの町から忍術学園というところまで一体どれほどの距離があるのか知らないけれど、兵助の答えは道理にかなっている気がして何もいえなかった。
冬休みは帰らないといっていた、その兵助が帰ってきている。私は走らずにはいられなかった。呼吸を繰り返す肺が苦しくてたまらなかったけれど、私が走るこの道の先にある家に今兵助がいるのだと思えばその程度どうってことない。
会って、言わなくちゃいけないことがあった。それから伝えたいこともある。本当は文にしたためて送るはずだったのに、いざ書こうとなると筆を持つ腕はたちまち鈍くなり、書き始めてはくしゃりと丸めて捨ててしまうばかりで結局一枚も書き上げることは出来なかったのだ。
行く先をひたと見据えて走り続ける私は少し先に人影を見つけた。人影というよりはその人がさす赤い傘だけが私の目に映っていた。薄っすらと白く染まった景色の中でその赤はとてもよく栄える。私が今走っているこの道は所謂裏道というもので町の人は滅多に使わない。珍しいなぁと思ううちにも距離は近づき、私の足音を聞きつけたのか赤い傘が少し後ろへと傾く。あらわになったその顔を見て私は息が苦しいのも忘れて声をあげていた。

「兵助っ!」

足は自然とゆるみ、やがては立ち止まる。
驚く私を余所に平然と私の前で立ち止まった兵助はふっと白い息を落としながら笑った。

「久しぶり」
「・・・久、し・・・ぶり・・・・・・」

息が整わない私の言葉は切れ切れで、それでも兵助には伝わったようだった。

「雪降ってるのに、どこに行くつもりだったの?」
「それはこっちの台詞だ。傘もささずに・・・しかも走って」

今までずっと走っていたおかげで体は寒いとそれほど感じなかったのに急に立ち止まったことで冷えた空気に体はぶるりと震える。ほらみろとばかりに兵助の視線が突き刺さる。そうして兵助がさしていた赤い傘は彼の手から私の手へと渡された。傘を握るその場所にまだ兵助の手のぬくもりが残っていて温かい。

「それで、どこに行くつもりだったんだ?」
「・・・兵助が帰ってきてるって聞いたから」
「俺に?」
「うん」
「そうか。じゃあちょうどよかったんだな」
「うん?」
「俺も今からお前ん家向かうところだったんだ」

真綿のように柔らかい雪が兵助の黒い髪に落ちていくのを見つめる。兵助だって寒いはずなのにそんな様子をちらとも見せないのは忍として成長してしまったからなのか。だとしたら少し寂しいと思う。昔は寒い寒いと馬鹿みたいに騒ぎながら身を寄せ合って暖をとっていたのに。・・・この年でそんな無邪気なことはもう出来ないだろうけど。感情を操作することを覚えてしまったことが、それを私にたいしても使ってしまうことが、兵助がどんどん離れてしまうような気がして、さみしい。

「・・・あのね、兵助」

でも私だって同じだ。昔のように純粋ではいられないし、成長してしまった分だけ現実を見るようになってしまった。忍になる道を兵助が選んだように私にも未来の、これから進む道がまるで準備されていたかのように目の前に訪れてしまった。
赤い傘に残る微かなぬくもりに縋りながら、兵助を見ることは出来ず爪先を見つめる。

「私、今度お見合いするの」

何度も何度も筆をとって書こうとして出来なかったことは思いの他するりとこの口から零れた。兵助を見て諦めの気持ちが強まってしまったからだろうか。どれだけ望まない道でもそれを避けることは不可能だと兵助と再会することで感じてしまった。嫌だ、なんて駄々をこねることは無理だった。誓った相手がいるのならまだしも、これは私の一方的な思いであるから。だから本当は兵助には全く関係のない話なんだけど、言わずにはいられなかったのはやはり私が彼を想っているからだろう。気持ちを伝える勇気なんてないのに、私はとことんずるい。

「知ってたよ。昨日聞いた」

揺るぎない、強く凛とした声が俯いていた私の視線を引き寄せる。ゆっくりと見上げた先の兵助の眼差しの真摯さに目を瞠った。

「見合いは、この歳になればしょうがないかもしれないけど・・・でも、」
「兵助?」
「一年。あと一年だけ待ってくれないか」

傾いだ赤い傘が力の抜けた掌からするりと抜けて落ちていく。
空いた手を引っ張られてそのまま抱きしめられる。

「来年の春迎えに来るよ。だから、頼むから、それまで此処にいてくれ」

夢なのかと思う。だって都合が良すぎるから。でも兵助の肩越しに見えるその景色の中に私と彼の影が映っているのを見つけて私はここが現実の世界なのだと知る。薄っすら積もった白い地面に色を落とすその影をじっと見つめながら私はこくこくと頷き返すことで精一杯だった。





冬に影を恋う//久々知