高等部の学食はいつも賑わっている。安い価格にしては評判が良いことはもちろん、ここ数年の間に改装され、内装がとても綺麗で生徒達から人気が高いためにお弁当を持参している生徒達も使用していることが多いためだ。幸村もその一人であり、窓際の端の席に座り持参していたお弁当を広げていた。対する彼の前の席に座る柳は学食のランチ。二人とも常日頃、学食の場を使用しているわけではないが今日はたまたま、柳が弁当を持参していなかった為にこの場にやってきただけだった。 「それで、蓮二がわざわざ俺を昼に誘った理由は?」 和やかだった食事は二人が食べ終えたところで終了となった。空になった弁当箱を片づけ終えた幸村がゆったりとしたまるで世間話をするかのような口調で問いかける。それを予期していたように柳はふっと笑った。 「マネージャー候補が見つかった」 「・・・へぇ?」 「白々しいな。俺がお前を呼んだ時点で予測していただろう?」 「蓮二、それは買い被りすぎだよ」 向かい合って笑い合う二人だが、雰囲気は全くそれに比例していない。それ故か二人の周りの席には空席が多かった。立海一有名な部活とも言えるテニス部のレギュラー。しかも部長とその参謀という組み合わせが周囲の生徒を遠ざけていた。 「それで、その候補の生徒というのは?」 「その前に、精一は先日の赤也の英語のテストの話は覚えているか?」 「もちろん覚えているが、それが何か関係あるのかい?」 「赤也の点数に貢献したノートの持ち主。彼女がそのマネージャー候補だ」 幸村の眸が微かに見開かれた。思ってもいないところから候補が現れたものだ。切原が大の苦手な英語のテストで高得点をとったというのは本当につい先日の話だ。だから幸村の記憶には新しい。普通ならば赤点確実だったであろうあの切原が点をとることが出来た要因とも言える、対策ノート。その対策ノートの所持者である女子生徒。切原の隣の席ということは彼がぽろりともらしたと発言から覚えているがそれ以上のことは分からない。後はノートに書かれていた文字はとても綺麗で見やすかったことくらいか。幸村は続きを促すように柳を見る。 「名前は。二年E組。現在、席替えによって赤也の隣の席。中等部から立海に通っていて、部活には入っておらず帰宅部。委員会にも所属していない。得意科目は体育、苦手科目は特になし。成績は特別優秀というわけではなく、常に平均的。どこにでもいる普通の生徒だ」 柳にとって必需品である、ありとあらゆるデータが記されたノートを開きながらつらつらと述べられた情報。それを聞いている限りは本当に極々一般的な生徒だ。唯一引っ掛かりを覚える部分があるとしたら得意科目に「体育」を挙げているところだろうか。男子生徒ならばよく聞くが女子生徒で得意科目に「体育」を挙げるのは珍しい。しかも、帰宅部に所属している生徒が、だ。マネージャー候補として帰宅部であることは必須条件。それに加えて得意科目が「体育」と来たら候補として挙げても問題はないかもしれないが、その程度でその女子生徒を選ぶ柳ではない。もっと決定的な何かがあったからこそ、柳はその生徒を候補として幸村に告げてきたのだろう。案の定、柳の説明はまだ続いた。 「それから、これは先ほど仕入れた情報なんだが、運動能力が非常に高いようだ」 「へぇ、・・・さっきってのが気になるんだけど」 「赤也のクラスでシャトルランテストの計測が行われたらしいが、彼女は現役バスケ部員を抜いて女子生徒ではトップだったらしい。回数は112回。これは運動部に所属している生徒でも難しい数字だ」 柳の情報にさすがの幸村も目を瞬かせた。女子生徒で100を越えるというのは非常に稀だ。男子でだって運動部でかなり鍛えられた一部の生徒が到達するくらいでそう易々と届くことが出来る回数ではない。それを部活にも所属していない女子生徒が叩き出したというのなら確かに決定的な何かに匹敵するだろう。それでも信じられない部分があって幸村は柳を見た。柳は、頷くだけだ。テニス部の参謀と言われる柳の情報収集能力は幸村も認めている。柳が間違ったデータを集めてきたことなどこれまで一度だってなかった。