初日はテニス部の雰囲気を掴むことと、マネージャーの仕事を一通り教えてもらったところで終えた。明日から少しずつ仕事を任せていくと、私と雷花にマネージャー業務を教えてくれた柳先輩は言う。お互いの足りない部分を補いながら仕事をしてくれればいいと告げるその口調はどこまでも淡々としていた。読み取りにくいその感情には舌を巻くほど。業務内容を覚えながら柳先輩の表情をじっと窺っていた私におそらく気付いていただろう。それでも何も問いかけてこなかったのは雷花がいる手前だからなのか、他に何か意図があるのかは分からない。でも、さすがだと思ったのは雷花に迷う隙を与えなかったことだろうか。柳先輩の説明はとても的確で丁寧で質問をする必要などまるでなかった。雷花の迷い癖を柳先輩は承知していたのだろう。さすがはマスターとの呼び名を持つだけある。 「が一緒で良かった」 そう言ってほっとしたように微笑む雷花は、マネージャーをやる決意こそしたけれど心のどこかに不安はあったのが垣間見れた。ずっと三郎に護られ生きてきた彼女がいきなり男ばかりの部活動に入るのはとても勇気の要る事だったのかもしれない。くのたまとして忍たまに軽んじられることがないよう、対等であるようにと教えられ、鍛えられてきた記憶を持つ私にとって男相手に怖気づくことは今さらない。そんな心はとうの昔にどこかに置いてきてしまっていた。 「大げさだね、雷花は」 「ううん、柳生先輩以外知らない人ばかりだったから」 「柳生先輩、ね」 きょとんとする雷花に曖昧に笑いかけながら、今日はじめて対面した柳生先輩を思い浮かべた。紳士との異名を持つに相応しい完璧な接し方だった。自己紹介からこちらを気遣うその態度に嘘も偽りもない。柳生先輩は噂通りの人。とくに、雷花と話す柳生先輩の瞳は眼鏡越しでも優しいものであることが見て取れた。それは少しばかり勘繰ってしまいたくなるくらいには。なんて、少し考えすぎかなと自分自身に苦笑する。どうやら私も雷花に関しては相当の心配性にかかってしまっているらしい。 「すごく優しそうな先輩だったね」 「うん、優しい人だよ。ならそう言ってくれると思った」 「良い先輩達ばかりだし、これから楽しみだね」 「うん!」 茜色の空が目映く、雷花の頬に赤をさす。嬉しそうな笑顔を見れば自然と私も笑顔になれる。この笑顔が消えてしまうことがないように。そう切に願い、誓う。悲しみに染まることも、苦しみに満ちることもないように、きっと私が。 「それじゃあ、ここで」 「うん。また明日ね」 学校から一番近い駅まで来たところで雷花に手を振った。私も電車通なのでいつもならホームまでは雷花と一緒に向かうのだけど、今日は用事があるからと駅内へと消えていく雷花を見送った。それからゆっくりと背後を顧みた。 「私にご用なんて珍しいですね」 真っ黒なスーツに身を包み、その顔を覆い隠すように黒いハットを深々と被る男は傍から見ても怪しいの一言に尽きる。立海に一番近いこの駅はサラリーマンやOL、一般の主婦よりも学生が使用することが多いから尚更目立っていた。ハットの下から僅かに覗く瞳が弓なりに細められ、ますます怪しさが際立つ。 「やぁ、こんにちはちゃん」 「出来れば学校近辺では近づかないでほしいのですが」 「これでも気を遣って声をかけてはいるんだけどね。それに君はこの近辺以外では完全無視を徹底してるでしょ」 「それは、伊作先輩からのお達しなので」 にこりと微笑めば無言で見つめられた後、溜息を吐かれた。「酷いなぁ、伊作くんも」と口にするが本心ではないのは聞くまでもない。くるりと私に背を向けて歩き出したのに少しばかり間隔を開けて追いかける。少しずつ沈んでいく陽を見つめながらぼんやりと歩いていれば「駅から少し外れたところに車が止めてあってね」と音なき音にて伝えてくる。あんまり関わっちゃだめだよ、と伊作先輩から忠告を受けていたけれど無視をして帰宅するのはかなり難しい。小さく息を吐き出し、見えてきた如何にも高級そうな車とその傍に立っている男の存在に僅かばかり眉を顰めた。 「尊奈門さんもいつも振り回されて大変ですね」 「私を前にしてはっきり言うとはいい度胸だね」 「事実を言ったまでですよ」 雑渡昆奈門さんと諸泉尊奈門さん。かつては忍術学園と敵対関係にあった城の忍者隊の忍組頭とその部下のお二人。けれど、この時代ではそれも全く関係のないこと。当時から伊作先輩とは親交のあった雑渡さんは気付いたらこの時代でも伊作先輩の前に唐突に姿を現すようになった。そんな元組頭の勝手な行動に振り回される尊奈門さんの姿もあの頃のまま。こういうところでも私は錯覚をしてしまうから嫌になる。今は今であって、昔ではないのに。 「今日はどんなご用件で?伊作先輩なら一緒じゃないですよ」 「今日は君に用事があったんだよ。伊作くんはさっきまで一緒だったしね」 「・・・」 当時、私が雑渡さん達と関わるようなことは早々なかった。