卒業の日は清々しいくらいに澄んだ空で、穏やかな春の日差しが印象的だった。 これから闇の世界へと飛び込もうとする者が大多数を占めるとは思えぬほど和やかに式は済んでいく。地味な・・・元い、落ち着きのある学年と言われ続けた所以か、一見してその様子は今日の日差し同様に穏やかなように見える。 他人事のようにそんな感想をもつ私も今日晴れて卒業を迎えるわけだけど、心境はどちらかと言えば複雑。出来れば今日という日が来なければ良かったのに、という思いは箱に詰め込んで厳重に鍵をかけて胸の奥底へと押し込んでいる。決して止まってはくれない時に嘆くのはとうの昔に諦めていた。 とは言っても別れを惜しんで涙ぐんでくれる後輩を前にすれば、自然と周りの同級生達同様の感情が浮かび上がり、思わず笑みも零れたのだけど。 級友やお世話になった先生方、後輩達への挨拶を済ませた生徒は一人、また一人と学園を去っていく。学園の門から足を踏み出してしまった私は、これで学園の生徒ではなくなった。最後にお見送りをしてくれた小松田さんの笑顔をもう見ることはないのだと思うと寂しい気もする。 「挨拶もせず行っちゃうつもりなんだ」 「・・・・・・勘右衛門」 いつの間か腕組をした勘右衛門が私の前に立ちはだかった。気配を感じられなかったのは感傷的になりすぎた所為か。否、忍を目指す勘右衛門と行儀見習いで入った私とでは実力の差は大きい。ただ、それだけのこと。 「俺たちはともかく、兵助にも何も言わないつもり?」 「・・・兵助とは、昨日話したわ」 火薬委員の後輩たちに囲まれて笑っていた兵助の顔が思い浮かべられる。泣きだす伊助の頭を撫でる表情は優しく、その顔を見ていたら蓋をした感情が溢れだしてダメになりそうだった。せっかくの決意が、揺らいでしまいそうで、だから早々に飛び出してきたのに。・・・これじゃ意味がない。 「ねぇ、俺はやっぱり納得できないな」 「仕方のないことなんだよ」 覆せない事実なんてこのご時世いくつも転がっている。 行儀見習いとしてこの学園に入学した私の、その先の運命なんて初めから分かり切っていたことだった。 「一緒の道は歩けない」 「・・・兵助にはが必要だと言っても?」 勘右衛門の言葉に目を見開く。 「兵助は優秀だけどさ、忍務の為となると自分を顧みず無茶しすぎる。それをよく知っている人間が傍には必要だ」 一年前の夏、背に矢を生やして帰って来た時が思い出される。あの時は血の気が引く思いだった。あの日ほどの恐怖に襲われたことはない。目が覚めるまで生きた心地がしなかった。 忍務の為なら多少の怪我など仕様のない事と割り切る兵助は忍として正しい。けれど真面目すぎる為に肩の力を抜くことがとても下手だった。そんな兵助だからいつも皆から心配されていた。私は兵助が忍務や実習で外出する度に気が気でなかった。 「でもね、それが分からないほど兵助は未熟ではなくなったわ」 三郎に呆れられ、八左ヱ門に諭すように言い聞かせられ、雷蔵に説教され続けて漸く自分のことを大切にするようになった。無理してないよね、と問いかける私に緩やかに微笑んでいた兵助を見て私は他の誰よりも安堵し、きっともう大丈夫だと思った。 「兵助に私は必要ないよ」 忍として一人で生きていけるよう育てる為にあるのがこの忍術学園。それが不可能な人間は途中でこの学園を去るか、忍となる道を諦めるかのどちらか。兵助はそのどちらでもない。だから今日をこうして迎えている。 「は本当にそれでいいの?」 納得できないと勘右衛門の顔が苦しげに歪む。勘ちゃんのその優しさは私を何度も救ってくれたし本当の答えへと導いてくれた。誰よりも私たちの為に骨を折ってくれた。だからこそ私は、その問いに真摯に答えないといけない。 それが私の本心でなくても。 「勘ちゃん、私ね、お化粧施すの上手なの。簪や着物の見立ても。あの立花先輩に褒められるくらいなのよ。シナ先生も認めてくださっていた」 「・・・うん。くのいち教室一番の腕前って聞いてる」 「私が、家を継ぐの」 実家でもある小間物屋を継ぐのは私。 その教養を身につける為に私は学園の門をくぐった。通い続けた六年間の意味を無駄になど出来るはずもない。そして、この学園へと通わせてくれた両親を裏切ることなど、私には出来ない。とても可愛がり慈しんで育ててくれていたことを知っている。その恩を仇で返すことなど無理に決まっている。 「兵助のために、捨てることはできないの」 捨ててもいいと思えるほどの家だったら、私はこの学園に通ってはいなかった。 「だから、ダメなの。・・・兵助を選べない」 「・・・」 「お願い、分かって勘ちゃん」 選びたくても選ぶことの出来ない道。己の純粋な想いだけなら私は迷わず兵助の手をとっていた。けれど、この時代、乱世という厳しさを学園で過ごす中で見つめてきた私はそれだけで動くことは出来ないことを学んでしまった。 微かに嗚咽を交えた声に勘右衛門がハッとなる。涙は女の武器と言うけれど正にその通り。ずるいと思いながら、私の意思じゃどうにも止まらないそれは枷が外れかけている証。飛び出しそうな本音をぐっと堪える。もう少しだけの我慢。 「皆に謝っておいて。ちゃんとお別れ言えなくてごめんねって」 親しかった友人たちは皆、卒業後は忍として生きていく。普通に生活をしていればもう二度と会うことはない。こんな別れ方、彼らは怒るかもしれないけれど私の精いっぱいの強がりだと許してほしい。私を甘やかしてくれる彼らの傍はとても居心地がよくもう一度だけその中に混じりたいと思うけれど、それは本当の気持ちを吐露しかねない。これから闇と共に生きる彼らを前にしてそんな姿は見せれない。 「勘ちゃん、ありがとうね」 秘めた本当の想いは誰にも話さず抱えて生きていく。 それくらい容易いこと。私だってくの一教室で六年間過ごしてきたのだから。 鳥の囀りで目が覚めた。 むくりと起き上がりながらつい先ほどまで見ていた夢を思い出す。最近よく見るその夢のおかげで目覚めの気分は良いとは言えない。今になって頻繁に見るようになったのはあの頃と同じ年齢、同じ季節だからか。二度目の人生と呼ぶのが正しいのか分からないけれど、またこの歳を迎えることになるとはあの頃、微塵にも思わなかった。 ベッドから下りて、カーテンを開けた。 春の柔らかい光に目を細める。 そのまま壁にかけてある真新しい制服に視線を移した。 四月初旬。 寂しかった桜の木々に薄紅色の花を開き始めた今日、私は高校生になる。 2010/09/13 |