桜の咲き乱れる街道をゆったりと歩く。ひらひら舞う花弁を視線で追いながら新調したローファーの慣れない履き心地に時折足を止める。別に中学から使っているものでも構わないと言ったのに。お母さんに押し通され仕方なく履いてきたけれど、やはり履き慣れていたものの方が落ち着く気がする。入学式だからと気を遣ってくれたのだと思う。有難いけれど、お母さんが思うよりもこの入学式を重要とは捉えていない私にしてみれば気にするほどのことでもなかった。 今日をもって高校生になるのだけど、逸る気持ちもなければ緊張も不安もない。立海大付属中に通っていた私はそのまま高等部に上がるだけでこれまでの生活と大した変化はない。校舎が違うことと、外部からの生徒が増える程度。新しい生活に胸を躍らせるようなそんなこともなく、これから毎日歩くことになるだろう道を眺めながら学校へ向かう。ちらほら見かける同じ新入生らしき生徒達の落ち着いた様子を見れば同じ持ちあがり組だと分かる。外部からの受験組は顔が強張っていたり、肩に力が入っていたりと分かりやすい。 そんな観察を続けているうちに学校が見えてきた。自宅からは電車で15分、そこから徒歩10分弱。 通学にしては悪くはない距離。むしろ近い部類に入る。 校門を抜けたところで携帯がブレザーのポケットの中で震えた。校庭の端っこへと移動しながら携帯を取り出して開いてみれば東京に住むハトコからだった。彼女も私と同じように今日、晴れて高校生になる。 松前千鶴という名の彼女とは同じ年齢だけど、昔、遠い昔のあの頃は私より一つ年齢が上だった。あの頃とは室町時代も末期のこと。人里からは離れたとある山奥に忍を育てる学園が存在した。忍術学園と呼ばれたその場所で行儀見習いとしてくのいち教室に在籍していた私の、一つ上の学年に彼女はいた。私にとっては先輩にあたる人。 千鶴先輩は私と同じ、嘗ての記憶を持っている。先天的なこの記憶の所為で苦悶な幼いころを過ごしてきたけれど、先輩との再会が幼すぎて嘗ての記憶を抱えるには不安定すぎた私の精神の支えとなった。 とは言っても千鶴先輩が昔のことを思い出したのは中学に上がる頃のこと。出会った頃はまだ何も覚えていなかった。ショックは大きかったけれど、同じくらいに私の持つこの記憶は現実にあったことなんだと先輩の存在が証明してくれたことへの安心感も強かった。 私の良き理解者。大切な先輩で・・・友人。 今でこそ同じ年齢だけど昔の記憶があるから、どうしても先輩だとういう意識は抜けきれないし、そうやって接してしまう部分がある。そんな私に昔を思い出した千鶴先輩は気にしなくていいと笑って言ってくれた。けれど、人間性格をそう簡単に変えれるわけはなく、二人の時以外はちづちゃんと呼ぶことで了承してもらっている。 そんな千鶴先輩からのメールは高校入学のお祝いの言葉から始まり、これから通う学校の感想が写メと共に簡潔に書かれていた。思わずくすりと笑ってしまう。返事を急いでいる感じではなかったから私は一旦そのメールを閉じた。顔を上げれば少し離れた先の掲示板に新入生達が集まりちょっとした人だかりが出来ている。多分クラス分けの表が貼られているのだろう。あれはちゃんと見ておかないと困ることになる。もちろん困るのは私。あの中に入っていくことは少々気が引けるけれどしょうがないかと向かう。 立海大は生徒数が多い。ずらりと並べられた表の中から自分の名前を探し出すだけでも大変な作業になる。だから中々にこの掲示板前の混雑具合も収まらない。人だかりの一番後ろに到着したけれど問題の掲示板からはかなり遠い。つま先立ちして首をうんと伸ばしても、身長がそう高いわけではない私の背では下から半分ほどは見えない。視力は良いのにこれじゃ意味がない。落胆の溜息をついた。人が減るのを待つべきとも思うけれどそうしたら入学式に間に合わなくなってしまうかもしれない。多くの生徒達が席に着いている中で席を探すのはどうしても視線を浴びることになるから嫌だなぁと思う。 どうしようかな。 顎に人差し指を置きながら考えていた時だった。 「―――?」 囁きにも似たその小さな声を偶然か、私の耳は拾い上げた。 ざわついた掲示板の前でどうしてそれを聞きとれたのかと思うよりも身体が先に動く。 