滞りなく過ぎていった入学式は長い祝辞を聞いているだけで眠気に襲われ何度うとうとしかけたか分からない。来賓の祝辞も校長先生の挨拶も似たような内容ばかりで面白みの欠片もない。ほとんどの生徒が退屈な時間を過ごしたに違いない。教室へと移動を始める生徒の波は流れるように続く。私はそれに逆らって座っていた。同じクラスだからか、席の近かった三郎もまたそうしていたから。くるりと振り返った眸は私がそこに居ることを知っていたように捉える。

「三郎の所為で、悪目立ちした」
「これでお互いさまだろ」

式には滑り込みで間に合ったが、体育館に入った時にはほとんどの生徒が席に着いていて、私たちは否応なしに視線を浴びることになった。

「同じクラスって言ったけどほんと?」
「B組の欄に載っていたがお前なら一緒だ」
「それは確かに私の名前ね」

同姓同名なんて生徒数が多いこの学校でも早々居ないと思うから間違いはないはず。それじゃあやっぱり三郎と同じクラスか。忍たまとくのたまが一緒に授業を受けることは実習以外ではありえなかった。同じ空間に机を並べて勉強するのは初めてのことだ。些細なことだけど、私という人間を分かってくれている人が同じ教室にいることは純粋に嬉しい。

「しまりのない顔してるぞ」
「だって、嬉しいだもん」
「お前そんな単純な奴だったか?」
「素直って言ってほしいわね」

売り言葉に買い言葉。三郎との会話はいつもこんな感じだった。
そのやり取りすらも楽しくてどうしても頬が緩むのを抑えることができなかった。

「三郎!」

三郎が私の後方へと視線を向けたのと、その声が聞こえたのはほぼ同時だったように思う。
少し高めのそれは女性特有のもので、私は声に引かれるように後ろを振り返る。

雷蔵が、そこに居た。

眉をハの字にさせる表情はあの頃、よく見かけたものと同じ。
それなのに。

それは昔と同じように高い位置で結われた髪。肩よりも少し長めのそれは歩くのに合わせてふわふわと揺れる。現代の男では絶対にあり得ないその長さ。それから、あの頃よりも柔らかい、ふくよかと言うといいすぎだろうけど丸みを帯びた肢体。薄く色づいた血色のいい頬にふっくらとした唇とぱちりとした眸。極めつけは、制服の上からでも分かるほどの胸の膨らみと、ひらひらと翻るスカート。

女の子となった雷蔵がそこには居た。

私は瞬きをすることも忘れてじっと彼・・・彼女を見つめるしかない。頭の中は真っ白、いやこんがらがっていた。あれは女装しているの。でも何で?そもそもあの胸は作り物に見えないし。
当惑する私を余所に三郎のところへ辿り着いた彼女は、きりりと眉を吊り上げる。
あ、怒っている表情もあの頃と変わらない。

「遅れるなって言ったのに、式ギリギリだったじゃないか!何のために忠告したと思ってるの」

彼女の一言で、三郎が何故あんなにも焦っていたのかが分かった気がした。
入学式前に三郎へと送られてきたメールの送り主は彼女に違いない。

「悪かった、ちょっと道に迷ってたんだよ」
「はぁ、しょうがないなぁ。それにもう皆移動を始めてるのに一体何してるのって・・・あれ?」

きょとんとした眸が私に気付いて向けられた。
小さく首を傾げる姿は可愛らしく、なのにどうしてか緊張が強いられた。

「三郎と一緒に遅れてきた子だよね?」

にこりと微笑んで問いかける表情はあの頃よりもずっと柔らかで優しい。なのに、笑い返すことが出来なかった。つ、と冷たい何かが背中を走ったような気分。口が上手く回らない。何か返事をしないといけないのに、薄く開いた唇は呼吸を繰り返すばかりだった。 三郎との再会の時とはまた違う涙が零れそうで、今度は必死に耐えた。