つまりこれは真実に他ならない。 「事実だって言うのならこれを見逃す手はないよね」 「ああ。おまけに彼女はこれまで俺達テニス部の存在など全く知らなかったらしい」 「それは、本当に最高の人材を見つけたものだね」 幸村の双眸が面白いモノを見つけた時のようにきらりと妖しく煌めく。探し求めていたマネージャー候補の条件に全て当てはまる人材にこれほど適した生徒は他にいないだろう。確かめずとも二人の意見は既に一致していた。 「問題はどう動くかだね。帰宅部なのは有難いが、それは部活をする気が無いとも言えるだろう」 「ああ、そのことだが―――・・・精一、あれを見ろ」 不意に口元に笑みを浮かべ、入口の方へ視線を向けた柳に幸村は半拍ほど遅れてその先を追った。込み合っている空間の中で幸村は比較的早くその姿を確認することが出来た。先ほどまで話題に出ていた一人。部の後輩でもある切原の姿だ。切原は広いとは言えないテーブルの合間を縫って少し前を歩く一人の女子生徒を追いかけている。 「なぁー頼むよ!お前くらいしか考えられねぇんだって」 「くどいよ。私はマネージャーなんてやる気はない」 「そんなこと言わずに頼むって、な!」 「切原くんには悪いけど、部活に入る気は更々ないの。他をあたって」 幸村達が座る場所から比較的近くを歩いていたことと、切原の声が無駄にでかいこともあって会話の内容は筒抜けだった。幸村は切原から、彼が追う女子生徒へと視線を移す。細身の、すらりとした可愛らしい女子生徒だ。切原との会話を聞いているとサバサバとした印象を受ける。派手さはなく、制服は多少着崩しはいるが校則に引っ掛からない程度に控えている辺り、彼女の適度な真面目さが窺える。しかし、運動神経が良さそうに見えるかと言われれば首を捻りたくなる感じだ。 「彼女がさんか」 「ああ。俺達よりも先に赤也が動いたようだ」 「さすがの赤也も彼女を見逃すようなことはしないか」 これで彼女を部に勧誘をしていなかったら部長として一言二言くれてやるところだったと幸村の笑みが語る。切原はその間も執拗に彼女を追い回していたが、幸村達とは少し離れた位置にあるテーブルに着いたところで彼女がしっしっと追い払うように手を振った。その後、切原は居ないものとして待ち合わせていたらしい女子生徒に詫びる姿に断念したのか肩を落としながら離れていった。 「やはり部活に入る気はないか」 「予測していたことだ。それをどう動かすかがお前の腕の見せ所だろう、精一」 「蓮二にそう言われるほどのことをしてきた覚えはないんだけどね」 ふわりと微笑む幸村の怖さは部員ならば誰もが知っているが恐らく柳が一番理解している。 我が部の為とはいえ、標的となった彼女に柳はほんの少しだけ同情した。 広々とした食堂の一角にその二人は座っていた。大勢の生徒が集まる食堂の中で、その二人の存在感は圧倒的に薄い。まるで空気のようにその場に溶け込み、向かい合わせで席につき、他愛もないことを話していたのだが突如聞こえた二人の生徒の会話にお互いの口は閉じられ視線が絡み合う。ぴん、と二人の神経は研ぎ澄まされた。 「また面倒な事に巻き込まれたな」 「はそういう体質的なところがあったからねぇ」 「巻き込まれ体質ってことか?お前のとこの後輩の巻き込まれ型不運でもあるまいし」 「でも小平太のせいで厄介なことばかりに巻き込まれていただろう」 「まぁ、それは否定できないな」 周囲に筒抜けな一人の女子生徒と男子生徒の会話。離れていく二つの声を耳にしながら目の前に座る男の呟きも聞きとった善法寺は苦笑した。下ろしたままの癖っけのある髪を指に絡ませながら遠ざかっていくの後姿を見つめる。彼女にしては珍しくこちらの視線に気づかない。感覚が鋭いだが、今は目の前の出来事への対処に意識が傾きすぎてしまっているのだろう。あるいは、注目を浴びていることは重々承知しているだろうから突き刺さる視線全てを無視しているのか。若干苛立っているの背から視線をそっと外し、目の前に座る食満へと移した。 「どちらにしてもこれで諦めてくれればいいけど・・・」 「確かテニス部だったよな・・・どうも、一筋縄じゃいかなさそうな気がするな」 「うん。