振り向いた方向は無意識だったと思う。あの頃よりも衰えた勘はそれでも間違ってはいなかった。 「・・・・・・・・・三郎・・・・・?」 唇から零れた名前は、嘗ての友人の名。 その顔は不破雷蔵と瓜二つなのに、親しい友人達にはその違いを見破られてしまっていた変装の名人。千の顔を持つ男・天才などと称され続けていた鉢屋三郎が、そこに居た。 あの頃よりもずっと短くなった髪は彼本来のサラサラストレートだという黒髪ではなく、雷蔵に扮した時と同じ、柔らかい髪質と色合い。一見、雷蔵に見えるその顔はそれでも三郎だと強い確信を持てた。 絡みあった視線からして、私の名を呼んだのは間違いなく彼。 私の呟きを同じように拾い上げたのか彼の唇がカーブを描く。 ああ、ほらね。やっぱり三郎じゃない。 だって、雷蔵はそんな笑い方しないもの。 私の名前を口にして、そして私が呼んだ名前に怪訝な顔をすることなく笑って見せた三郎は、きっと私と同じ。そうでなきゃ説明がつかない。 千鶴先輩以外、会うことのなかった仲間。 あのころを共有できる人。 どうしようもなく込み上がってくる感情を抑え込むことも出来ず、私は溢れ出す涙をそのままにした。 「お前、ふつうあんな場所で泣くか?おかげで変に目立っただろうが」 「だって、止まらなかったんだからしょうがないじゃない」 「ぐしゃぐしゃの顔して笑ってた奴がよく言う」 場所は移動して校庭の隅っこ。 泣きだした私の腕を掴んで慌てて移動した三郎の顔が少しだけおかしくて笑ってしまったことが気に食わなかったのだろう。ようやく落ち着いてきて涙も止まった私に文句を言うけれど、仕方ないじゃない。感情のセーブの仕方は昔よりも鈍っている。それに不意打ちすぎだった。 「・・・三郎、覚えてるのね」 「ああ、はっきりと。お前が卒業の時、俺たちに何も言わず去ったこととか」 「う・・・あれは、その・・・・・・ごめんなさい」 再会早々嫌なところを突いてくる男だ。 「別に。勘右衛門から理由は聞いたし、ある程度の予測はしていたが―――」 「・・・なに?」 「いや、何でもない」 何か言いたげな眼差しだった気もするけど、深く追求したところで伝える気はないだろう。 だから私も気にしないことにした。 「ねえ三郎は他に、」 「あーちょっと待て、メールだ」 左手で私の言葉を中断させ、逆の手で携帯を取り出す。 私が千鶴先輩と出会ったように、三郎も誰かと出会っていたりはしないのか、聞きたかったのに。そこに含んだ微かな期待にひっそりと息をついた。そんな都合の良いこと、物語でもなければ決してあり得はしないと分かっているのに。考えることをやめられない自分には呆れつつもきっと無理だろうなと楽観的になって諦めている部分もあった。千鶴先輩と出会ってしまったその日から、私は小さくも可能性というものを持ってしまった。そして今日、それは私の中で膨れ上がっていこうとしている。 携帯を開いてメールを見ているだろう三郎のようすを眺めていると、ふと彼の目の色が変わった。 その眸が急に私へと向けられる。 「ヤバい、入学式が始まる。体育館に急ぐぞ」 「え!嘘、もうそんな時間?!」 時間を確かめる間もなく先に駆けだした三郎を慌てて追う。追いかけながら珍しいなと考えた。三郎なら入学式くらい遅刻してもサボっても全然気にしない性格だと思っていたのに。少し、変わったのだろうか。そうだとしたら少しさみしい。前を行く背中を見つめながらほんのりとしんみり感を漂わせていたけれど、ふとあることに気づいてそれは飛んで行った。 「私、クラス分け見てない!」 三郎に会ったことですっかり忘れてしまっていた。 入学式が終わった後、教室に移動する前にまた掲示板前に戻らないと、と思うと面倒だ。 「お前は私と同じでB組だ」 「え、ほんと?」 「ああ。その時にの名前を見つけてまさか、って思ったんだよ」 三郎と、同じクラス。 それは、何だか楽しくなりそう。 くすりと零れた笑みに前を走る三郎は気付かない。 これまで特別親しい友人も作らず、ただ過ぎていく毎日に流れるように身を任せて生きてきたけれど、今年は違う過ごし方が出来るかもしれない。 2010/09/13 |