忍たま達が引き起こす騒動に何かと関わってくるタソガレドキの忍者隊については知っていたけれど、くのたまは基本的に関与しないことが多かったから。この人たちと特に関わるようになったのはこの時代になってから。でも、伊作先輩によって引き合わされた私と雑渡さん達との間には特別な何かなどない。全ては伊作先輩を通して。だと言うのに、雑渡さんは私をご指名だと言って笑う。ついでに送っていくよ、と言われ開けられた車のドアに拒否は認めてもらえない気がしたので諦めて乗り込んだ。 「尊奈門さん、すみません。お願いします」 「いつものことだ、気にしないでくれ」 運転はもちろん尊奈門さん。車はゆっくりと発進する。窓越しに外を眺めれば部活帰りの立海の生徒がちらほら。怪しげな車に乗り込む女子生徒を目撃したなんて噂が立たなければいいのだけれど。雑渡さんがそんなヘマするはずないし、私も細心の注意を払っていたから大丈夫だとは思いたい。 「それで、どうしたんですか?」 「テニス部のマネージャーになったんだってね」 「・・・伊作先輩ですか」 とても楽しげな声にげんなりする。 伊作先輩、どうしてこの人に話してしまったんですか。 「君は本当に伊作くんから可愛がられているようだ」 「・・・?話が見えないんですけど」 「今日は伊作くんから頼まれごとをしたんだよ。とある生徒について、ね」 「それって、」 「名前は仁王雅治くんだったかな。知ってるんじゃない?」 話が繋がった。それはもうすっきりしたくらいに。自分の手は汚さず、且つ首謀者が誰であるか分からないようにするにはこの人を使うのは適していると思う。雑渡さんは普段からこんな感じだから誰が見てもその道の人に見えるし。いやまぁ、あながち間違ってはいないのだけれど。にしても伊作先輩、そこまで怒っていらっしゃったなんて。 「・・・あの、伊作先輩に何を頼まれたかは知りませんが、それはやめてあげてください」 「君の為なのにかい?」 「伊作先輩のお気持ちだけで十分です」 可愛がってもらっている自覚はある。食満先輩にも随分と可愛がってもらっているけれど、伊作先輩もそれに劣らないくらい。女の子として生まれ、性別が一緒になったからというのもあるのかもしれない。実際、食満先輩以上に伊作先輩とは話す機会は増えているように思う。やっぱり女の子同士だと会話の幅も広がって、話していて楽しい。そういう意味合いも含めて私は昔以上に伊作先輩に懐いているし好きだと思う。 「それに、だから私に会いに来たのでしょう?引き受けるつもりなんてなかったんじゃないですか?」 「そうだねぇ、ちゃんの返答次第では引き受けてもいいかなって思ってたとこかな」 「じゃあ何もしないでくださいね」 こんな人を引っ張り出すまでもない。 私の気持らすれば伊作先輩が私の為にこの人を動かそうとまでしたというその事実だけあれば十分だった。 「それから、伊作先輩にも上手く誤魔化しておいてくださいね」 「あの子を誤魔化すのは苦労するんだけどね」 「雑渡さんなら楽勝でしょう?」 くすくすと微笑めばハットの下から覗く瞳がやんわりと細められる。言うほど苦労だなんて微塵にも思っていないに違いない。むしろそれを口実に伊作先輩に会いに行く気満々じゃないだろうか。 「ところでちゃん、卒業後のことだけど――」 「お断りします」 「・・・まだ何も言ってないんだけど」 「何度も誘われれば嫌でも分かりますよ。私はそっちの道に就職する気はありません」 「そう言わずに、君は女の子にしては十分素質あるよ」 にこりと言われてもちっとも嬉しくなかった。卒業後はうちにおいでよ、と会う度に雑渡さんは口にする。 私が七松先輩の後輩だったと知ってか、くのたま一の武闘派だなんて呼ばれていたことを耳にしたかはしらないけれど、ちっとも嬉しくない誘いだ。私は、こんな時代まで物騒な事に手を出したくはない。もっとまっとうな職に就きたい。 「そんな素質要りませんよ。あ、尊奈門さん、ここまでで十分です。わざわざ送ってくれてありがとうございます」 「家までもうすぐじゃないか?」 「だからですよ。こんな車が家の前に止まったらご近所さんに誤解されるのでここらで降ろしてください」 「ああ、なるほどな」 さすが尊奈門さんはお話が分かる。すぐに近くの歩道に車を寄せて止めてくれた。乗る時と同様にこんな車から降りるところを見られるとどんな噂がたつか分からないので辺りを注意深く窺って、それからようやく車から降りた。 「尊奈門さんありがとうございました。それから雑渡さん、くれぐれも先ほどの件はお願いしますね」 「はいはい。あ、気が変わったらいつでもおいで。大歓迎だよ」 「変わりませんから。それでは」 勢いをつけてドアを閉める。 走り去る車は閑静な住宅街の並ぶ街並みには余りにも不釣り合いだった。 2013/02/03 |