私もそう思う」 顔を見合わせ、お互いの意見の一致にどちらともなく息を吐き出した。善法寺も食満も別々のクラスだが、互いのクラスメイトにテニス部のレギュラーメンバーが在籍していた。そのどちらとも一癖も二癖もありそうな生徒だったことはしっかりと記憶している。やはりは巻き込まれ体質なのかもしれない。 「一応は意識の端っこに引っかけとくか」 「そうだね。・・・でも、相変わらず留三郎は後輩のこととなると顔つきが変わるね」 「あのなぁ、お前だってそうだろう伊作」 くすくすと笑っていた善法寺は潜められることもなく紡がれた名前に僅かに眉を寄せた。 「否定はしない、けど・・・、留、周りに人がいる時は伊織の方で呼ばなきゃ怪しまれる」 「あ・・・、悪い。つい、な」 すとん、と胸に落ちてくるその名前に違和感はないが、場所は弁えるべきだろう。念のためにと注意深く辺りを見回したが、そもそも気配を薄めている二人を気にかける生徒はいなかった。苦笑して謝る食満の気持ちが分からないわけでもない。どうも懐かしい話をしていると意識が昔に戻りすぎていけない。善法寺にとって目の前に居る食満は、古い、それはもうかなり昔からの親友だ。あの頃、友人は食満以外にも居たが彼ほど同じ時間を過ごした人はいないだろう。善法寺は食満のことはよく知っているし、その逆もまた然り。ただし彼と自分で異なる点があるとするならば自分は善法寺伊作から善法寺伊織へと性別と共にその名が変わったことだろう。しかし、見た目は女らしくなったものの、根本的なところはちっとも変わってはいないつもりだ。何せあの頃同様に不運に見舞われ続けている。これはもう宿命ではないだろうかと思うほどだ。中身は「伊作」のまま。けれど、女として生まれてしまったからには「伊作」と呼ばれることはおかしい。故に「伊織」と呼ばれているが、今のような時に昔の呼び方で呼ばれることは多々あった。食満も時と場合は考えているので、周りに聞かれるような場面でヘマをすることはないのでその点に関して善法寺は全く心配していない。 「やっぱり後輩は可愛いからね」 「まぁな」 何事もなかったかのように二人して顔を見合わせ笑い合う。 ここに級友達が居たら確実に呆れられていたことだろう。 「そう言えば今日、斎藤を見かけたぞ」 「ほんとに?暫く自主休学とって美容師の修行をしていたみたいだけど、さすがに出てきたのかな」 「留学で一年と、自主休学で一年留年しているからな。さすがに出てこないと不味いだろう」 ふと思い出したように食満の言葉に、同い年でありながら後輩であった男を思い出した。彼の髪は相変わらず眩いばかりの金色で見かけたのは後姿にも関わらず一目見て分かったらしい。 斎藤は現在一年生。本来ならば食満や善法寺と同じ学年のはずだった。しかし、この時代でもあの頃のように美容師を目指していた斎藤は授業そっちのけで修行に明け暮れていたようだ。でも卒業出来なければ、その修行の成果も意味を成さない。そのことに漸く気付いたのか学校にも顔を見せるようになったらしい。 「アイツ、や鉢屋達のこと知らないだろ」 「達が入学した年に学校に顔を見せなくなったからね」 斎藤も全く登校していなかったわけではないが、その日数は圧倒的に少なかった。県内屈指の生徒数を誇るこの学校は当然ながら校内も他の学校と比べたら広いので滅多なことがない限りは互いに出会うことはない。や鉢屋が知らないのは当然のことながら、斎藤も気付いてはいないのだろう。 「にも、知らせてやるべきだろうな」 黙っている理由はない。 しかし、知らせた時の歓びの表情の裏に隠されるだろう落胆を考えて食満は僅かに視線を落とした。 「・・・それは、教えてあげない理由には、ならないからね」 むしろ、「彼」とは近しい位置にいた斎藤のことだからこそ教えないわけにはいかない。彼女はきっと、素直に喜ぶだろう。無邪気に嬉しがる表情が目に浮かぶ。けれど、誰も見ていないところで哀しみに暮れるだろうことも食満も、善法寺もちゃんと知っていた。 2011/03/10 |