「その辺うろついていたから連れてきたんだよ」

私の状況を察して上手くフォローしてくれた三郎には感謝した。
そっと三郎へと配った視線は見事にかちあい、私は察してしまった。

「そうなんだ。ふーん、三郎がねぇ」
「何だよ」
「別に、何でもないよ。 えっと、間に合ってよかったね」

私を見つめてにこにこと微笑む目の前の女の子。
彼女は、雷蔵は、何も覚えていないのだと。







「・・・・・・女の子、かぁ」

窓際の席の前後を陣取りながらざわついた教室内で呟く。
担任の教師が訪れるまでの僅かな時間。生徒達の交流の時間。既に幾つかのグループが出来始めているのは女の子も男の子も変わらない。集まって自己紹介し、盛り上がるクラスメイト達の姿に悪くはないクラスだと感じながらも、あの輪の中に入っていくことは多分少ないと思った。

「いつから一緒に?」
「物心ついた頃には一緒だったな」
「・・・そう」

彼女の名前は不破雷花という。
三郎とは従姉弟同士。親が双子だから顔立ちもよく似ているらしい。昔も今も仲の良い母親達のおかげで幼いころからずっと一緒で腐れ縁なのだと彼女は笑っていた。
二つほど離れた教室の前で別れた時に手を振る彼女はあの頃の雷蔵と何も変わらないような気がするのに。さん、と呼ばれた事にちくりと胸が痛みを覚えた。彼女に苗字で呼ばれる違和感に下の名前で呼ぶようにお願いしたけれど、逆に彼女のことも名前で呼ぶことが交換条件となってしまった。
正直言って間違えずに彼女の名前を呼ぶ自信がない。

「それにしても従姉弟って不思議な縁と言うのか執念と言うべきか」
「どういう意味だよ、執念って」
「気にしないで独り言。でも・・・少し、寂しいね」

にこりと笑う無邪気な笑顔は、何だか少し眩しかった。
不破雷蔵ではない、不破雷花としてこれまでを生きてきた彼女に雷蔵と言う人間を押しつけることは、出来ない。彼女の記憶もその心も決して縛れない。今の彼女こそが本来の、正しい姿だ。記憶を持っている私や三郎の方が特異なことは明々白々。
でも、どうして覚えていないの。そんな思いも当然のように過る。だって私は覚えているのに。三郎だって・・・。捻くれた感情が喉元まで這いあがって、酷いことを言ってしまいそうだった。逸早く察してくれた三郎のおかげで事無きを得たけれど、そうでなかったら私は出会って間もない彼女との間に大きな溝を作っていたに違いない。

「・・・別に。もう、慣れたさ」
「・・・・・・・・・」

幼いころからずっと一緒だったという三郎は私よりもずっとそんな事を考え、葛藤していたのかもしれない。飄々とした態度は内側に潜むものを隠すため。彼は弱みなど絶対に晒さない。他人に自分の情けない姿を見せることを特に嫌う奴だったから。
彼女もそんな三郎の性格は分かっているかもしれないけれど、何がそうさせているのかは気付いてないだろう。言えるわけない。相手が雷蔵なら三郎は尚の事ひた隠しにするに決まっている。

楽じゃないなぁ。三郎の生き方を見ているとよくそう思う。
でも、生き方を変えることも出来ないのは私も同じ。
だから、だからね

「ねぇ三郎、またこうやって会えてよかった」

何でも器用にこなすくせにある意味不器用なこの友人とここで再会出来て本当によかった。
私はきっと三郎の本質を見抜くことは出来ても、要因を取り除いてあげることは出来ない。しようとも思わない。それが出来る人間は限られていて、きっと私はそこに組み込まれていない。でも、同じ境遇の人がいるというのはそれだけで心強く、安心できる。私にとって千鶴先輩がそうであったように。私も三郎にとってそうであれたらいい。
なんて、少しおこがましいかしら。

目をまん丸に見開いた三郎の顔は傑作で、私は声をあげて笑った。
呆けた顔はやがて薄らと赤くなり照れているのが分かる。

、お前あとで覚えとけよ」
「もう忘れたわ。それより、三郎は?そう思ってくれないの?」

本心を言っただけなのに。からかわれている様に捉えるのは三郎がそういう反応をしてしまったからでしょうに。それに乗っかる私も悪いのだけど、くのたまとして過ごした時の名残か、こういうのは嫌いじゃない。同級生や先輩方と比べたら可愛いものだろう。
それにいつまでも湿っぽい雰囲気なんて似合わないじゃない。

「三郎ー?」
「あーはいはい。俺もとまた会えてよかったと思ってますよ」

投げやりな口調。でも、それはきっと本心。
素直じゃないなぁ。そんな言葉は心の中だけにしておいた。





2010/09/13