おろしたままだった髪を高い位置で一つにまとめて結い直す。それは久しぶりにも関わらずとてもしっくりとくる動作で、どうしてだか引き結んでいた口元が自然と緩んだ。毎日のように行っていたから身体が覚えているみたい。おかしな話、この身体の頃じゃないのに。少しきつめに結い終えれば意識せずとも背筋が伸びて気が引き締められる。
準備が出来た所で鞄を手にして教室を出た。既に放課後に突入しているから、少し急がないと。初日から遅刻なんてシャレにならない。最初は部員達への挨拶だと思うから開始時間にさえ間に合えばいいのだろうけれど、きっちり仕事もやりますと言った手前それなりの態度は示さないといけない。それに、マネージャーと言えども身体を動かすこと自体はやっぱり好きだから、割と楽しみにしている自分がいることは否定できないかもしれない。

「立派に絆されてるじゃねぇか」
「・・・三郎」

ローファーではなく体育用に使用しているシューズに履き替えて玄関から出ようとすれば見知った顔が待ち構えていた。私の行動などお見通しだと言うことだろうか。雷花がマネージャーになると知らされた時から、こうなると分かっていたのね、きっと。だからこそずっと機嫌が悪かったんだわ。お人好し、とそう言ったのもこれを見越してに違いなかった。

「絆されてなんかいないもん。ただ、堂々と挑発されたから乗ってやろうと決めただけ」
「お前な、それじゃ向こうの思うつぼだろ」
「そうかな?でも、そんなことよりも雷花の方がよっぽど大事だもの」

雷花が大事。それは私と三郎の中で共通している事実。だから、三郎には言わなければならない。この男はいつだって酷く中途半端なのだ。特に三郎自身と、雷蔵に関わる事柄に関しては。

「雷花のマネージャーの件ね、私にも責任はあるけど原因は三郎なんだから。自業自得だよ」

言わなくとも自覚していたのか、三郎の顔が歪められた。分かっていたからこそ、昼間、私のことを責めなかったのかもしれない。もっときついこと言うつもりだったのに、予想に反した表情になんだか毒気を抜かれちゃった。悔んでいるのがよく分かる。それなら最初からもっとちゃんと雷花と向き合えば良かったのに、とは言えなかった。後悔なんて言葉通りだもの。後にならないとそのことに気付かない。同じような経験は私だって何度もしてきている。こればかりはどれだけ人生経験を積んでも変えられない事実だと思う。私達はきっとこの先もたくさん後悔を繰り返しながら生きていくしかない。でも、だから、その時の私自身が悔いのない選択をしようと心がけているつもりだ。今回のことだってそう。

「三郎、雷花は私がちゃんと見てる。約束するわ」

今、願うのは一つ。彼女の笑顔が損なわれなければ、それでいいの。雷花が笑っていられるのならマネージャーだって何だって好きにやったらいいと思う。ただ、テニス部は例外。あの部だけはこの学校において特殊。それは三郎も分かっているはずだ。だから私があの子の傍に居る。それは、きっと私じゃなきゃダメなの。

「・・・無茶はするなよ」
「もちろん。任せといて」

珍しく素直に折れた三郎に小さく笑った。三郎の性格からして自分から折れることは少ない。それこそ私のことを信頼してくれている証。ひねくれ者で、誰かに頼るってことが苦手なのよね。だから、嬉しい。責任は重大だけど。でも、ほかでもない雷花のことを三郎に頼まれてしまったら何がなんでもやってやらなくちゃって思う。気合いは十分だった。





部員達への挨拶で特に緊張することはなかった。私の姿に驚いていた雷花や切原くんを見てしてやったりと笑ってみせたが、視界に銀色の髪を捉えたところですうっと感情が冷えていく。雷花がこの部へと入る原因ともなった仁王先輩への警戒心は抜けない。きっと善法寺先輩が動いてくれるだろうから私から何かしようとは思わないけど。そんなことを考えていれば「よっ」と後ろから声をかえられた。

「・・・丸井先輩」
「お、ちゃんと覚えてんじゃん」

赤い髪にこの間と同じようにガムを膨らませる先輩。その髪の色は忘れようにも早々忘れられるものではないと思う。そんな言葉は呑み込んで頷くだけに留めた。結局、この人の言うとおりになってしまったなと思う。マネージャーをやることを選んだのは私の意志だけど結果から言えば彼らの思い通りになったということだ。それは心底気に食わないけれど、私は私の目的があるのだから、そこは割り切らないとやっていられない。見謝ってはいけない。私がここにいるのは雷花の為なんだから。

「詳しくは知らねーけど、仁王に一杯食わされたみたいだな」
「そう、なりますね。一応は」
「言葉の割に目が違いますって言ってるぜ」
「じゃあ、そうなんじゃないですか。丸井先輩のお好きなように解釈してください」

私の中で、この先輩の印象はそう悪くはない。私に会いに来たこの人は、結局のところ勧誘しにきたわけではなく、ただ単に私と言う人物がどんな人間かを確かめに来た、それだけだった。それも恐らくは後輩をからかうついでとして。あの時は厄介な人と思ったが、この部にはそれ以上にとてつもなく面倒な人達が多い。丸井先輩はその人達に比べたら全然マシだった。

「ふーん。ま、これからよろしくな」
「はい、よろしくお願いします」
「なんだ、ちゃんと素直じゃん。ジャッカルの時の対応とは大違いだな」
「あれは、後でちゃんと謝りますよ」

入部するつもりなどこれっぽっちもなかったあの時の私の態度は申し訳なかったなと感じるくらいには素っ気なかったと思っている。でも、切原くんからの勧誘に辟易していた頃にいきなり現れたから仕方ない。桑原先輩には本当に悪いことをしたと思う。桑原先輩が悪い人ではないことは話した時の様子からして一目瞭然だったから。

「・・・だったっけ?」
「はい」
「うちは幸村くんとか仁王とか、ああ、柳も入るな・・・とにかく一癖も二癖もある奴が多いからな。めげずに頑張れよ」

とん、と叩かれた肩に視線を落とす。それから丸井先輩を見上げた。ふっと笑う先輩は初めて会った時の取っつきにくさをまるで感じさせない。くるくると器用にラケットを弄びながら私の横をすり抜けてコートの方へと歩きだしていった背中を見送りながら味方を得たような気分の自分の心にほんの少しだけ苦笑した。これはきっと気を抜きすぎないようしなければいけないなぁと。





203/02/03