およそ穏やかとはいえない風が私と雷蔵の間を吹き抜けていく。豊かに育った稲穂がざわざわと揺れる様をじっと見つめる雷蔵の横顔を眺めていた私は聞こえないように静かに息を吐き出した。明日には黄金色に染まっているこの畑もすっかり寂しくなってしまうのだろう。収穫の時期なのだからしょうがないし、生きていく上での貴重な食糧になるのだから私の気持ち一つでそれを阻むわけにはいかない。それでも何もなくなってしまった寒々しい畑を想像してしまえば自然と気分は落ちるのだった。

「どうしたの?」

吐き出した溜息は風が掻き消してくれたはずだった。それなのに何か気付いたようにこちらを見た雷蔵に変なところで鋭いんだからと言いたくなった。これが、雷蔵が忍術学園と言う場所で得たものの一つなのだろうか。なんでもないと首を振ろうとするその前に、すいっと雷蔵の顔が近づいて私を覗き込む。ごまかしは通用しないよとでも言われているようで私はそんな瞳から視線を逸らした。

「雷蔵の、友達は・・・変わった人ばかりだったね」
「え?・・・ああ、うん。五月蝿かったよね、ごめん」
「ううん。皆良い人達だったよ」

数日前までこの村に滞在していた雷蔵の友人だという三人の姿を私は思い浮かべる。たまたま用事があって雷蔵の家を訪れた私が見たのは雷蔵と瓜二つの顔を持った人。思わず雷蔵?と呼びかけそうになって何か違和感を感じて不審気に見上げていれば慌てたように本物の雷蔵が顔を見せた。彼は鉢屋三郎と言って変装の達人で普段から雷蔵の顔を借りて過ごしているらしい。説明してくれる雷蔵はそれからもう二人、竹谷八左ヱ門と久々知兵助という友人も紹介してくれた。性格もてんでばらばらでそれなのに気が合うようで何かと息もぴったりだった。少し見ていただけで分かる。よほど仲が良いのだろう。自分の故郷にまで招くのは相当だと思う。
気さくで、優しくて、面白い人達だった。それは僅か数日ばかり時間をともに過ごしただけの私にもよく分かる。でも、少しだけつまらないと思ってしまったことは黙っておこうと私は唇を強く引き結ぶ。そうして立ち止まったままの雷蔵を置いてゆっくり歩き出す。私を呼ぶ声がごう、と吹く風の音の合間をぬって聞こえてきたけれど気付かぬふりをして真っ直ぐ続く道の先にある茜色に染まった空を見つめた。やさしい、とても優しい色のそれは山々までをもすっぽりと包み込み、暖かみの帯びた世界を作り出す。もう一度、今度はさっきよりも強く私の名を呼ぶ声がすぐそばで聞こえる。同時に掴まれた手首からは雷蔵のやさしい温もりが伝わってきて私は足を止めずにはいられなかった。

「・・・雷蔵」
「急に黙り込んでどうかしたの?」

振り返った私に雷蔵は困った顔を隠さずに見つめる。私の背後に広がる優しい色とは反対に雷蔵の後ろに構えるのは濃藍色で今にも迫ってきそうだった。夜の色が少しずつ侵食していくようすは、そのまま雷蔵までも連れていってしまいそうで私は逆に彼の腕を掴んだ。

「ねぇ雷蔵、まだ・・・あと数日はここにいられるんだよね?」

風に揺らされる稲穂の音が聞こえなくなる、その頃に雷蔵は行ってしまう。遠く離れた忍術学園と言う忍になるための学び舎に。雷蔵が帰省した頃はあたり一面、どの田畑も豊かに育った稲穂がさらさらと音を立ててそのたくましく育った姿を誇らしげに見せつけていたのに。日が経てば収穫が進み、残すところはあとわずか。さきほど、雷蔵と一緒に眺めたあの稲が刈りとられる、その時には私の隣には雷蔵はもういないのだ。

「うーん、そうだなぁ。学園までの距離を考えるとあと二日程かな」
「二日・・・」
「それがどうかした?」

もう片方の腕も掴まえて縋るように見上げる私を雷蔵は嫌な顔一つ見せず、その柔らかな眼差しでたずねる。雷蔵は不思議、そうやって彼に問われれば私は隠し事なんて何一つ出来やしないのだから。

「だって、短すぎる」

一日、一刻だって私にすればとても貴重な時間なのに。休みの大半を雷蔵の親しい友人達に取られてしまってさみしい。彼らは学園に戻ってからも雷蔵を占有できるのに、なんて思う私は心の底から彼らを歓迎できていなかった。今になってそれを悔いているのだけれど、きっと歓迎はできても同じように嫉妬してしまうことはまちがいなかった。
瞠目する雷蔵の顔をひたと見つめる私にすべてを悟ってしまったのかと思うようなはにかんだ笑顔が向けられる。ぎゅ、と彼の袖を掴む私の腕をそっと解いて自由になった手で雷蔵は私の頭を撫でた。風で乱れた髪を梳かすように撫でるその手がいとおしくて涙腺がしずかに緩むのを感じた。三郎達を呼んだこと怒ってる、と合間に問いかける声に小さく振った首の振動で涙が一粒落ちていった。

「僕の故郷に来るって言い出したのは三郎達なんだけどさ、でもね、嫌じゃなかったんだ」

彼らは僕にとっては大事な友人で、あの学園で得た何よりも大切なものだと雷蔵は言う。ああ、素敵だなと思う。そうやって雷蔵に言ってもらえた彼らは幸せで、同じように彼らも雷蔵のことを欠くことの出来ない友人だと思っているのだろう。なんだかそれは、とても羨ましかった。
目線が下がっていきそうになるなか、知って欲しかったんだよ、雷蔵は続けてそう言うから私はく、と堪えた。

「君達と同じくらい大切な子がいるってことをね、彼らに知ってもらいたかったんだ」

私を見つめる雷蔵のまなざしが一層やさしく、あたたかくなった気がした。

「同時に彼らが僕にとってはかけがえのない友人だって紹介したかったんだ」

少し照れくさそうな笑顔と、薄く色付いた頬に私はこの瞬間の幸せを噛み締めた。紛れもない、私へと向けられた言葉がふわりふわりと頭の中を何度も駆け巡る。きっと私の頬は雷蔵に負けず劣らず色付いてしまっているのだろう。秋を連れて行く風のその冷たさが熱の篭り始めた顔には丁度よかった。

「でも寂しい思いをさせちゃったのなら謝るよ」

ごめんね、と首を傾げて私を覗き込むようすにぶんぶん自己主張するように振った首は私の意思を伝えてくれているだろうか。

「あのね、雷蔵」
「なに?」
「次の休みはもっと一緒の時間を作ってね。約束よ」

差し出した小指にきょとんと目を瞬かせてから小さく笑った雷蔵は音もなく私の小指に自分の小指を絡ませた。ゆーびきーりげんまん、と幼い頃のように唄ったその声は、間もなく秋を攫っていくだろう風に飲み込まれていった。





秋を喰らう風と//不破雷蔵