「……寝てるよ」

そんな呟きにもピクリとも反応を示さない。静かに上下する肩、近づけば聞こえてくる穏やかな寝息。音を立てないように隣の椅子を引いて腰を下ろす。テーブルの上で組んだ腕に頭を預けて、ベーシュのカーディガンが頬に当たっていてこそばゆそう。帰り際、先生に呼ばれた私に図書室で時間を潰してるとひらひらと手を振りながら去っていった後姿が脳裏によみがえる。ブン太と図書室なんて異色な組み合わせで意外だと思ったけれど、でも違和感を感じられなかった。真面目に本なんて読んでいる姿が見られたら面白いなぁ、なんて用事を済ませて向かう途中に思ってみたりしたけれどそれ以前だったね。やっぱり読むのは好きじゃないのかな。あ、でも得意科目は国語だからもしかしたらもしかするかもしれない。

彼と同じように腕を組んでその上に頭を落ち着かせる。顔の向きだけしっかりお隣の様子を見逃さないように固定して、滅多に見れない寝顔を拝見させてもらう。午後の緩やかな日の光を吸い込んだ赤い髪はいっそう輝いて見える。柔らかい髪は春の穏やかな日差しや真夏の炎天下の下でテニスをしている割に痛んだ気配が見られなくて羨ましい。落ちた瞼の先の睫は一本一本が細くて長く綺麗にカールされている。いつもは口許を覆い隠してしまう風船ガムはさすがに今は噛んでいないらしくどことなく寂しそうにもみえて笑ってしまった。

今日は珍しくブン太の部活が休みだった。久しぶりにどこか出かけようか、それとものんびりしようか提案も何もしていなかった。それならいっそここでいつもよりもずっとゆったりとした時間を過ごすのだって悪くないかもしれない。起きる気配が見られないのは彼も気付かぬところで疲労が蓄積されている証なんだろう。私の為に時間をくれることは彼女としてはきっとどんなプレゼントよりも嬉しい瞬間だと思うけれど無理をしてほしくはないと思うことだって私の本音だ。

組んでいた腕をそっと解いて、そっとブン太の前髪に触れてみる。いつもなら少し大きくなブン太のその掌が私のサイドの髪を梳かす。そしてついでとばかりに頬を触れていく。くすぐったくて気恥ずかしくなるけれどその瞬間がすごく好き。同じことを相手にするのはどんな気持ちなんだろうと、単なる好奇心だったけれど驚くほどに心音が高鳴ってそわそわしてしまう。ああ、こんなにも恥ずかしいだなんて。でも悪くはない。ブン太も同じ気持ちなのだろうか、そう思った矢先にがしっと私の腕はいとも簡単に捕まえられる。

「顔がめちゃくちゃ緩んでるんですけど?」

鼓動が早くなる。嘘がバレてしまったときと同じような気分。閉じられていた瞼はぱっちり開かれていて私を映していた。寝起きにしてはいつもと変わらない声にまさか、なんて思いが過ぎればブン太の笑みが深まった気がした。

「ひょとして起きてた?」
「ばっちりな」
「……最悪」

余計なことを口走らなかったのがせめてもも救いか。ニヤニヤと笑うブン太は私を拘束する腕とは逆の手をポケットに突っ込んでガムを取り出す。けど何を思ったのかすぐにそれを収めてしまう。首を傾げて見つめるしかない私に強気な視線が注がれる。掴まれていた腕は外され、空いた手は私のサイドの髪を一房掴んだ。

「やる側とやられる側じゃ大分違うよな」
「なにそれ」
「なんつーかむずむずするっつーか、くすぐったいつーか」
「……でも、嫌じゃない?」
「まぁ確かに」

ブン太の指と指の隙間から髪が零れていく。ブン太の髪とくらべれば痛んでいるのは目に見えて分かるから一瞬しかめっ面になってしまうけれどそれすら熟知しているブン太はそっと唇を耳元に寄せて「」私の名前を紡ぐ。一々反応してしまう私に小さく笑いを零しながら指先はそっと頬を撫でていくから熱は一気に集中してしまう。恥ずかしい。それでもこの瞬間だけはやっぱり好きだなぁって思ってしまう。ゆっくり近づいてきた唇に目を伏せた。何だか、すごく幸せだ。同じことを相手も思ってくれているだけでこんなにも満たされた気持ちになる。







2008/04/20  (「たまには図書室でデートも悪くないか」